「ヴァン・ド・キッチン」江坂店
・TVドラマ「HOTEL」にあこがれて堂島ホテルに。
大阪・岸和田で生まれ、和歌山で育ちました。母が大衆食堂を経営しており、元々、飲食業の中で育ったんです。
TVドラマ「HOTEL」(1990年1〜3月にTBS系で放映)を見たんです。高嶋政伸さんが扮した新人ホテルマンの成長を描いたドラマです。これを見て、都会に憧れました。当時、和歌山から見ると、東京ではなく、大阪が眩しかったんです。大阪でも、中心の梅田に出たかった。
そこで、梅田にある堂島ホテルに入社。バー、フレンチ、営業と担当を次々に変えられ、やりたいことがやらせてもらえませんでした。対人関係で悩みました。上司に合せていくのが難しい。「雇われ上手が、雇い上手になる」と自分に言い聞かせながら、修行だと5年間耐え、辞めました。今思い返せば、この時の経験が身になってます。
当時、創作料理店を経営していた兄がいて「兄を男にしよう」と兄の店を手伝いました。10坪の店舗だったんですが、2年間で売上を4倍にしました。堂島ホテルで培った営業力を生かして、店舗外売上、ケータリングを始めたんです。
兄が2号店を出すときに倒れて入院。退院する時に、今度は独立しよう、と決めました。
・7.5坪のワインバー「ヴァン・ド・キッチン」で独立。
1997年4月、大阪ミナミのアメリカ村の外れの風俗街の露地中でワインバーを始めました。正面はゲームセンターです。保証金を入れて1千万円。全額を調達することができなかった。施工屋に支払いを分割にしてもらい何とかスタートさせることができました。ひどい立地でしたが、「どこでやっても流行らせられなかったらアカン。場所のせいにしたらアカン」と腹をくくりました。
3か月で満席、半年で行列ができるまでにしました。1週間以内に、また来たくなるサービスを心掛けました。お客から「何々を食べたい」と聞くと「今週中に入れます」と答える。「あの店おいしかったで」と聞くと「その店の味を真似ます。1週間以内に来て下さい」。また、男女のマッチングもしました。1年間で4組も結婚させたんです。
料理も独学で勉強し、半年後にはお客に美味しいと言わせるまでになりました。料理メニューも50種まで増えました。名物は「自家製オイルサーディンと完熟トマトのにんにくパスタ」で1600円で売りました。前菜から始まる一連のコースを食べないと「イケてない」という雰囲気を作ったんです。ワイン1本飲んで1人5000円。
スタンディングとテーブル14席がありました。新規客はテーブル席に座ってもらい、常連になったら立って食べてもらう。14席ですが、最高で30人入れました。最高月商は500万円。1年半で、キャッシュで2号店を持てました。
・個人のパワーで出来るのは5店舗まで。
5店舗目まではトントン拍子でした。でも、個人のパワーでできるのは5店舗までです。それ以上は仕組みが必要。
調子に乗って、神戸の須磨海岸に海の家を出しました。2500万円かけて、ロンドンバスを持ってきて、DJブースを作り、FM局とタイアップもしました。しかし、一夏で売上はたったの450万円。後で聞くと、須磨海岸で最も悪い場所だったそうです。その場所は毎年、騙される人がいたそうです。
当時は、地鶏と豆腐の居酒屋「がっちり」が当たっていたし、直営は
全店繁盛していたんで持ちこたえられました。
10店舗に拡大した時に、堂島ホテルがつぶれ、新しいオーナーのセラヴィさんからの業務委託でホテル内に150坪の和食店を運営。売上の20%が家賃という契約だったんで、月2500万円売っても金が残らなかった。また、支配人に騙されて、ホールとキッチンスタッフが一斉に全員いなくなった。本部から役員を連れてきて、何とか回しましたが、ずっと赤字続きで、3年で撤退。これで、リースや歩合の仕組みを勉強できました。
「赤ちり亭」
「グローバルスタイルセブン」
「旬菜炭火ダイニングバー
我家2(がやがや)」お初天神店
・潰れる! 会社ごっこはやめよう。
キャッシュフローが悪くなって、32才の時、潰れそうになりました。2人の役員にも数字を見せて、FL管理をかっちりしてキャッシュフローを良くしようと誓いました。苦しかったです。せっぱつまって、周りが見えなくなりました。実家に1週間帰りました。「この家も担保に入ってるんだ」と思うと、不思議に気持ちの入れ替えができたんです。
今まで自分の好きなことしかやってない。会社ごっこをしていたんです。数字を見つめる内に役員全員で責任感を持てるようになりました。
その時から4年経った今は、コンサルタントの力も借りて、ようやく潤沢な資金が持てるようになった。自分は社長業に向いてないと思っています。それを補ってくれるコンサルタントを金で買ったんです。
社員には「自分の長所だけは伸ばせ。短所を補う仲間を作れ」と言ってます。仲間意識が強くて、社内は明るいですよ。
・大阪は「商売」、東京は「ビジネス」。
東京はビジネスと割り切って仕事のできる土地ですね。直ぐに上場という目標を見据える。スキルも高い。
自分は、思いつきで業態を作っています。計画性がありません。キャンパスに絵を描いた時、ハミ出た部分が面白いと思う。しかし、東京の人は、キャンパスの中で勝負をすることが上手です。
大阪では、ヒマでも忙しくても「ボチボチ」とぼやかす。東京はストレートに、ヒマと忙しいとか素直に言いますが。大阪のある年配の店主から言われました。「店が流行ってて、天狗になったらアカン。どんな時も『ボチボチ』と言わなアカン」。儲かっても車はみんなが乗ってるベンツ。フェラーリのような派手な車に乗ったらだめなんです、大阪は。
今思うと、もっと昔に東京に来たかった。経営理念が、未知の世界に挑戦する集団。社長自身が挑戦を忘れたら会社は終わる。これから、東京で挑戦します。
・和田アキ子の店「わだ家」で東京進出。
和田アキ子さんのプロダクションが制作しているTV番組に出させていただいた時、そこのディレクターと知り合った。その後、プロダクションが飲食店をやりたいと言われ、2005年12月に企画書を出したんです。7業態を提案したんですが、その中の1つ、「おふくろ」をテーマにしたものが気に入られ、06年春に青写真が完成。和田アキ子さんとも個人面談をさせてもらいました。強い方なのでドキドキでした。
和田アキ子さんのデビュー記念日の10/25にオープンさせたかったんですが、物件が取れなかった。そこで、次の誕生日である、4/10に間に合うように進めています。アキ子さんのプロダクションが経営し、未知は、運営受託です。つまり、集客はアキ子さんに任せて、我々は来ていただいたお客様を満足させるという役割分担です。
「わだ家」のコンセプトは、おふくろ料理。居酒屋以上、料理屋未満です。和田アキ子さんらしく大きなスケールで、日本全国から美味しい食材を集めました。もちろん、全てアキ子さんの好きなものばかりです。
素材重視、食べさせ方重視です。アキ子さんの好きな漬物、お腹がふくれず酒が進む「あてしゃぶ」、くろアワビなどの一夜干し、佐渡島米のご飯など。「アッ子におまかせ」というメニューもありますよ。酒はアキ子さんの好きなワインが中心。
4/10が和田アキ子さんの誕生日パーティーで、一般オープンは、4/11からです。
・「大阪わだ家」をFC展開。
東京・西麻布の「わだ家」をFCパッケージにします。こちらは、アキ子さんの好きなメニューだけでは成り立たないので、メニューも変えます。西麻布の「わだ家」が総本家で、「大阪わだ家」が分家という感じです。本年5月に大阪に1号店を出します。私の誕生日にオープンさせます。
こちらは未知の直営で、モデル店とし、未知がFC本部として、全国に10店舗ほど展開していきます。
他には、FC展開している、とうがらし料理「赤ちり亭」を東京で5店舗作りたい。焼き鳥屋の新ブランドをやりたい。個人店のようなラーメン店を作りたい。
東京に事務所も構え、次々に挑戦しますよ!
「お菜屋 わだ家」
オープン:2007年4月10日(火)
住所:東京都港区西麻布3-1-20 DEAR西麻布B1F
営業時間:18:00〜5:00(L.O.3:00)
席数:34席
客単価:7000円
株式会社 未知インターナショナル 代表取締役。1971年生まれ。74年から和歌山県にて育ち、89年に県立熊野高校 林業科卒業、堂島ホテル入社。1997年「ヴァン・ド・キッチン」を大阪アメリカ村に出店し独立。現在、直営14店舗。「赤ちり亭」のFC加盟店は7店舗。業態の多さとユニークさで、「大阪のダイヤモンドダイニング」とも呼ばれる。07年4月から和田アキ子の「わだ家」で東京進出。