フードリンクレポート
飲食に勤めたら、どんなことがあっても社長になろう!
八百坂 仁氏
株式会社 駒八 代表取締役
駒八本店の前で、八百坂仁氏。
・昭和50年、夫婦で高円寺に7坪で創業
八百坂氏は北海道室蘭市で生まれ、18歳で上京。大学に通いながらニユートーキョーの数寄屋橋のビアガーデンでアルバイト。
「アルバイトで食事が出るのが飲食業だったというのが単純な理由です。食券がもらえて、おかずは1品だけでしたが、ご飯、味噌汁、お新香が食べ放題。当時は食べていくだけでもままならない時代でした。」と八百坂氏は言う。
サラリーマン時代を経て、結婚し、店舗を構えたいという奥さんの影響もあり独立開業。当時、まだ走りだった居酒屋業態に挑戦した。
「独立の勉強の為、サラリーマンをやりながら、新橋の蕎麦屋でアルバイトをしました。当時、立ち食い蕎麦屋かカレー屋というのが脱サラの定番。でも、アルコールを売った方がメリットあるだろうと考え、高円寺で7坪の居酒屋『酒蔵 駒八』を開業。知人の調理人に手伝ってもらい、焼鳥、揚げ物、刺身を作り、お酒を出しました。7坪にベンチシートを作り、20席も作った。客単価1200円で、お客様が1日100人。12万円売りました。調理人と、僕が横で材料出し、洗い物、お燗付け。かみさんは、外で接客。たった3人で12万円です、今でも繁盛店と言えると思います。」
そして、高円寺で2軒目をオープン。
「順調でしたが、子供ができ、かみさんが家に入ることになったので高円寺での商売を辞め、一店舗で大きめのところへ店を移そうと思いました。どうせ人を使わなきゃいけないなら、山手線の内側に出ようと。新宿駅西口の地下飲食街に物件がありましたが、既に居酒屋が入っており、家主からバッティングしないよう洋風居酒屋ならいいよと言われましたが、お断りしました。同じ不動産屋さんの紹介で、当時景気の良かった日本電気さんの本社がある田町に最終的に落ち着きました。」
駒八本店 外観。
全文(有料会員様専用)の見出し
・昭和55年、日本電気のある田町に移転
・バブル崩壊まで、厨房に社員5人
・50年続く老舗居酒屋にしたい
・60歳から恩返しの「居酒屋経営塾」
・やるならば社長を目指そう!
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