「カフェ・ブラン」のスモールケーキ
・オレンジカウンティーの日本式スウィーツ店。
たとえばNYに数年前開店した「レディーM」という日本のケーキショップはNYのアッパーイーストの富裕層はもちろん全国から支持されフェデックスでの宅配サービスも行っているほど。
普通トレンディーなスウィーツ店は都市の繁華街に開店するケースが多いが、一年半ほど前、ロス近郊のオレンジカウンティーという郊外の大型ショッピングセンターの一角に日本式のスィーツ店がオープンした。
立地がちょっと意外なだけでなく、話題性に富むのが、経営者がロスではとても有名な日本人のフレンチシェフ。通称「トミー・ハラセ」こと原瀬富久氏はロスで長年フレンチレストランを経営し、著名なフードライターをはじめ多くのお客様に愛されてきた有名シェフだ。
「トミー・ハラセ」こと原瀬富久氏
ロスから車で約50分、オレンジカウンティーのコスタメサ市の大型ショッピングセンターの一角の携帯電話屋の隣に「カフェ・ブランCafe Blanc」は位置する。ガラス張りのすっきりしたお店に入るとジェラートとケーキのショーケースが目に付く。
白を基調とするシンプルでモダンそして清潔感ある店舗のなかで24種類のジェラートと20種類ほどのケーキが鮮やかな彩りを添えている。35坪ほどの店舗のうちキッチンが半分以上を占め、売り場にはショーケースのほかにテーブルが3つあり、ケーキと飲み物をゆっくり楽しむこともできる。
営業は毎日12時に開店し、月曜日から木曜日は午後9時、金土は10時、そして日曜日は6時閉店まで通しで営業している。毎日朝の6時から夜11時までアシスタント一人を使ってトミー氏はすべてのケーキとジェラートを作っている。
・レストランを閉めて、しかたなくスウィーツ店に。
「レストラン『ヌーボー・カフェ・ブラン』をビバリーヒルズで経営していたとき、リース契約が終了近くなった。家主がビル全体を売却したいと聞いたので、自分が買うつもりでその旨伝えていたが、多分自分のようなものにそんな実力がないと思ったんでしょうね、他の買い手に売られてしまった。オリンピックコレクションなどいくつも商業物件を所有するサイナイさん。エスクロー期間中、リース更新の交渉を新オーナーとしたところ、べらぼうな家賃設定をいわれたので、数ヶ月しかリースは残っていなかったが、店舗を売ることにした。すると、もとの家主がやはり売ることをやめることになり、買い手との間で訴訟が起こり、店舗を売ることもできない状態となってしまった。更新できないままリースも終わり、店をたたまざるを得なくなった。
しかたなく、レジュメを方々に出したが雇ってくれるところがなかった。寿司店の友人が知り合いの不動産屋に物件探しを頼んでくれていたところ、レストランではないが、ペーストリー向けの物件があるを紹介された。初心に帰るつもりでスウィーツ店を始めることにした。」
・東京・赤坂「ビストロ山王」で修行。
「昭和32年生まれ、岐阜県出身。家が貧乏だった。19歳のとき東京に出てフレンチの修行を始めた。「ビストロ山王」という店。4年ほど勤めたときシェフが話しがあるというのでいくとパリに行ってみないかといわれた。そのころ給料は月たった3万円で貯金などする余裕がなく家に頼るわけにも行かず、とてもパリにいけるような境遇ではない、と話すとシェフが実はお前の給料は月6万だったが、若い者に全額わたすとすぐに使ってしまうので半分だけわたし、半分は貯金していた。利子も含めてそれが150万になってここにある、航空券は自分がプレゼントするといってくれた。
パリでは4年。「ギ・サヴォイ」や「グラン・ベーフール」という店で修行した。プロバンス、リヨンなどにも行った。また旅行でドイツ国境の近くのアルザスも行った。そこはジビエとリースリングワインが最高だった。
4年後東京に帰り、元のオーナーの紹介で銀座のレカンで勤めたが、フランス帰りということで先輩からはうるさく聞かれ、やりにくさを感じていたとき、ロスの「スパーゴ」で人を探していると聞きすぐに手を上げた。「スパーゴ」1号店に勤務しながら、そのときから計画のあった「シノア」のオープニングメンバーにもなった。
3年半いた後、独立することになった。以前から30歳になったら独立したいという夢を持っていた。しかし、そのときは30歳は過ぎていたが。
「カフェ・ブラン」という店をビバリー通りにあった物件を買って開店。自分で何もかも作った。厨房器具も自分で買ってきて取り付けたりした。3年ちょっとでリースの問題がありビバリーヒルズに移った。「カフェ・ブラン」では軌道に載るまでひどいもんで、絶対つぶれると思った。開店後一年後ぐらいは商売はうまくいかず仕入れに行っても欲しい魚が買えなかったり大変な思いをした。
・ある日突然、アメリカンドリームがやってきた。
それは、ある日ランチの後どうせつぶれると思ってふてくされて寝ていたら、コンコンと窓をたたく人がいるので出て行ってみると、アメリカ人の女性がおなかがすいているので何か食べさせてほしい、という。今はランチとディナーの間の休憩時間だからディナーのときに戻ってきたら、というと、今おなかがすいている、今食べたい、と強引だった。しかたなく、メニューのチョイス、リクエストはできないですよと念を押して、あるもので作ってあげた。食べ終えて、いくら?というので今は営業時間中でもないし今日はいいよ、今度また食べに来てください、といったら帰って行った。
その女性はデボラ。3日後、彼女から電話があり今度の土曜日7:30にに4人で予約したい。夫はシーフードが好物なのでそれを中心にメニューを組んでくれないか、と言われた。4人それぞれ違うメニューを出して喜んでいただいた。その夫は数日後ランチにも来てくれた。
暇な日が続くが、どうこうしているうち、ある日11時ころ仕込をしているのに表が大変にぎわしいので近くでお祭りでもあるのかなと思っていた。11時半になって開店すると客がなだれこんできた。騒がしかったのは客が開店前から列を作って待っていたのだ。
30席の小さなレストランがまたたくまにいっぱいになり、普段は2時半で終わるランチタイムがその日は4時までかかった。同じ日に「LAタイムズ」と「ヘラルド・イグザミナー」(両方ともロスのメジャーな新聞、後者はその後廃刊)に、「カフェ・ブラン」の記事が載っていたのだ。それから店は忙しくなった。
記事はマクドナルドより安くて、おいしい店という見出しだった。つまり、ランチにチキンハーフをグリエしてスープ、サラダ、パンをつけて4ドル25セントで出していたのだ。後になってまたデボラがきたとき忙しくなったのを喜んでくれて、実は最初のときのランチのお礼としてプレゼントしたよの、といわれた。
デボラの夫はメリル・シンドラーで当時「ヘラルド・イグザミナー」のフードクリティック(シンドラー氏はロスでも著名なフードライターであり、ザガットガイドの編集者でもある有名人)。そして一緒に連れてきてくれたのが「LAタイムズ」のフードライター、チャールズ・ペリー氏だったのだ。これがアメリカンドリーム?どんでん返し?波乱万丈の人生だ。
ビバリーヒルズに移ってからは「LAタイムズ」のフードクリティック、イレーヌ・ヴァービリア氏もよく来てくれて(彼女もメリル・シンドラーと並ぶロスで多大な影響力を持つ「LAタイムズ」の主幹フードクリティックでトミー氏の料理を絶賛し、さまざまな記事をしたためた) 料理人冥利につきる。
・スウィーツ店への転身。
すでに話したように、その店も2003年12月31日をもって閉めざるを得なくなり、新たに商売をする機会がたまたまスウィーツだった。フレンチでは、計量を習うためケーキから始める。基本に戻るという気持ちでスウィーツを作ることに決めた。
厨房のトミー氏
2005年9月に開店した。当初は持ち帰り用ケーキと、店内でしか食べられないレストランデザートを出したかった。テークアウトは家でおいしく食べられるのが大事、そしてレストランデザートは食後の甘さを必要とするとき食べるものなので、その甘さ加減はテークアウト用とは違う。甘さの強弱やゼラチンの微妙な分量など、硬さがちがう。ただ、マンパワー的に両立は難しく、テークアウトが主になってしまった。今ではイートインの場合はテークアウト用のケーキをソースやジェラートなどで特別にプレゼンテーションしてお出しするという妥協案を採用している」
トミー氏の説明によれば、「カフェ・ブラン」の商品構成として3つの柱がある。ケーキは夏に弱い、冷菓は夏に強い、ということから季節を通して売り上げを維持するための2本柱で、ギフト用にチョコレートも欠かせない、とのことだ。
客層は日本人30%、ローカルの人70% 場所柄、白人が多いという。日本人はシュークリームが大好きで、白人はとにかくチョコレート系、特にエクレアが好き。男女別では男性のほうが多いくらい。特にジェラートが人気だ。世代的にはミドルアッパー世代。若い世代は女性が多い
平均日商は卸も含めて1000ドル。近所のレストラン6軒に卸している。そして最近、共同貿易 (日本食材のベンダー。ロスに和食を広めるのに貢献した老舗問屋)にジェラートとソルべを卸す取引が始まったばかり。
売り上げ構成はテークアウトが80% イートイン 20%。
材料にも気を使っている。チョコレートは主にバルローナ。そのほかに好きなチョコレートでスイス製のFelchlinも使う。乳製品は“Manufatctureing
Cream”(高脂肪)と“Whipping Cream”を自分でブレンドして調整している。前者だけで泡立てても伸びないのでWhipping
Creamをまぜることによって滑らかさを出す。アメリカは日本のように業者が特注に応じて乳脂肪分30%、40%と練りこみしてくれるところがない。やはりアメリカではその点ペーストリーに対する業界が遅れている、とのこと。
・スモール・ケーキを広める。
「開店してから軌道に乗るまで3ヶ月は苦労した。9月1日開店し、暑い日が続いたので。特に最初はいわゆるアメリカの大きく甘いだけのケーキを求める人が多くて悩んだ。
また、ジェラート自体知らない人が多かった。スモールサイズで2.95ドルという価格を高いと思われた。そのようなお客様には試食させると興味を持ってくれた。2日に一回来てくれる常連客もいる。
ケーキのファンも増えてきた。土地柄もあるがアメリカ人も少しずつ、大人数から少人数の核家族化してきて、ケーキもおいしいものを少しその場で楽しむ、という風潮もこの地域にも増えてきた。大きいケーキを買って数日とっておく、という習慣はなくなってきている。
ただ、レストランと違って単価が安いので、商売として成功させるのは大変。自分も甘かったと思っていたが、今後の土台を作るうえで今が正念場だと思っている。商品化して売り込むためにはプレゼンテーションが大事。どのようにお客様に訴求していくかが、商売としてやっていくにはそこがネックになると思う。
お客様にとってこのお店の存在価値として、花がある家庭、スイーツがある家庭っていいと思う。生活の中のひと時を演出するものとして認めてもらえばうれしい。オレンジカウンティーはおもしろい。まだまだローカルのショップが強くてこれからのびると思う。ロスがのんびりしていると思っていたが、オレンジカウンティーに比べると刺激が強い。ここで今後の土台をしっかり作り上げ、夢を持ち続け、お客様に喜ばれる商売を展開させていきたい。」
今は「初心に帰り」、食、生活、アメリカのお客様の好み、などを徹底的に見直し、休むことなく(開店以来、今年のお正月4日間だけお休みをいただいてラスベガスに行ってきた、という)おいしい手作りのケーキつくりに励んでいるトミー氏。この店が軌道にのればまた新たな展開で数多くのファンの心身の滋養となるひとときを演出してくれることだろう。
ジェラートは常時なんと24種類も用意されている。手作りでこれだけの種類のある店も珍しい。日本風味のもの(ゆず、ごま、抹茶)からアメリカ人大好きフレーバー(オリオクッキー、ピーナッツバター)まで幅広くトミー氏の熱意が感じられる。
*ティラミス、ヨーグルト ごま、マロン、オリオクッキー、ピスタシオ、フレンチバニラ、チョコレート、抹茶、パンナコッタ、グアバ、キャラメル、チョコレートチップ、マンダリンオレンジ、マンゴ、ピーナッツバター、ゆず、ミックスベリー、ワイルドストロベリー、レモン、ピーチ、なし、ライチ、パイナップル
The Chocolat Au Miel $4.00 (中央)
ミルクチョコレート サンファりーヌという粉を入れない軽い生地にはちみつムースをサンド 上はEarl
Grey Teaをミルクチョコに練りこんだムース そしてメレンゲの筒 日本人にも人気
Orange $4.00(中央)
トミー氏が一番好きなケーキ。バレンシアオレンジ ホワイトチョコムース ダコワーズ アーモンドプードルとメレンゲの生地 オレンジのジュレ、コアントロー風味 まわりはホワイトチョコのムースだがピストレという技法(ペンキ塗りの噴射塗りのような技法)、吹き付けの技法で表面に小さなつぶつぶがつき、食感にも見た目にも変化を与える 上にナパージュヌートル。ゼリー状にしたオレンジ)の玉 チョコレート(Cafe
Blancの名前入り)とあめであしらい
Miroir $4.00 (写真右)
チョコムースにフレッシュラズベリーとバニラムース グラサージュ(つやつやしたチョコレート)で包み、その上に金箔でアクセント
チョコレート
東京出身。UCLAで文化人類学を専攻後、シアトル、ビバリーヒルズで日本食レストラン経営を体験、またベンチャーリンクロス支社に在職中、牛角のアメリカ立ち上げを担当した。現在レストラン、フード関係のコンサルティングをしながら食の文化人類学の博士号論文も準備中。