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フードリンクレポート


オーガニックの先駆者「フレッシュネスバーガー」。
栗原 幹雄氏
株式会社フレッシュネス 代表取締役社長

2008.10.15
1992年に創業し、店舗数はFCや海外を含め200店を超える。路地裏のバーガーショップから、一等地に出店を転換し、認知度が急上昇している。08年10月に本『面白いことをとことんやれば、「起業」は必ずうまくいく』を出版した創業社長、栗原氏を取材した。


南青山のビルにある本社社長室にて、栗原幹雄氏(株式会社フレッシュネス 代表取締役社長)

「ほっかほっか亭」を4年で1000店舗を築いた男

 栗原氏の義理の兄にあたるのが、持ち帰り弁当「ほっかほっか亭」創業者の田渕道行氏。埼玉県草加氏で持ち帰り弁当店を始めていた田淵氏から、弁当チェーンを一緒にならないかの誘いがあった。当時、建築士として積水ハウスで働いていた栗原氏が、「フランチャイズで100店までやろうよ」と意気投合。辞表を出して、田淵氏に合流。1978年に株式会社ほっかほっか亭を設立した。

「当時、草加のアパートが事務所であった。給料もいらないと言って始めました。貯金が20万ありましたが、ロマンにかけました。かみさんを実家に帰して、3人で死ぬほど働いきました。1年目には128店の出店。2年目に新橋で木造の事務所を借りました。階段はギシギシいって、皆来ると怖くて帰っちゃうような事務所でしたね」と栗原氏は振り返る。

 2年目以降、日本全国に地区本部を作り始め、1979年に全国38ヶ所で地区本部契約を結ぶ。それらが次々と出店し、1981年には1000店を超えた。全国で毎月60店以上出店していた時期もあった。

 当時のFC料金は、加盟金は定額30万円、ロイヤリティは定額の月3万円。

「日本ではソフトではお金を取れない環境にあったと記憶しています。日本でのフランチャイズチェーンは原材料転嫁型が浸透しやすく、ロイヤリティ転嫁型はなかなか浸透しないと感じていました。本部が原材料供給をもっていないとチェーンは成り立たないと当時把握しました。」


「フレッシュネスバーガー」1号店(東京・富ヶ谷)

全文(有料会員様専用)の見出し
「ほっかほっか亭」の安定化から、1人で「フレッシュネスバーガー」を立ち上げ
15年前から契約農家
ユニマット傘下で一等立地に出店
(写真全5点)

<プロフィール>
■栗原 幹雄(くりはら みきお)
株式会社フレッシュネス 代表取締役社長。1951年生まれ。埼玉県出身。大学卒業後、積水ハウスで建築士として勤務。1978年創業者の田渕道行氏らと、株式会社ほっかほっか亭を設立。営業本部長として1000店舗を達成。1992年12月、「フレッシュネスバーガー」1号店をオープン。1998年10月、株式会社フレッシュネスを立ち上げた。2007年7月、200店目となる香港店がオープン。2008年11月、株式会社ユニマットライフの孫会社となる。

株式会社フレッシュネス http://www.freshnessburger.co.jp/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年9月30日取材

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