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フードリンクレポート


甦れ!音楽とウイスキーで70年代を魅了した「スコッチバンク」。
市原 克俊氏
株式会社マークフィールド 代表取締役

2009.7.10
1970年代、大阪から始まり全国主要都市に広がった「スコッチバンク」。ウイスキーのボトルキープと、生バンドによる演奏でアダルトな夜を過ごせる人気のナイト業態。50歳代以上の方々には懐かしい。しかし、現存するのは仙台店のみ。そのオーナー、マークフィールド市原克俊氏が現代に「スコッチバンク」を甦らせようとしている。


市原克俊氏のオフィスは、アナログレコードが並ぶ。

当時の人気アパレル企業の新事業として誕生

「スコッチバンク」を生み出したのは、市原氏の父、市原忠氏。70年代の六本木で生バンドをウリにした「クレイジーホース」や「テニスクラブ」といった人気店をプロデュースしたヒットメーカーだ。

 その市原忠氏が、石津謙介氏が率いトラッドで一斉風靡したVAN JACKET系列のshop&shopsの社員として生み出したのが「スコッチバンク」。サントリーの佐治敬三社長が、石津謙介氏にウイスキーを美味しく飲める店を作るよう依頼されたのがきっかけ。1号店は大阪。人気は爆発し、原宿、そして銀座、札幌、仙台と展開し、ボランタリーチェーンとして全国で10店舗以上出店した。


「スコッチバンク」のプロデューサー 市原忠氏。

 60年代後半から70年代の前半は、ウイスキーは高価なもの。佐治敬三氏、石津謙介氏を始め当時の日本経済を代表する人々の集まりで、もっと安く飲める店を作ろうという話が持ち上がり、「酒はサントリーが用意しろ、箱は俺が作る」(石津謙介氏)として大阪で作った。当初は「大英銀行」という名。銀行をモチーフに、金庫室に宝物であるスコッチをしまっておき、お客様には金庫室のカギを渡そうというアイデア。しかし、国から銀行の屋号にクレームが付き、「スコッチバンク」と英語に変えたという逸話が残されている。

 内装には当時の坪単価で日本記録となる坪100万円を掛け、VAN JACKETの威信に掛けた店つくりをしたそうだ。VAN JACKETは飲食事業を子会社shop&shopsに任せた。白羽の矢が立ったのが、当時のヒットメーカーの市原忠氏。英国でパブを視察してコンセプトから「スコッチバンク」作り上げた。

 当時を知る人からこの逸話を聞いた市原克俊氏は、「父はスコッチバンクの立ち上げに最も貢献した人物だということも実感することができ、改めてこのブランドを復活させなくてはならないと志を新たにしました」と言う。

「スコッチバンク」は、店内はソファ席が並ぶラウンジになっており、1日に何度も演奏される外国人生バンドの音楽をゆったりとウイスキーを飲みながら聴く。ウイスキーはボトルキープ制。キーホルダーとしても使える真鍮製のカギがキープの証となっており、ステータス感がある。


ボトルキープの証のカギ。
<続く>

全文(有料会員様専用)の見出し
ベンチャーリンクで外食を学ぶ
タスコFCとして独立
ダイヤモンドダイニングとのコラボ
スコッチバンク仙台は、音楽で生き残った
イマ風のスコッチバンクで銀座に凱旋したい
(写真9点、約5千7百文字)

■市原 克俊(いちはら かつとし)
株式会社マークフィールド 代表取締役。1971年生まれ。大阪府出身。ゼネコン、不動産販売会社を経て、1999年ベンチャーリンク入社。タスコシステムを担当。2004年、マークフィールドを設立。

株式会社マークフィールド

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2009年6月30日取材

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