・開業場所を求めて、東京から福岡へ。
今は福岡に住んでますが、生まれ育ったのが東京・品川なんです。
中学3年から野球部の先輩の家が経営する喫茶店でアルバイトをしたのが飲食との出会いです。高校を卒業し、開業資金を貯めるために。サラリーマンや水商売をしてました。後で役に立ったんですが、「つばめグリル」の厨房でも半年働きました。手作りの大切さを学ばせていただきました。
600万円を貯めて、東京で物件探しを始めたんです。当時、バブルのまっさかりで、こんな額で店を持てる訳がありません。そこで出会ったのが『雑草経営学のすすめ』(著者:大川守正)という本です。
・「初めての商売は絶対に地元でやるな」
本に書いてあった一文に目が止まりました。人生に大きな転機を与えてくれたんです。
東京から西へ西へと流れ、魚と自然の豊な福岡にたどり着きました。全く知っている人がいませんでした。手持ちの資金で喫茶店を始めました。13坪のハンバーグ&カレーの店。「つばめグリル」で学んだハンバーグが役に立ちました。また、スパイスだけで作ったカレーは、「二日酔いでも食べられるカレー」をセールストークに、800円という高い値段でしたが、ウケました。また、夜はカラオケです。こちらも大ブレークです。DJパブなどナイト業態だけで4店に拡大しました。
資金を貯めて始めたのが居酒屋です。元々、食べ物屋をやりたかった。ナイト業態は一生できる商売ではありません。親や兄弟を連れてこられる店をやりたかった。
・平成4年12月に1号店。
「居食家あ・うん」です。今の本社のあるビルの地下で30坪で始めました。繁華街から離れた寂しい立地で、1〜3月は悲惨な売上でした。しかし、3月から同業者が来だし、4月半ばから火を吹きました。
水商売をやっていたんで接客が得意なんです。居酒屋では接客なんてどこも考えていませんでした。メニューが盗まれ始め、今から思うと「コジャレ居酒屋」のはしりだったんです。居酒屋なのにクリスマスイブに200名以上を集客し、12月の売上が1000万円に達しました。
1号店の「居食家あ・うん」舞鶴店
「あ・うんのぬくぬく家」姪浜店
「あ・うんのぬくぬく家」博多店
・大島啓介の影響で、東京へ出よう。
20周年の時に引退のシナリオを描いていました。しかし、去年、居酒屋甲子園に出会いました。
「なんだ、この熱さは!」と思い。もう1回やってやろう、と思いました。20周年記念パーティーを第2の創業とし、知らない土地、東京にチャレンジすることを決めました。
実は息子も大島さんの「てっぺん」で修行したんです。その際に、彼は2時間の個人面談を受けました。泣いたそうです。「真剣にやってない自分が情けなく思った」と私に漏らしました。その後、息子は見違えるように変わりました。私は大島教の信者ですね。
今年の8月に渋谷の道玄坂を上りきった、しかも人通りが殆ど無い路地に物件を紹介されました。1号店のイメージがダブりました。はずれでもイケる。「わざわざ店」を作ろうと思いました。
「博多ぬくぬく家」東京渋谷店
「博多ぬくぬく家」東京渋谷店 店内
・渋谷に「博多水炊き餃子」。
当初は、福岡・天神の「あ・うんのぬくぬく家」をそのまま持って行こうと考えました。しかし、この業態は調理場に4人も必要なんで難しい。モツ鍋もブームに乗っているようで面白くない。
元々、餃子が好きだったんで、餃子で何かできないか、と考え始めました。餃子鍋というのが昔からありますが、醤油ではなくて、白濁した鶏スープでやると美味いことを発見したんです。京都の白醤油をちょっと加えると、味がポンと突き抜けたんです。
この「水炊き餃子」で勝負しています。お蔭さまで非常に売上が良いです。客層も20代から60代まで幅広く、手ごたえを感じています。60席ですが、9月末には初めて日商40万円を超えました。
白味噌のモツ鍋も美味いですよ。最後に、チーズを加えてリゾット風に仕上げます。女性にウケています。
東京で最低5店は出したいですね。
55才までめいっぱい走ります。後は、沖縄で自分で店に立ってモツ鍋店をやるのが夢です。海が好きなんです。その際は、東京は息子に任せて、福岡の店は全て従業員に分け与えようと考えています。
銀杏の塩煎り
ぐつぐつ博多がめ煮
博多長茄子の焼きびたし
熊本直送!生馬刺盛り合わせ
取材 安田正明 2006年9月30日