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フードリンクレポート


ビヤホール復活の立役者。
お客が求めるのは、個室ではなく解放感。
山崎 範夫氏
株式会社サッポロライオン 代表取締役社長

2009.9.16
明治32年(1899年)8月4日、東京・銀座に日本初のビヤホール「恵比壽ビヤホール」開店から、サッポロライオンは今年で創業110周年を迎えた。下火の時期を乗り越えて、「ビヤホールの復活」を成し遂げたのは、同社初の生え抜き社長となった山崎範夫氏。近年若者の来客や就職希望者が増えているという。復活ストーリーを山崎氏に聞いた。


自身の人形を持つ、山崎範夫氏。人形は全国のライオン店舗に飾られている。

慶應大学からアルバイトを経て入社

 山崎氏は、昭和50年にサッポロライオンに入社。当時、慶應義塾大学出身で外食企業を選ぶのは非常に珍しいことだったろう。また、学生時代に2年間、卒業後も就職せずに2年間、サッポロライオンのビヤホールでアルバイトしていたというライオン一筋。しかも、歴代サッポロビール本社から社長が送り込まれてきたが、2003年に初の生え抜き社長に就任した。

「学生時代は慶早戦(銀座ではこう言いました)が終わったら銀座へ繰り出していました。銀座5丁目や7丁目のライオンは老舗で高くて若者は行けなかった。OBの銀座の旦那衆に付いていってご馳走になるのがせいいっぱい。そこで、ビヤホールで働いたら酒も飲め、飯も食えるかなと単純な理由でアルバイトを始めました」と山崎氏。

「就職は、マスコミを目指していましたが、結局、就職せずにアルバイトを続けました。その頃の支配人が早く社員になれと、上に掛け合ってくれてサッポロライオンに入社しました。働いている人がカッコ良かった。蝶タイ姿や、さっそうとジョッキを運ぶ姿にあこがれましたね。劇団上りや元バーテンダーなど様々な職業を経験した人と一緒に働くことがとても楽しかったです。」

「お客様からも徐々に山崎君と呼ばれるようになり嬉しかったです。しかも、銀座という場所柄なので普通の人では話が出来ないような有名人もお客様に多かったです。そんな方々からありがとうと言われる。どんどん気持ちが盛り上がっていきました。」


75年経って今も輝く、ビヤホールライオン銀座七丁目店。


全文(有料会員様専用)の見出し
初の生え抜き社長に
「ビヤホールの復活」宣言
外食経営はビールジョッキと同じ
世代を超えるライオンビヤホール
OB・OGも大切にする
新しい形のビヤホールを作る
(写真8点、約6千4百文字)

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2009年9月3日取材

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