フードリンクレポート

南インド料理が熱帯夜の季節とともに人気沸騰中

06.30
  夏の食べ物といえばカレーを思い浮かべる人も多いだろう。そして今年のカレーのトレンドは、札幌スープカレーに代わって、南インド料理が急上昇している。南インド料理はご飯によく合い、米を原料にした新食感のパンもたくさんある。また、ベジタリアンが多 い地域であることから、野菜料理が発達している。ヘルシーで米の味を引き立たせる、南インド料理の魅力に迫ってみたい。


ポテトの炒めものを包んだ「マサラドーサ」

ITの急成長と米食文化で注目される南インド

 南インド料理がブレイクしている。

 先頃発売された、雑誌『ダンチュウ』(プレジデント社)では、南インド料理を前面に出す特集が組まれ、その中でもトップに紹介された東京・京橋にある「ダバ・インディア」という店などは、東京のインド料理の店の中でも、1、2の繁盛を見せているようだ。

 それにしても、なぜ今、南インド料理なのか。わざわざ“インド料理”の前に、“南”
を付けなければならないのか。

「インドは今、IT技術で伸びているのですが、その中心地バンガロールは南インドにあるんです。東京にもたくさんの技術者がバンガロールから来ています」と東銀座の人気南インド料理店、「ダルマサーガラ」のオーナーで、ディーディーズ代表の山田尚美さん。


「ダルマサーガラ」店頭

 日本でも中国の国力アップ、特に上海の発展により、上海租界をイメージした内装の上海料理店が増えている。また、中国料理にも、広東料理、上海料理、北京料理、四川料理、台湾料理など、地域によって違った料理があることが、最近知られてきている。

 それと同じような現象が、インド料理にも起こってきたと考えていいだろう。

 南インドと呼ばれる地域は、一般的にインド国内、インド亜大陸南部の5州を指し、バンガロールのあるカルナータカ州のほか、タミル・ナドゥ州、アーンドラ・プラデーシュ州、ケララ州、ゴア州がある。

 タミル・ナドゥ州には、自動車産業や金融の中心である、南インド最大の600万人超の人口を擁する大都会、チェンナイ(旧名・マドラス)がある。

 ちなみに南北を合わせたインド全体の最大の都市は、人口約1600万人、経済、映画産業の中心ムンバイ(旧名・ボンベイ)で、次に英領インド時代に1912年までに首都だったコルカタ(旧名・カルカッタ)、現在の首都圏のデリー(首都・ニューデリーを含む)、チェンナイと続き、それぞれ西部インド、東部インド、北インド、南インドの中心都市だ。チェンナイの次に大きいのが、バンガロールである。最近はデリーとバンガロールの人口の伸びが顕著で、ムンバイ、デリー、バンガロールの順とする統計もある。

 アーンドラ・プラデーシュ州のハイダラバードは、バンガロールと並ぶインド有数のハイテク都市だ。ケララ州は南インド最大級の貿易港コーチン(コチ)を擁し、識字率も高くやはりハイテクで伸びている。ゴア州は1961年までポルトガル領だった地域で、ヒッピーとトランス音楽の聖地である。また、5州とは別に、インド中央政府直轄地の旧フランス領ポンディシェリがあり、フランスやベトナムの文化の影響を受けた地域だ。

 これらの都市名は、日本ではあまり知られていないが、今後レストラン業界で注目される可能性が高いので、知っていて損はない。

「インドを大きく北インドと南インドに分けると、北はパンジャブ地方の穀倉地帯を抱え、小麦を中心とした粉食文化圏です。それに対して、南は米食文化圏ですから、基本的に『ナン』は食べないんです。それに南は言葉も人種も、北とは違います。南のチェンナイの人にとって、北のデリーの人はまるで外国人です」と、横浜のインド料理レストラン「ガネーシュ」の石原幸雄店長。

 言語の問題だが、南の5州では、インド先住民のドラヴィダ語族の人々が多く住む。タミル・ナドゥ州はタミル語、カルナータカ州はカンナダ語、アーンドラ・プラデーシュ州はテルグ語、ケララ州はマルヤーラム語が主に話され、インド全体の公用語であるデリー付近のヒンディー語よりも、英語のほうが通じるほどである。

 一方、北インドではインド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に属する、ヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語などが話される。人種も今はドラヴィダ系と混血しているが、中央アジア付近から紀元前15世紀頃に侵入したヨーロッパ系アーリア人である。

 そして、今まで日本では、北インド料理が、いわゆる“インド料理”として紹介されてきたのだ。だから今、もう1つのインド料理、南インド料理に注目したいのである。


チェンナイの5つ星ホテルの味が日本で楽しめる

 南インドは広く、その総人口は日本のほぼ2倍、約2億3000万人に達する。当然、5州によって食べ物の郷土色も豊かだし、日本では理解しにくいインド特有のカーストという階級によって、食べるものが違う問題がある。また、ヒンドゥー教徒が多いといっても、イスラム教徒やジャイナ教徒、キリスト教徒など、さまざまな宗教の信者が住んでおり、食べ物の禁忌も宗教別に違う。ヒンドゥー教徒は牛を食べないし、イスラム教徒は豚を食べない。

 しかし、ドラヴィダ文化圏という共通の基盤があるため、1つのくくりで考えていい。

「ダルマサーガラ」がオープンしたのは3年前であるが、「南インドがITでこんなに注目されるとは、当時は考えもしなかった」(山田さん)という。

 そもそも山田さんは、仏教関係の仕事に従事しており、インドやネパールに美術品などの買い付けに年に1、2度出掛けていたが、南インドの料理をいちばんおいしいと感じたので、レストランを出してみようと思ったそうだ。

 隣にチベット密教美術のギャラリー「多羅庵」があるが、こちらも山田さんのディーディーズの経営である。

「ダルマサーガラ」では、チェンナイの5つ星ホテルのレストランより、インド人シェフを招いており、現地の高級ホテルの味が日本で楽しめる店である。インドテイストの食器やインテリアは、山田さんがそろえたものだ。

 南インド料理の顔といっていいのが、定食「ミールス」である。これは2〜3種のカレーと、ヨーグルトサラダの「ライタ」、ライス、「プーリー」と呼ばれる全粒粉の揚げパン、「パパド」と呼ばれる揚げせんべい、酸味のきいた辛いスープ「ラッサム」などがセットになったものだ。同店では、3150円と2200円のセットがあり、きれいな銀のプレートで運ばれてくる。驚かされるのは、使われている食材の多さである。1つ1つの料理が非常に手が込んでおり、シェフがほとんど1人で仕込んで調理しているそうだから、仕事の早さは推して知るべしである。


定食「ミールス」

 カレーは最近、健康にいい食品としてよくテレビ番組に登場するが、インドでは医食同
源の考え方が浸透している。よく1日に30品目の食品をバランスよく食べるのが大事だと言われるが、これなら自然に30品目は軽いだろう。

 スパイスだけでもかなりの種類が混ざっている。そもそも、カレーの黄色い色はターメリックが基本になっている。ターメリックは漢方では、ウコンと呼ばれ、浄血、消炎などの効果がある。止血効果もあり、インド料理店の厨房では、手を切ったときなど、ターメリックで傷口を塞ぐ。ターメリックに限らず、コリアンダーやタマリンドにデトックス(解毒)作用があるなど、それぞれのスパイスは薬でもある。

 また、熱帯、亜熱帯地方にある南インドの気候から、ヨーグルトなど体温を下げる食品が多い。酸っぱい味の料理は、熱いときでも食欲が増進する効果もある。

 薬膳を意識しない薬膳と、言っていいだろうか。


ベジタリアンでもボリュームのあるメニュー

 南インド料理の良さは、ベジタリアンであっても豆などを効果的に使って、ボリューム感とバラエティに富んだ料理が食べられることにもある。

「ミールス」では、非常に多くの野菜が使われているが、南インドではベジタリアンが7割を占めるという。これは、殺生をよしとしない、インド伝統の宗教観、哲学によるもので、インドでは南に行くほど、この考え方が強くなる面がある。インド独立の父マハトマ・ガンジーも、アヒンサー(非暴力・不殺生)を主張して、菜食を実践していた。

 ただ、インド人には非ベジタリアンもいるし、ベジタリアンにも禁忌の範囲に差がある。一般的にインド人のベジタリアンは乳製品は食べるが、欧米人の厳格なベジタリアンは、乳製品も口にしない。カーストによって、タマネギやニンニクを食べない人もいる。

 ベジタリアンの中には、肉を調理した鍋や包丁を使っただけでも、一切、出された料理を口にしない人もいる。

「ダルマサーガラ」では、鍋など調理器具は野菜用と肉用に分け、ベジタリアン向けには禁忌の範囲を聞いて調理するなど、菜食ニーズに対して細心の注意を払っている。また、宗教上問題になりそうな、牛肉と豚肉の料理は出さないようにしている。イスラム教徒に対しては、宗教上の正式な屠殺方法で処理した、お祈りを済ませた肉を使っている。

 米の粉を原料としたさまざまなパンの類も、南インド料理の楽しみの1つだ。「ドーサ」と呼ぶ一種のクレープは、「サンバル」という豆と野菜の煮込みカレー、薬味の「ココナッツチャツネ」を付けて食べる。これはなかなかの美味である。「ドーサ」にポテトの炒めものを包んだ「マサラドーサ」も人気だ。

 また、「イドリー」は一種の蒸しパンで、南インドではよく食されているものだ。

 この店では北インドで特徴的な、タンドリー(窯)を使った、「ナン」や「タンドリーチキン」は提供されないが、「ドーサ」、「イドリー」のようなカレーに合う新しい食感の米を原料としたクレープやパンがあり、これはこれで魅力的である。

 22席と余り広い店ではないが、シェフの奮闘ぶりが非常によくわかり、値段もそう高くはない。本場のホテルの味に触れるにはいい店である。

 ランチは1050円の「ミールスランチ」などがあり、3回転ほどする人気ぶり。夜も予約をしないと入りにくい状況になっている。

 顧客層は美容に関心のある女性客、ヨーガやアーユルヴェーダ(インド伝統医学)の関係者のほか、日本で働いているインド人、ベジタリアンの欧米人の来客も多い。

 時に、地域料理のフェアや、ドーサフェアなども行うので、南インド料理の入門者にとっても、さまざまな料理の情報が得られる貴重な店と言えるだろう。


日本人シェフによる南インド料理店の草分け

  横浜市の郊外、山手から移転したフェリス女学院大学の近く、相模鉄道・緑園都市駅の駅前に1992年にオープンした「ガネーシュ」は、南インド料理を主体に提供するインド料理レストランだ。

 日本の南インド料理店としては、草分けの1つで、ランチの「ミールス」などをブームになるずっと前から提供している。この店では、「ナン」や「タンドリーチキン」といった、北インドに特徴的なタンドリーを使う料理を一部取り入れているが、それ以外はすべて南インド料理の店である。

「日本人は、イギリス人が発明したカレーパウダーを通して、カレーを知ったわけで、インドと言えばカレーというイメージはイギリス人がもたらしたんですね。日本のインド料理は、昭和30年代からできてきましたが、一般的に北インドの穀倉地帯パンジャブの料理と、昔のムガール帝国の宮廷料理をミックスした感じですね」と石原店長。

  ムガール帝国は中央アジアから侵入した、チンギス・ハンの子孫が14世紀に建国したイスラム教国で、北インドを支配、1858年にイギリスに滅ぼされるまで続いた。最大勢力時でも、インド南端のケララ州やタミル・ナドゥ州には、ほぼ支配が及んでいない。有名な「タージ・マハル」は、ムガール時代の遺産で、北インドの古都アグラにある。

 初期のインド料理店には、銀座の「ナイルレストラン」、麹町の「アジャンタ」のように南インドの料理をベースにした店もあった。しかし、日本人が観光に行く、「タージ・マハル」、ヒンズー教の聖地・ベナレス、仏陀ゆかりの地・ブッダガヤなどは、北インドにある。日本人はこれまで、南インドの人と交流する機会が少なかった。それで、北インドの料理が主流になっていったように思われる。しかし、状況は一変した。

「ガネーシュ」では、南インドの現地の味を正確に再現するのでなく、南インド料理のテクニックを守りつつ、日本に根ざした南インド料理を提供することを目指している。テクニックとは料理の作り方が正しく、菜食が主流である、乳製品よりココナッツ油を多用するなどといった南インド料理の特徴が、きちんと出ていることを指す。

 それは、現地の素材をすべてそろえるのが不可能だからでもある。南インドではロングライス、ジャポニカ米、黒米、赤米、もち米などいろんな米が取れるが、同店では「ミールス」に使うライスは日本の米である。また、タマネギやニンジンも、現地のものは日本のものとは相当違うが、日本で採れた野菜を使っている。南インド料理に欠かせないハーブ、「カレーリーフ」は、沖縄で栽培したものを使っている。

 石原店長には「シラスビリヤニ」なる料理をつくってもらった。「ビリヤニ」とは一種の混ぜご飯だ。これは逗子の小坪漁港のシラスをトウガラシと共にカリッと炒め、インド産のビリヤニ専門高級米「バスマティ」のライスの上に乗せたもの。よく混ぜて食べる。もちろん、シラスなどインドにはないが、「ビリヤニ」のテクニックを使った、あっさりした食べやすい料理だ。

 その他、南インドの味噌汁のような辛いスープ「ラッサム」、南インドでよく飲まれる黒砂糖入りの上品で甘い「ミルクコーヒー」、デザートに植物性脂肪のアイスクリーム「クルフィー」といったものをいただいたが、どれも日本人の口には合いやすそうな食べ物であった。



インド人主婦の料理研究家が開いた店が大繁盛

 都内は港区、東京メトロ日比谷線神谷町駅にほど近い「ニルヴァナム」は、ケララ州出身でバンガロールで育った、ヴィーナ・ラージさんが、昨年10月にオープンした、南インド料理専門のレストラン。


「ニルヴァナム」店内

 ランチは12品を1100円の食べ放題のバイキングで提供し、デザートまで付くので、非常に人気がある。ディナーも今は、予約したほうが無難なようだ。

 ヴィーナ・ラージさんは、建築家だったが結婚して5年前に来日、茶道や華道、書道を習って、日本の文化に触れる一方、趣味の一環で南インド料理を教えはじめた。これは好評で、30人ほどの生徒が集まったそうだ。


ヴィーナ・ラージさん

 そのうちに、レストランを出してみたらとの要望が多くなったのが、オープンした動機だという。元はオフィスであったが、内装は自らデザインし、テーブル、椅子などのインテリアはインド現地で買いつけるなどしてそろえた。今は忙しくなりすぎて、料理教室は休止している。

「ケララ州は海に面しているので、魚を使う料理が多いです。ココナッツは生でよく使います。バンガロールは大都会なので、東京のようにいろんな州の料理が食べられます。『ドーサ』の屋台なんかもありますよ。南インドはお米の料理が多くて、北インドのように小麦でつくる『チャパティ』なんかは食べないです。カーストによっても、地域によっても食べるものが違って、インド人の私でも知らないことが多いですよ」。

 彼女によれば、「ミールス」でよく提供される「サンバール」というスープにしても、州によって、州の中でもその地域によって、その土地で採れる素材を使うので、味が違うそうだ。食べ方もライスと一緒に食べる地域もあれば、「ワダ」(豆のペーストのフライ)と一緒に食べる地域もある。

 つまり、ケララ州の「サンバール」とチェンナイの「サンバール」は、かなり違ってい
たりするので、たとえばチェンナイの「サンバール」になじんだ人が、他の地域のものを食べて本物じゃないと断じるのは、違うということだ。

 そうした差異を包み込む、奥深さこそ、ドラヴィダ文化数千年の歴史なのである。

 彼女には、「グリンピースマサラ」のカレーを、鍋の形をしたもっちりした米からつくったパン「アーパム」と、「ヌルプット」という米からつくった麺に付けて食べる食べ方を教わった。カレーの食べ方も、本当にいろいろあって、面白い。


右が、「ヌルプット」という米からつくった麺

 ひよこ豆の「パリープ・ワダ」は、ミントソースに付けて食べるおやつ感覚の料理だ。


ひよこ豆の「パリープ・ワダ」

 南インドの高級ホテルの料理を出す「ダルマサーガラ」、日本人シェフが日本に土着した南インド料理を生み出そうと試みる「ガネーシュ」、南インド出身の主婦が趣味の延長線上で開いた「ニルヴァナム」。これら3つの南インド料理の店は生き方がまったく違うが、日本が外国の料理を受容する際の、典型的な3つのパターンを表しているように思われる。

 どうも、南インド料理は、他の料理と違って、少数のファンの間でマニアックな正統派論争が激しいようである。ベジタリアンや宗教の信者が、厳密に食べ物を選ぶのはわかるのだが、謎めいた世界だ。しかし、実際に店に取材してみると、日本の食を豊かにしてくれるような要素がたくさんあるし、3店とも明快なポリシーで運営している店だった。

 それに今や、一般のOLやサラリーマン、家族連れ、カップルが、気軽に食べに行く店に変貌しつつある。

 話は飛躍するようだが、秋葉原のメイド喫茶は数年前までは、ディープなオタクしか行かず、常連客同士や常連客とメイドや経営者が、何が正統なメイド喫茶、メイドのあり方なのかという問題を巡って、「2ちゃんねる」で暗闘を繰り広げた歴史を持っている。

 しかし、今やすっかり大衆化して、誰もそんな話題には興味を示さなくなった。

 マニアックながら爆発力を秘めているジャンルでは、大衆化する過程で正統派論争が起こる場合があるが、過渡的な現象であろうと考えられる。大衆化すれば、店がどんどんでき、「2ちゃんねる」など読まない一般の人が増えて、誰も制御できなくなるからだ。

 日本のフランス料理の巨匠は、日本の魚介類や和牛などをうまく使って、フランスにないメニューを提供している。横浜中華街の広東料理の高級店は、平気で四川料理の「麻婆豆腐」を提供している。それで誰も文句を言わない。大衆店でも同様である。

 いずれ南インド料理も、そうなるだろう。バンガロールなどのIT産業のブレイクは、本物である。決して一過性のブームではない。

 国語学者の大野晋は、タミル・ナドゥ州で話されるタミル語が、日本語のルーツであるという学説を提唱した。日本と南インドの文化は意外に近い面があるのかもしれない。

 ならばその秘めた魅力、爆発力は、もっと注目されていいと思えるのだ。

取材・執筆 長浜淳之介  2006年6月30日


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