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フードリンクレポート


銀座のとんかつ店三代目がハワイに次いで世界へ。
シンガポールで銀座の味を!
澁谷 昌也氏
銀座 梅林 オーナー(三代目)

2008.9.5
「銀座 梅林」は、銀座で80年以上続く老舗とんかつ店。ひと口カツや、中濃ソースを開発したことでも有名。その三代目、渋谷昌也氏は初代譲りの事業家で、2007年ハワイに出店。さらには、好景気に沸くシンガポールへの出店を09年に計画している。銀座を世界ブランドにするのが夢だ。


渋谷昌也氏(銀座 梅林 オーナー)

昭和2年、銀座初のとんかつ店が誕生

 初代、澁谷信勝氏は、昭和2年(1927年)に銀座で初めてのとんかつ専門店「銀座 梅林」を開いた。その父親は富山県出身で製薬会社を経営しており、信勝氏も薬剤師として家業を手伝っていた。しかし、祖母が日本橋木挽町で小料理屋を経営しているのを見て飲食に興味を持ち、20代前半でとんかつ店を銀座で始めた。

 とんかつ専門店の発祥は、大正時代にあった浅草「ぼんち軒」。現存しない。上野警察に開店の届け出を出した際、「箸で食べるので和食かな、いや、衣をつけて揚げるので洋食かな。作り方が洋食なんで、とんかつは洋食にしましょう」と警察に決められ、とんかつは洋食のジャンルになったという逸話がある。

 明治時代から、とんかつ自体はあった。それを「とんかつ」と名付けたのが、ぽんち軒。それまでは、フライパンでパン粉をつけて焼く「コートレット(カツレット)」というフランス料理の調理法が知られていた。牛肉や羊肉のコートレットが当時、一般的だったが、安い豚肉を使うことが明治時代中期に始まった。ぼんち軒は、「豚肉」の「トン」と、「カツレット」の「カツ」をくっつけて「トンカツ」と命名した。牛肉に負けじと肉を厚くして、ここに肉厚のとんかつの誕生となった。

 その後、上野には、「二葉」「ぽん多」「蓬莱屋」という店ができ、現在までとんかつ御三家と言われている。それを見て、銀座で初のとんかつ店を開こうと考えたのが、初代、信勝氏。


「銀座 梅林」ファサード


全文(有料会員専用)の見出し
ひと口カツ、中濃ソースを考えたアイデアマン
初代は攻め、二代目は守り、三代目は攻め
2007年、ハワイ出店
銀座にわざわざ来る意味のあるものを提供しよう
「昔と変わらず美味しい」は褒めことば
2009年、銀座の味をシンガポールへ
(写真全9点)

■澁谷 昌也(しぶや まさや)
「銀座 梅林」三代目オーナー。1953年生まれ。神奈川県出身。慶応義塾大学卒業後、日産プリンスに入社。30才で退社し、家業を継ぐ。日本だけではなく、2007年ハワイに出店後、09年にはシンガポール出店を計画。攻めの三代目は、海外に目を向けている。

「銀座 梅林」 http://www.ginzabairin.com/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年8月22日取材

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