米国の消防士の賄い料理を紹介する本『FIREHOUSE FOOD〜COOKING WITH SANFRANCISCO’S FIREFIGHTERS』
・アメリカ立て続けの惨事の中人は何を食べて生き延びたのか
1年のうち数ヶ月をアメリカ、カリフォルニアにて生活するようになって数年経つ。特にこの数年、9・11のワールドトレードセンターのテロ事件をはじめとして、ニューオリンズの災害など記憶にまだ生々しく残る歴史に残る規模の出来事が多く起こった。 TVのニュースでは連日その様子を刻々と伝えた。人々は連日連夜ドキュメントを含めて放映される現地の様子にTVの前に張り付いて緊張の日々を過ごした。
そのなかで、ひとつとても驚いた事がある。災害地の食事事情である。
いきなり起きる災害では充分な食料が事前に確保出来るわけも無い。ところがである。凄まじい状況下の現場をレポートするニュースアンカーの声に耳をかたむけると、そこには驚くべき事実があった。目が突然釘付けになった。
・汗まみれで大活躍中国系アメリカ人のスターシェフ崖っぷち苦肉の作の一品は
アメリカでスターシェフと言われるある中国系のアメリカ人がとあるキッチンで腕をふるって食事を作り、警察官や救助にあたる消防署の面々に振舞っていた。まだ災害が起きてから何日もたっていないし、彼はニューヨークで活躍中のはずだ。
材料は冷凍庫に残っていた唯一の肉。ばかでかい牛肉のすね肉のかたまりを解凍して一晩煮込んでそれは美味しい一品に変身させていた。ほかほかの出来上がったばかりの火傷しそうに熱くって豪快な料理を、おとなしく順番を待つFDやPDのごつい大男達にこれ以上皿に盛れないところぎりぎりまで盛り付けているのだ。
凄い! 日本でも同じことができるのかしら。 あんな有名シェフがわざわざ瞬時に駆けつけるなんて。この突然の惨事にいてもたってもいられなかったのか。
汚れた上着の袖で流れる汗を拭きながら、次々に手渡す皿に礼を言う人々。「こちらこそ」と返すシェフ。アメリカをちょっと見た気がした。
後日のドキュメントでも又ボランテイアで即効駆けつけた調理師が言った。「あるもので作るのよ。ピーナツバターと鶏肉しかなくても、それでもみんなを満足させる食事を何とか作るのよ。勿論よ!」と。頬が興奮で赤くなっていた。
はっきりと言い切る言葉。どこからその自信が来るのだろうか。
アメリカ人を喜ばせるって難しい。何故ってそこには色んな国籍の人もいれば、年齢の幅もあるので、全ての人々を満足させるなんてとっても困難なのである。
・命がけのヒーロー、ファイヤーファイターズ美味しい食事で団結そして大活躍!
『FIREHOUSE FOOD〜COOKING WITH SANFRANCISCO’S FIREFIGHTERS』から
過酷な状況下、懸命の捜索、救助に働くFD(FIRE DEPARTMENT)、の彼らにとって、必ず一日3回やってくる食事の時間は、こんな時こそ余計に楽しみであり、大切な憩いの時間なのであろう。ニュースを見ているとそんな中つかの間に見せる笑顔がとても印象的だった。温かい心のこもった御飯を食べて、さあ又働くぞと思える瞬間がそこにはあるのだろう。
画面のこちら側までその笑顔がもたらす安堵は、素晴らしいと思う反面、日本人としてさて自分の国に置き換えてみると気持ちは複雑だ。
もちろん日本でも災害時には同じような状況になり、同じような温かい食事が振舞われているであろう。が、徹底した違いは次のような場合だ。
やはり日本は基本的には充分平和な国であるので、アメリカのように戦争や大規模なテロ事件などは起き難い。
アメリカで起きたテロ事件、記憶に新しい9・11では、日本人でも今までに聞いた事も見たことも経験したことも無かった事が現実に起きた。
映画ワールドトレードセンターでもわかるように、FDの消防隊員は命を投げ打っての救助活動に向かい、現実個々の意思によって命をかけた覚悟を問われる瞬間があった。 「救助に進むものは一歩前に出ること」の問いかけの重さとそれに答える気持ちの重さは計り知れない。
ここでも思った。特殊だ。こんな事って凄く特殊な状況だ。ここまでの愛国心(パトリオット)はどこから来るのだろう。
他人のために自らの命を引き換えにする覚悟って、一体どこから生まれてくるんだろう。 事実前に進み出たFDの隊員の多くは多国籍の人種であった。
色んな国の人の気持ちを一つにまとめ上げて、どうしたらこんな気持ちに到達できるようになるの? これって訓練の賜物?でなければ何故?
とても疑問が増えてきた。
・ある本との出合いが私の心を激しく揺さぶった。人生最後の食事って?
そんな時に、通っている料理学校(サンデイエゴにて)の書籍コーナーで、ある私にとっては衝撃的な本と出合うことになる。
それは『FIREHOUSE FOOD 〜COOKING WITH SANFRANCISCO’S FIREFIGHTERS』という本である。
『FIREHOUSE FOOD〜COOKING WITH SANFRANCISCO’S FIREFIGHTERS』から
サンフランシスコの消防署の一日二度のまかない食を取り上げた実際に調理の参考になるレシピー本である。実際の写真も豊富に盛り込まれて目を奪われた。
そして読み進むうちにそこに私の問いに対する答えを見つけることになった。
アメリカの殆どの消防署では、隊員自身が当番制で昼ごはんと晩御飯を作るようである。大体が24時間体制で勤務しているので、そのシフトに従って基本的には二食を署で食べるのが習慣のようである。 当番にあたった隊員はメニューを考え、買い物をして調理もする。まわりの人も当たり前のように手を貸す。
買い物は、びっくりしたが、消防自動車で行くらしい。それも自分の班のスタッフを乗せ半径一マイル以内の無線のちゃんと入る範囲内で見つけられるベストの食材を求めて。 近所の商店では、真っ赤な消防自動車が到着すると、その日の新鮮な選りすぐりの食材を売っててくれる。 勿論消防隊員はアメリカの国民にとって大切な人々なのだから店の人も良くしてくれるのだ。
消防署での食事時間は、過酷な消防活動を終えた隊員にとっての貴重なひと時。だから作る方も大変だ。何故って、ガタイのでかい、グローブの様な手をした大男達がぺこぺこのお腹を満たそうとして集まってくるのだから。
チリチリに熱いシチューや新鮮な野菜、各々の国の郷土料理を披露するものあれば、お袋の味を再現する者あり、様々である。
特にこの本の舞台であるサンフランシスコは食の街としても誉れ高い。太平洋に面した綺麗な海から取れる豊富なしシーフードに恵まれ、新鮮な農産物も充分に手に入る。
観光客だけでなく世界中に食の街としての評価が高い。そこで忘れてはならない存在が実にこの消防署のまかない御飯だとその本では語られている。
誇り高いモチベーションで隊員に心を込めて作られるその食事はある意味サンフランシスコの食の歴史とその姿を象徴していると言っても過言ではない。
答えに近づいてきた。どうして、そこまでちゃんとまかない御飯を作るのか。
「それは、その食事が最後になるかもしれないからさ」
生まれて初めて、本を読んで涙が出た。こんな覚悟と思いやりを持って食事を作った事なんか勿論ない。
でもアメリカにいるFDのみんなは自分の一生を捧げる覚悟で仕事を選んで身を投じている。だからこの人達は、もしかすると最後になるかもしれない食事を「作らせてもらっている以上、ちゃんと作ってあげたい」そんな気持ちなのかもしれない。
変わらず一年365日誰かがこんな気持ちで食事を作っているのって・・・凄いと思った。
これは日本と違うところかもしれない。ここまでにはなりようがない!
・食べると時はしまいなさい!その携帯、日本の若者、これで良いのか!
ある日のランチ。込み入った東京の定食屋で食事をする機会があった。となりの席では一人で来店した若い男性がオーダーの後に当然のように携帯を取り出す。メールのチェックかもしれない。その男性は食事が来てもまだ携帯を片手から離さない。結局食べ終わる最後まで。
何を食べているのかの意識があるのか。
ランチ定食でも作り手もいれば、ホールの人間も携わる。だめだ。 誰かが一生懸命作った食事を携帯片手に食べてはいけない。漫画もしかり。
青少年が道を踏み外したり、心が錆付いて来るとなぜが食事もいい加減になるように思う。 まわりにはあまりにも簡単にそして安価に食べ物が氾濫しているからさほど困らないのもあるだろう。 一人暮らしのサラリーマンやOLでも同じかもしれない。
食べることより優先する何かに進んで注ぎ込んでしまうと食がおろそかになる。こんな事で良いのだろうか。そして今何が欠けているのだろうか。
その答えも先ほどのアメリカの消防署のまかない御飯や災害時の食事を供給する話にヒントがあるのではないか。
みんなに喜んでもらえるようにと思う心の現われが、おいしいご飯作りなのだと。
・アメリカ料理研究家としての願い“愛する人のためにもう一度心を込めて”
日本においては、その食事が最後になるかも知れない職業自体は大袈裟で現実観がないかもしれない。が、せめて食事は、もう一度思いを込めて作ってもらいたい。
そして食べる人もせめて一瞬でも良いから真面目に向き合ってに箸を付けて欲しい。そして作り手の心が伝わったら、きっと良い循環になって、殺伐としたただ食べる行為から何かが変わっていくだろう。
豊富な食材を恵んでくれる自然と神への感謝の気持ちも自然に生まれて来るだろうと信じている。
日本では、あまり情報が伝わっていないのではないかとさえ思える、アメリカの食事情にスポットをあてて、個人的には古き良き時代のソウルフードを含めたアメリカ料理を草の根的に知ってもらうために料理教室を主宰している。
一般的なアメリカの食卓と、今まであまり知られるチャンスの無かった南部料理、多国籍フュージョン郷土料理を知れば知るほど、逆に日本の食をもっときちんと知りたい気持ちが深まった。
多くの疑問と葛藤する気持ちにまみれながら、幸せな国日本のきちんとした食事情がより良いものになります様に願ってやまない。
タイ人女性と私(中川)の写真。在米14年で移民してからついにラホイヤの高級住宅地にコンドミニアムを買うまでに。3年前に立ち上げたベーグルやが大成功。苦節14年です。
【執筆】 アメリカ料理研究家 中川 和子 2006年11月3日
1953年生まれ。結婚と同時に渡米。カリフォルニア・バークレー、ニューヨークに滞在。3人の子供の出産の合間に料理教室とレストランに通いまくる。異国の食材の面白さに鳥肌を立てて日々興奮しながら料理作りに励む。帰国後、アメリカン・フュージョン料理の教室を開催。現在もカリフォルニアと東京を2ヶ月毎に行き来している。