フードリンクレポート
【日拓ディスコ・マジック3連載】第1回
ここが見せ場というポイントを作る!
日拓OB・平成元年入社 大林 英司氏
有限会社一の屋 取締役 営業本部長
一の屋の新業態「情熱屋」(東京・門前仲町)の前で、大林英司氏。
・教育を受けた水商売サラリーマン
東京下町、門前仲町や銀座で生産農家は世界で一軒の幻の豚「千代幻豚(ちよげんとん)」をウリにする居酒屋「一の屋」など4店舗を展開する大林英司氏。その理論的な考え方と、押しの強さで、若手外食経営者の兄貴分として活躍している。
大林氏が日拓に入社したのは平成元年(1989年)。栃木県から高卒で日拓に入社。そして、1999年まで10年間、日拓で働いた。
「とりあえず東京に行きたかった。ディスコやライブハウスにあこがれました。高校にあった日拓の求人票の業種に、ディスコ、ライブハウス、レストラン、遊技場と書いてあった。遊技場がパチンコ店だとは分からず、ゲームセンターかビリヤードかなと思っていました。当時、バンドをやっていたので音楽に興味があり、日拓に決めました」と、大林氏。
入社した同期の9割以上がパチンコ店に配属となる。当時、飲食店は、六本木に「OH−HO」(中華)、「AREA」(ディスコ)、「CIPANGO」(ディスコ)、「LOLLIPOP」(ライブ)、「SENSATION」(ライブ)5店と、新宿に「青葉」(中華)、赤坂に「LOLLIPOP」(ライブ)の計7店しかなかった。飲食を広告塔として求人を行っていた。
しかし、日拓の素晴らしい所は、大量採用の年から社員教育に力を入れていたこと。「教育は全てに優先する」といい、入社時の自衛隊研修、宅建勉強会、笑顔セミナー、カクテルスクール、そして、社長直々の経営セミナーなど、店での仕事が終わったあと本社に呼ばれて勉強したという。
「日拓は、サラリーマン水商売。管理がしっかりしていて、他のディスコとは違った。休みはしっかりとれるし、ボーナスも出た。」
「教えてもらったことは、今もめちゃめちゃ生きてます。ダイヤモンドダイニングのやっていることは日拓の教えがかなり反映されています。立地が全てに優先する。扇の要、ターミナル駅にしか出店しない。安い物件があっても出さない。高くても新宿や渋谷に出す。」
「『われわれはイノベーター。朝礼暮改ではなく、朝礼朝改。変化への対応』という普遍的な経営哲学を学びました。正直、ディスコとギャップがある。でも、そこが日拓の人間の器用さを作っている。朝まで働いて本社に行ったら、高卒の人たちに投下資本利益率とか教えている。3年経ち、4年経ち、こういうことなのね、と効いてきた。市場がなければ成り立たない、自分の思惑だけでは商売は成り立たないということを間接的にすりこまれていきました。」
「一の屋」(門前仲町) 外観。商店街からセットバックさせ、入口も商店街に作らず、脇から入る。
全文(有料会員様専用)の見出し
・ディスコはチームプレー
・どこかにこだわりポイントを作る
・来店目的を瞬時に見分ける
・遊びの店がなくなる危機感
・アミューズメントから、食材特化へ
(写真全8点)
有限会社一の屋 取締役 営業本部長。1970年生まれ。栃木県出身。1989年、日拓アミューズメント株式会社に入社。1999年に退社。2000年から有限会社一の屋。人の笑顔が大好き。
有限会社一の屋 http://www.ichinoya.net/
【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年12月9日取材