フードリンクレポート
“オールディーズ”ライブハウス「KENTO’S」再攻勢。
9月横浜、10月大阪オープン。
ケントスグループ株式会社
「ケントス」六本木本店のステージ。
・1976年、六本木のフレンチでライブが始まった
「ケントス」は創業者、安本昌弘氏が六本木の俳優座近くで1976年に始めたフレンチレストランが発祥。当時人気のグループサウンズ“ビレッジシンガーズ”の林ゆたか氏が常連客で、お客の少ない日に友人のミュージシャンを集めて週に1回くらい生演奏やろうと始めた。そしたら、お客として連れて来られたミュージシャンも一緒になって、あこがれの1950年代の米国のポップスを演奏。それが噂になり大盛況。
そして、今の場所に移転した1980年頃からテレビなどマスコミの取材攻勢を受け全国に認知が広がり、各地からFC希望者が殺到。1985年に仙台、新潟、博多。1986年に京都、神戸、金沢、松山、沖縄、札幌、長崎、小倉。一気に全国に広がり、最盛期は約40店にまで拡大した。
取材に応じてくれたケントスグループの尾形光浩氏(企画開発部 部長)が当時を語ってくれた。
「僕は1986年にケントスに入社しました。宮城県出身ですが、高校生の時から仙台のケントスで遊んでいて、カッコイイとあこがれていました。思いきって東京に出て、ケントスに就職したんです。最初は六本木本店で働きました。そのころは、リバイバルブーム。ラッツアンドスターなどアメリカンポップスを軸にしたようなミュージシャンがテレビに出ていました。プレスリーもカッコよかった。当時流行っていたのはマドンナやマイケル・ジャクソンでしたが、今では考えられないくらい50年代の音楽は浸透していました」と言う。ケントスで演奏されていた50年代の音楽が若者にウケていた。
東京のケントスがメディアを通して全国に知れ渡ったので、地方に出来れば自然に繁盛するサイクルが出来上がった。地方だけでなく、六本木でも、日拓「LOLLIPOP」やノバグループ「最後の20セント」など10軒以上の50年代のオールディーズ音楽のライブハウスがひしめいた。
<続く>
全文(有料会員様専用)の見出し
・コンセプトを守りながら時代に合わせる
・ボトルキープからワイン、カクテルへ
・カップルを仲良くさせるケントス効果
(写真7点、約4千文字)
【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2009年7月15日執筆