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フードリンクレポート


【日拓ディスコ・マジック3連載】第2回
サラリーマンだったから、料理を知らなくても経営できた。

日拓OB・昭和62年入社 松澤 喜久氏
有限会社松風堂 代表取締役

2008.12.25
1985年に誕生した六本木「AREA」「CIPANGO」。そして、89年に誕生した赤坂「RONDECLUB」。バブル時代、日拓が経営していた人気ディスコだ。昭和62年から3年間、日拓は新卒大量採用を行った。東京の花形ディスコにあこがれ、地方から上京した若者たちが毎年数百名入社した。その中に、今、外食業界で話題の経営者3人がいた。彼らを生み出した日拓の魅力を取材し、今に生きるノウハウを語ってもらった。3回連載。第2回は松風堂、松澤喜久氏が登場。


浜松町の事務所にて、松澤善久氏。隣は、BBAインターナショナル同窓で「もつ福」などを展開するアキナイ、三宅茂幸氏の事務所。

大量採用のサラリーマンが運営するディスコ

 松澤喜久氏は、「海鮮問屋 磯べゑ」(上野)、「蕎麦酒家 藪へゑ」(浜松町)の居酒屋2店舗を直営する傍ら、ダイヤモンドダイニングの「黒提灯」(赤坂)、もつ鍋ブームの走り「もつ福」(西新橋)をプロデュースしたり、飲食店のセールス・プロモーションを支援している。

 日拓に入社したのは、昭和62年(1987年)。新潟から高校を卒業し、ディスコで働きたいと日拓へ入社し上京した。1992年まで5年間勤務。この時の、マーケティング研修が生きて、現在のプロデュースやプロモーションの業務に繋がっている。

「月に1回定例の勉強会がありました。本社の高田馬場に呼ばれるんです。自衛隊研修、座禅、宅建など、社員教育に金をかけていました。QC活動やマーケティングも教えてもらいました。あの時言ってたのはこのことかと、本当に分かったのは後です。QC活動では、いらないものは捨てろ。汚くなればすぐにメンテと教えられました。壁がはがれたらすぐにやれば金もかからず、直にきれいになる。もしかしたら使うかもしれないようなものは捨てる、です。」

「とりあえず何でもやらせてくれました。ディスコのリニューアルの時に何人かで集まってプレゼンしました。良かったら、即採用です。社長は社員みんなと話しかけてくれました。店に顔出すわけでなくて、社長室に全員の顔写真が貼ってあったそうです。日拓にとっては、僕らが入社した昭和62年から組織作りが始まりました。」

「水商売上りのディスコと比べれ、日拓はサラリーマン・ディスコです。ボーナスも2〜3ヶ月分でてました。良かったですね。上の人からきつく言われず、伸び伸びやらせてもらいました。しかも、黒服は下手な芸能人よりもてましたし(笑)。」


「海鮮問屋 磯べゑ」(上野) 店内。うず潮の壁紙が迫力。

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男性のみにチラシ配布
金曜日には気合を入れて! はもうない
(写真全7点)

■松澤 喜久(まつざわ よしひさ)
有限会社 松風堂 代表取締役。1968年生まれ。新潟県出身。1987年、日拓アミューズメント株式会社に入社。1992年に退社。BBAインターナショナルを経て、2003年に松風堂を設立。

有限会社 松風堂 http://www.shoufudo.com/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年12月11日取材

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