株式会社ブグラーマネージメント 代表取締役社長 永田雅乙
現在、18社、約650店のコンサルを請け負っている。
14才でアルバイト
曽祖父が小学校3年で亡くなる。大映の倒産、新たに映画製作会社を設立するなど亡くなる直前まで勢力的に活動していた。火の消えてしまったような永田家を見て、永田は、何か行動せねばと、慶応中学に通いながら働くことを決意。あらゆる店舗に飛び込みで職を探した。彼を雇ってくれた唯一の店が飲食店、原宿のレストランバー。厨房の下働きだ。部活もやらず、学校もさぼって、日曜日も毎日働いた。1ヶ月働いて4万5千円。中学生にとっては大金だ。意地悪な先輩からは、掃除の終わった便器を指差し、「ちゃんと掃除できてるなら、舐めてみろ」といじめられた。すぐ上の先輩に守られて、1年が過ぎた。
オーナーから「2号店を作ってみろ」
飲食の楽しさを知った永田は、15才で様々な飲食店を渡り歩き見聞を広める。働いていた表参道の創作イタリア料理店のオーナーから、「2号店やってみるか」と声を掛けられる。物件は原宿の裏の方に決まっていたが、後は好きにやってよいと言われ、和の盛り付けと和の調味料を使った創作フレンチを思いついた。「当時は、バブル景気だったんで、オーナーは失敗すると分かっていて任せてくれた」と彼は振り返る。しかし、世の中は甘くない。3ヶ月間、火の車。オーナーに相談すると、10万円渡されて、「飲食の本を読め」。
16才の天才レストランプロデューサー誕生。
本に書いてあった、ビラ配りを実行。手書きのビラを大量にコピーして、店頭だけでなく、近所の会社に配りまくった。エリア毎にレスポンス率を見て、効率的に撒くことを学んだ。すると、6ヵ月後にブレイク。求人誌をみて来てくれた若い料理長も大当たりで、リピート客で大賑わい。ファッション誌に「16才の天才レストランプロデューサー」と取り上げられ、テレビ局がやってきた。折りしも、創作料理とデザイナーズ・レストランの時代。テレビの情報番組のグルメナビゲーターとしてもてはやされ、プロデュースの仕事が多数舞い込んできた。やる店、やる店、全てが当った。有限会社を作り、従業員も40人を抱えるまでになった。実際には、自分で考えるのではなく、専門家に聞きに行ってはそれを伝達するという恥ずかしいレベルだった。
経営に自信喪失、広告会社の社員に。
「生意気だったんですね」と永田。気が付いたら、テレビから声がかからず、当時の知り合いは、潮が引いたかのように消えていった。慶応大学を卒業後も、レストラン・プロデュースの仕事は続けていたが、40人いた従業員が一気に辞めて8名に。「辞められたことが今までで最も辛かった」と振り返る。この仕事は単発で、先の売上が読めない。23才まで8人でやってきた。しかし、経営の不安の重圧に耐えられず、電通テックに入社。2年間だけ働く決意で、5人の従業員には残ってもらい、会社は存続させた。
広告会社で知り合った有線ブロードが転機に。
USENが経営する不振店建て直しの仕事に出会う。これを機に、電通テックを退社。半年で月商3千万円を宣言。300坪でカラオケボックス、ビリヤード、ダーツを揃えた巨大店舗。メニューの見直し、従業員教育、ファサードの改装と手を加えた。得意のビラ配りで当てた。ビラを持ってきてくれた方全員に2200円のハウス焼酎ボトル1本プレゼント。レスポンス率7%で、行列が出来た。月商6百万円が12月には3千万円にアップ。ウェディングも積極的に誘致し、招待客全員にボトル1本をプレゼント。お客を獲得できるチャンスは全て狙った。2月には3千3百万円と更にアップしていた。
会社を乗っ取られた!
株式会社ブグラーマネージメントを設立し本格的にコンサルタント活動を始めた。「ブグラー」とはラッパ吹きの意味で、曽祖父の異名から取った。顧問料が毎月入ってくるコンサルタントビジネス。プロデュースし出店させた後、1年間経営をみるという手法で順調に顧問先を伸ばしてきた。ところが、昨年、騙された。資本を入れさせてくれとやってきた男に気を許し、気が付けば、会社から追い出されていた。慌てて同名の会社を作り、取引先と従業員に事情を話して、何とか自分の所に来てくれた。「まだまだ甘い」と自己批判。
現場の強みを武器にじっくり会社を育てたい。
今は、ハートランド(らーめんむつみ屋)など18社、約650店のコンサルを請け負っている。「味の手帳」「ホテレス」などで長くライターを務めた料理業界のドン、吉川静江氏を役員に迎え、有名シェフとのコラボレーションも得意とする。「会社を大きくして、船井総研さんのように株式上場を目指したい気持ちもあるが、義理人情を大切に、じっくりコンサルタントを育てたいとの思いの方が強い」。30才を迎えた永田雅乙は、14才からの波乱万丈の人生を振り返りながら答えた。
飲食を通して、懸命に生きることを伝える伝道師だ。
30才にしては様々な経験を重ね、持ち前のポジティブ精神を武器に走り抜けてきた。この経験を、飲食コンサルタントやメディア出演を通して、多くの人々に元気を与え続けて欲しい。「若造でも話を聞いてくれたのは、永田ガッパの曾孫だから」と謙虚に答えるが、曽祖父を追い抜く日も近いだろう。最後に、永田家の家訓を紹介する。
「たらいの水」
水を掴もうと自分の方に掻くと、水は向こう側にこぼれていく。向こう側に水を押しやると、自分の側に2倍のスピードで戻ってくる。相手のために動いてあげれば、自然と自分の方に利は付いてくる。
永田 雅乙(ながた まさお)
1976年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。
コンサルタント事務所「株式会社ブグラーマネージメント」設立。
現在、数多くの店舗プロデュース、コンサルタントを手掛けている。
日経レストランなどの雑誌での執筆、講演活動、TV番組出演などメディア出演多数。
現在、『日経レストラン』で「永田雅乙の必勝販促術!」を連載中。
また、文化放送の『くにまるワイドごぜんさま〜』では、
毎週火曜日に放送中の「株式会社野村コンサルタント」のコーナーで準レギュラーとして出演中。
株式会社ブグラーマネージメント http://www.bugler-m.co.jp/index.html
インタビュー&執筆 安田正明 2006年3月17日