シニアが集う「ともしび」
・シニアを集めて復活した歌声喫茶を基盤にヒット曲も生まれる
1960年代に青春を過ごした人にとっては、懐かしい歌声喫茶。その歌声喫茶が低迷期を抜けて復活してきている。
昨年末の紅白歌合戦でテノール歌手の秋川雅史さんが歌い評判になった「千の風になって」は、新宿の歌声喫茶「ともしび」で昨年来リクエスト1位を続けている曲で、紅白効果もあって、今年1月にはオリコンシングルチャートで1位を獲得。現在も、ヒットチャート上位にランクしており、CD推定売上約80万枚と、CDの売れない時代にミリオンも狙える大ヒットになっている。
この曲は作者不詳のアメリカの詩を、芥川賞作家でシンガーソングライターの新井満氏が訳して曲をつけたものであるが、歌声喫茶で歌い継がれるところから火がついてヒットした楽曲と言えるだろう。
さて、歌声喫茶という業態は日本独特の飲食店で、現在の「ともしび」の前身、西武新宿駅前の「灯」が1951年に創業したことに始まるとされる。初代オーナーの柴田伸氏は、食堂を経営していたが、ある日ロシア民謡のレコードをかけていると、顧客が歌い始めて合唱になった。その光景からこれだとひらめき、アコーデオンなどの演奏者を入れて、リクエストを募って顧客みんなで歌う、歌声喫茶が誕生したそうだ。喫茶店なのでコーヒーなどのメニューを出したが、メインは歌だった。
58年に業務拡張のために旧店を取り壊し、59年に300人ほどを収容する大箱となって完成。改装の間、従業員たちはコマ劇場前で「ともしび」という別の店を運営していたが、新店がオープンしてもそのまま居残り、2つの「灯」と「ともしび」が並列していた。
60年代前半には首都圏の繁華街に、歌声喫茶は少なくとも20店ほどあり、繁盛を極めていた。学生運動や労働運動の連帯とマッチする面があり、ベトナム反戦運動が盛んな頃には、メーデーの帰りに集まった顧客によって、労働歌や反戦歌が歌われたりもした。また、田舎から集団就職で出てきた若者たちが、都会の孤独を癒したり、友達をつくったりするような場所という側面も持っていた。
「北上夜曲」、「忘れな草をあなたに」のようなヒット曲が歌声喫茶から生まれた。「灯」ではレコード会社と契約して、ダークダックスが新曲の発表を行ったりもしていた。
しかし、60年安保の挫折を契機に、歌声喫茶は次第に廃れ、77年に「灯」は閉店。一方で、「ともしび」のほうは、66年に支援者によって労働者の街・江東区亀戸で復興した。また、グループ店として当時吉祥寺にも店があり、72年には新宿に再度「ともしび」が区役所通りに復活。亀戸店と吉祥寺店は消滅したが、新宿は生き残り、20年前に新宿3丁目の現在地に移って営業を続けている。席数は80席ほどである。
「お客さんが戻って来始めたのは10年くらい前からですね。都会の個人主義が進む中で懐かしさも手伝って、歌声喫茶が求められてきたのでしょう。今では50代、60代の方を中心に月間2000人ほどが来られます。男女の比率は半々くらいですね」と、自らも団塊の世代である大野幸則代表は語った。
料金はメインの夕方からの営業は、チャージ735円で、コーヒー1杯(472円)から利用できるが、だいたいは料理2、3品と、アルコールも含めてドリンクを注文する人が多く、顧客単価は2000〜3000円だ。人気メニューは、「ゴーヤチャンプルー」(682円)、「アスパラと生ハムのピザ」(892円)などで、意外に若者とあまり変らない。
また、木金土は昼間の営業もあり、1ドリンク制1500円となっている。
人気が再燃した理由には、全国各地の商店街を回って「出前歌声喫茶」という、イベントを行っている効果も大きい。地域活性化のために市民ホール、ライブハウス、喫茶店を借りてというケースが多く、最近は毎日のようにスケジュールが入っている。また、ロシア、イタリア、中国など海外でも歌声喫茶イベントを開いている。
4月8日には6回目となる、上野水上音楽堂での「春の大うたごえ喫茶」イベントを開催。申し込みは1000人を超えているが、今やこのくらいの人数を集客するのは珍しくないほどの人気ぶりだそうだ。
「ともしび」司会者と伴奏のピアノでステージは進行する
「ともしび」毎月のリクエストのランキングが発表される
「ともしび」独自編集の歌集
・ダイヤモンドダイニングが団塊世代に向けた飲食施設を提案
団塊世代をターゲットにした大胆な提案では、ダイヤモンドダイニングが2月1日、東京・上野の東京メトロ・上野広小路駅前にオープンさせた、4店複合の飲食施設「上野黒門 しのばず屋別邸」が挙げられるだろう。
これは総面積264.31坪、総席数431席を持つ、日本各地の銘産、逸品をあまつことなくそろえた“料理旅館”をコンセプトとしたもので、近隣の20代以上の社会人や住人も合わせて客層と想定している。
4店のうちで最も高級感が漂うのは、玄関で履物を脱いで上がる、純日本的な料亭スタイルの空間で、正統派の本格割烹を提供する「京個室 辻の花」。
同社としても、初めて手がける業態で、筧軸の掛かる座敷などから池のある庭を眺めながら、贅沢な時間を過ごすことができる趣向の店だ。全部で14の個室があり、「唐錦」、「小春」、「窓の月」など、椿の名前からとった部屋名がつけられている。さまざまな少人数の集まり、法事などに利用が広がりつつあるそうだ。席数は163席。
客単価はランチが2000円、ディナーが8000円、トータルで6000円といったところ。ランチは、「麦とろ御膳」(1200円〜)をはじめ、美容食の「麦とろ」を前面に出し、ウナギ、刺身などとのセットで提供している。山芋は福島県より直送し、きめ細かい鮫肌の卸器ですってふわふわに仕上げている。
ディナーは牛肉、豚肉、鶏肉から選択して、せいろ蒸しコース、しゃぶしゃぶコース(ともに5000円〜)が楽しめるほか、水炊きコース(同)などもある。市場に出回り始めた頃の「はしり」の食材も用意し、季節ごとの香り、彩り、味わいを大切に表現するという。
また、40代以上、特に団塊世代くらいの女性を仲居さんとして積極的に採用し、若者では出せない落ち着いたサービスを提供しようとしているのも、特筆される。
次に「自然食ビュッフェ 大地の贈り物」は、4店のうちで唯一、若い女性の来店も目立つ店だ。
料金は、ランチ1800円、ディナー3600円の食べ放題となっており、子供割引に加えて3歳以下がタダなので、小さい子供を連れた若奥様、若夫婦も多い。シニア、若夫婦、子供と3世代で楽しめる店でもある。席数は207席。
一番の売りは生野菜で、生産者の写真を公開し、フードコーディネーターが顧客の希望を聞いて、たとえば肌をスベスベにしたいのなら、それに効果のある組み合わせのサラダをつくってくれる。料理は常時、野菜を中心とした90種類以上が提供される。
また、夜は屋台風のコーナーでステーキや刺身を目の前で、切り分けるサービスを行う。酒類は別料金だが、健康に良い梅酒のみは、ディナー料金に含まれている。
大きな竈とお釜をモチーフにしたビュッフェテーブル、お櫃の形をした半個室、天井から吊られた大きなお釜の蓋など、料理にまつわる道具をモチーフにした、インテリアも面白い。
さらに、「炉端焼 鬼吉」は、4店のうちでも最も顧客単価が高く、7500円となっており、夜のみの営業だが、カウンター中心に熱心なファンが付いてきている。団塊世代の男性が落ち着いてゆっくり飲める、大人の空間を構築したのが好評のようだ
その日仕入れた食材のみをカウンターに並べ、旨みを内側に閉じ込める“強火の遠火”で、職人が炭火で旬の肉、魚介類、野菜をじっくりと焼き上げる、高級炉端の店である。席数は51席。
この店は“料理旅館” の奥まった蔵という設定で、エントランスから石の壁に囲まれた通路を抜けると、眼前に現れる大きな鬼、「鬼吉」のオブジェに驚かされる。炙りの技を極めた伝説の鬼、「鬼吉」が最高の食材を選び、絶妙の焼き加減のタイミングで、手に握られた大きなしゃもじにより、顧客に料理を提供するというストーリーになっている。
ドリンクは「燗酒」にこだわっており、日本酒、梅酒、焼酎を酒によって、一番味と香が引き立つ温度加減を調節して、提供するのだという。
最後に「お茶屋BAR 逢瀬の刻」は、「京個室 辻が花」の離れ、あるいはアフターバーのような位置づけの店で、席数はカウンター10席、ソファー個室10席の計20席。
10種の「こだわり銘茶」(600円〜)、5種の「和茶カクテル」(1200円)、全8種の「お茶漬け」[「天麩羅茶漬け」(780円)など]といったように、お茶を中心にメニューを構成した新感覚のバーだ。「抹茶の葛餅 黒蜜がけ」(600円)のような甘味もある。
個室はチャージが1000円かかるが、天井には男女の交わりを描いた春画があり、おしゃれで淫靡な夢うつつの世界を演出している。客単価は2000円である。
このように「上野黒門 しのばず屋別邸」は個々に独立した4店の集積なのであるが、キッチンを共有したり、「伊万里牛」、「薩摩軍鶏」、「彩の国黒豚」といったブランド素材をはじめ各種食材を共通化したりすることで、効率化もはかられている。
今後、各店が自己完結せずに、4店を回遊するような、常連を多くつくっていけるかどうか。息の合った接客術に期待したいところだ。
「京個室 辻が花」入口
「炉端焼 鬼吉」
・麻布十番に日本で唯一、アンチエイジングレストランが盛業中
シニアを直接ターゲットにしたものでは、アンチエイジングレストランも誕生している。
東京・麻布十番にある「麻布十八番」がそれで、経営は50歳以上のシニア市場に特化したコンサルティング会社のシニアコミュニケーション。オープンしたのは2005年4月。
「シニアの人たちの一番の関心事は、年を重ねるごとにやはり健康なんです。健康を左右するものが食ですし、食べ物によって体調も変わってきます。シニアが暮らしやすいようにするにはどうすればいいのかを形にする、実践の場として考えています」と、同店の鳥羽晋介フロアマネージャーは語る。
シニアコミュニケーションはコンサルティング業という性格上、目に見える形で業務の成果物を見せるのが難しい。そこで、アンチエイジングレストランを提案した面もある。直営のレストランは、「麻布十八番」の1店舗のみである。
アンチエイジングの考え方として、同店では体に負担をかけない料理の提供を基本としている。具体的には加齢の要因として血糖値の上昇に注目し、ブドウ糖の取り込みと消費を高めるホルモンであるインシュリンの分泌を抑えるメニューで構成する。
食べ方も血糖値の上昇を抑制するため、まず野菜から食べ始めて食物繊維を十分に摂り、肉や魚のような動物性たんぱく質は、良質のものを提供し、少量に控えている。炭水化物も多く摂らないように制限する。
そうした中で、イタリアンなら、前菜から始めて、次にスープやパスタを出し、肉や魚のメインディシュを最後に出すといった手順を丁寧に実践することで、アンチエイジングを表現している。なので、ベジタリアンのようなストイックな料理というわけではなく、マクロビオティックスとも異なっている。
しかし、メインディッシュでも主役は野菜といったスタンスを取っており、野菜を中心にしているといった点では、共通している側面もある。味付けは素材の味を引き出すようにしており、塩分に頼らず、酢やハーブを有効に活用している。
料理のジャンルについては、和食、中華、洋食などを問わない無国籍料理だが、見かけはイタリアンやフレンチであっても、味は和風に近いものが多い。
8つの基本スタイルとして、現代人に最も合った栄養バランスでメニューを構成、栄養素が最も吸収されやすい調理方法を選択、揚げ物は作らない、カット野菜・冷凍野菜は使わない、料理に砂糖は使わない、人工的な添加物、精製されたものは使わない、電子レンジは使わない、中性洗剤は使わない、を守っている。
素材は、野菜はシーズン毎の季節のものを使い、魚介類は天然ものだけを仕入れている。豚肉、牛肉、鶏肉は、トレーサビリティができるものに限っている。また、ワインはオーガニック栽培に加えて、酸化防止剤を極力使用しない自然派ワインをセレクトしている。
店内環境も、上薬を塗っていない椅子やテーブルを使い、エアコンを使用せず水を循環させて温度調整をする「PS冷暖房機」を用いるなど、見えないところにも、アンチエイジングの考え方を随所に取り入れている。
客単価はランチ2500円、ディナー7500円。ランチは「野菜ブッフェ」(1800円)の注文が多く、ディナーの「アンチエイジングコース」(4800円)は毎月テーマが変わり、たとえば3月のテーマは“花粉症対策”であった。
客層は40代以上が中心で、ランチは30代前後の女性も多い。50代以上のシニア層は、実際には2〜3割である。席数は64席あるが、地方からわざわざ予約して来る熱心なファンもいるそうで、土日のランチや木金土のディナーは満席になるケースも多いという。
「麻布十八番」外観
「麻布十八番」内観
・ホテルのダイニングでは、新感覚フレンチが団塊女性に人気
ホテルのダイニングでは、東京・西新宿のホテル「センチュリーハイアット東京」1階に、昨年9月15日にオープンした、フレンチレストラン「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」が、特にランチタイムにおいて、団塊世代を中心とした50代〜60代の中高年から熟年女性に人気になっている。特に週末は、昼、夜ともに予約も取りにくいほどの人気ぶりだ。
同店はセンチュリーハイアット東京と、「ミシュラン」3つ星を1968年以来獲得し続けている、フランス・ブルゴーニュ地方の小都市ロアンヌにある、レストラン「トロワグロ」の3代目オーナーシェフ、ミッシェル・トロワグロとの提携によって実現したもの。1930年に創業した「トロワグロ」の初代ジャン=パティスト・トロワグロ夫妻は、地方色豊かでシンプルかつ革新的なメニューのレストランを構築し、ヌーベル・キュイジーヌの先駆者と目されている。
現在の3代目ミッシェル・トロワグロ氏もまた、2004年にフランス最高の栄誉であるレジョン・ド・ヌール勲章を受章するなど、郷土料理に現代感覚を採り入れて、フランスを代表するシェフとして注目を浴びている人物。ロアンヌの「トロワグロ」は3つ星レストランにもかかわらず、温かく打ち解けた雰囲気があり、仲の良い家族に迎えられているような居心地の良さを求めて、バカンスを取ってわざわざ訪れるヨーロッパの食通も多いという。
小田急グループとトロワグロ家の1984年以来のパートナーシップによって、これまで「小田急百貨店」の新宿、町田各店及び商業施設「成城コルティ」内に、パン、ジャム、惣菜、スープなどを販売する「トロワグロ」のブティックを展開しており、新宿店ハルク地下2階には「カフェ トロワグロ」がある。
日本で「トロワグロ」のブティックを出店しているのは、小田急百貨店のみであるが、こうした実績を重ねて、今回ミッシェル・トロワグロ氏監修によるレストランとして初の日本出店につながった模様だ。
さて、レストランの店名が“キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ” と、キュイジーヌに複数形を表す「s」が付いているのは、ミッシェル氏の父、祖母、おじさんらの料理や、世界中を旅する中でミッシェル氏が出合った様々な素材・調理法を取り入れており、日本の食材であるユズ、スダチ、ワカメ、ワサビ、コンブやカツオのダシなども活用して、インターナショナルな新しいフレンチを提案することを示したもの。
料理長に「トロワグロ」やグルメの街リヨンの老舗レストランなどで修業した、71年生まれの若手の実力派、青木宏和氏を起用。コンサルタントとして、「トロワグロ」副料理長のリオネル・ベカ氏がヘッドシェフに就任し、青木氏とのコラボレーションで、ミッシェル氏の料理哲学に基づいた、フランスの本店とも異なるメニューづくりを行っている。席数は70席。
ランチは4000円、6000円、1万円の3種類、またディナーも1万2000円、1万6000円、2万円の3種類と、グランメゾンのフレンチに比べれば割安感がある。ランチは1カ月半毎、ディナーは3カ月毎にメニューを変えて、季節感、新鮮味を出している。
味付けは全般に、上品なほど良い甘味と酸味、スパイスによるアクセントを特徴にしており、後味がさわやか。1皿の量も控えめで、女性や高齢者にも好まれそうではある。ワインはブルゴーニュ産を推奨し、エレガントな味わいなので、さっぱりした料理によく合っている。
デザインは、同ホテルの27階と28階にあるスパ&ウェルネス「ジュール」も手掛ける、スーパーポテトの杉本貴志氏で、木や土、石といった自然素材の質感を生かしながら、コンテンポラリーに仕上げている。“アクティブ・キッチン”と呼ばれるオープンキッチンが、臨場感を醸し出す。約800本を収納するワインの“ウォーク・イン・セラー”も出色。
同ホテルの営業推進課・坪香亜紗子さんによれば、「ランチは団塊の世代またはそれに近い女性も多くいらっしゃいます。ディナーは、女性が男性を連れてくるパターンのカップルが多く、何かの記念日に2人で食事に来られる方が目立ちます。接待も多く、夜も年齢層の幅は広めですが、男女比は半々くらいですね」とのこと。
本店の思想を受け継ぐ行き届いたサービスと、料理、値段、内装ともに東京の食の事情を踏まえた上で、創造性豊かな新しいフレンチを提供していることが、時間とお金に余裕のある、団塊を中心にした熟年女性の財布の紐を開かせているようだ。
「トロワグロ」店内
・人気再燃の兆しを見せる名曲喫茶。復活してヒットした店も
歌声喫茶の後を追うように復活の兆しを見せているのは、名曲喫茶である。
名曲喫茶とは、クラシック音楽をコンサートホールにいるような雰囲気で、楽しむことができる喫茶店の一種で、まだレコードが高価で、一般庶民の手が届かなかった1950年代から60年代にかけて大いに賑わった。特に既に閉店した新宿の「風月堂」は、ヒッピーやアングラ演劇・映画などといったカウンターカルチャーの担い手が集まる場所として、著名だった。
単にクラシックをBGMとして流すのではなく、顧客のリクエストに応えること、基本的におしゃべりは厳禁で静かに音楽観賞することといった、独特の営業スタイルがある。
最近は癒しブームや、人気漫画でドラマとアニメにもなった「のだめカンタービレ」のヒットの影響で、クラシックが注目を集めており、その良さが再認識されてきている。現存する名曲喫茶は都内なら20店ほどが、残っているらしい。
現状の景況はどうなのか、昭和元年に創業した渋谷の紳士の隠れ家、「ライオン」を訪ねてみた。クラシカルな外観、内装は、太平洋戦争で全焼した後、戦前と全く同じデザインで昭和25年に再建したもので、店内正面に備え付けられた大スピーカーは迫力があり、クラシカルなインテリアとマッチしている。
店内には5000枚ほどのレコード、CDのコレクションがあり、毎日午後3時と夜の7時には、店の企画で新譜を中心に流す定時コンサートもある。
「2、3年前が底でしたけど、最近は少しずつお客さんが増えてきていますね。何十年かぶりで、来られる人が多く、『まだ残っていたんですね』とよく言われます。北海道から、お子さんを連れていらっしゃった人もいました。学生の頃、東京で過ごされて、よく通われたそうです。戻って来られたお客さんに、思い出話をされると、やっぱりうれしいです」と2代目石原宗夫店主の奥さんの恵子さん。
渋谷は東京大学の駒場校舎も近く、かつては東大の学生も顧客には多かったそうだ。なお、今の「ライオン」は道玄坂の奥まった風俗街の一角にあるが、元々同店のある渋谷百軒店は、周囲に映画館が何軒もあり、料亭街とも隣接していて、渋谷では最も賑わっていた場所だったという。センター街や公園通りが発展するのは、60年代後半の西武百貨店が渋谷に進出して以来とのこと。
2階の一番前の席は特等席で、毎日のようにその席に座って指揮棒を振って音楽に没頭し、ついには本当に音楽家になった人もいたそうだ。2階は会話をしても良いスペースなので、昔は芸術家たちが芸術論を戦わせたりしたが、今は50代くらいのサラリーマンが多く、男性が1人でやってきて音楽を聴きながら、昼寝をして帰る人が主流だ。店内を薄暗くしていることもあるが、皆疲れているのだろうか。退職した人の常連もいるという。
カップルや若い女性、ノートパソコンを持ち込んで仕事をするIT系の技術者なども、増えてきたそうだ。
1杯500円のコーヒーはロンドンの「ライオンベーカリー」に学んだ本格派だから、わずか500円でぜいたくな癒しの時間を買うことができる場所だ。名曲喫茶はもっと、見直されてもいい。
そうした風潮を受けてか。実際に閉店した名曲喫茶を復活させる動きも出ている。
新宿西口の地下街「小田急エース」北館にある「新宿 スカラ座」は、かつて歌舞伎町にあり2002年に閉店した同名の名曲喫茶を形を変えて復活させたもので、赤い椅子、食器、灰皿などのインテリアや小物、独特の焙煎コーヒー、ピザなどのメニューは、往年のままに再現しているという。
異なっているのは、クラシックを有線放送でBGMとして流していて、レコードやCDを所持してリクエストを受けつけたりはしないことだ。また、全席会話は自由である。要はクラシックなスタイルの本格派高級喫茶店として営業している。
この戦略は商業的には成功しているようで、店内はまさに団塊あたりの50代から60代の男女で常時、賑わっており、満席で入れないこともあるほどだ。「新宿 スカラ座」を見る限り、「スターバックス」や「ドトール」、若者向けのカフェには入りにくいと感じている中高年、シニアがいかに多いのかが実感できる。
シニア向けの新業態の開発のヒントは、たとえば名曲喫茶のような、かつて一世を風靡した業種にあるような気がしてならない。
「ライオン」外観
「ライオン」店内は薄暗く昼寝に最適
「ライオン」迫力の大スピーカー
・団塊世代が集住する多摩ニュータウンにコミュニティーカフェ誕生
団塊世代あたりの年齢層が集中して住むことで知られているのが、東京郊外の多摩ニュータウンである。
多摩ニュータウンは、多摩、八王子、稲城、町田の4市にまたがり、開発面積約3000haと広大な敷地を持つが、1971年に入居を開始した永山地区などの第一次入居から、2005年まで、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)によって、開発が続けられた。当初の計画人口約34万人に対して、実際には約20万人が住んでおり、赤字で開発は終了したが、余った土地は民間に払い下げられて、新たに高層マンションが立ちつつある。
この多摩ニュータウンは、原則は東から西へと開発が進んだ面があり、永山地区などでは高齢化が最も進み、60代、70代が居住者のコアになっている。
70年代後半から80年代初めに入居した、落合・鶴牧地区などは、団塊の世代、50代が多い地区である。つまり、多摩ニュータウンが全て高齢化しているというのは、間違いだが、一般的に我々が多摩ニュータウンをイメージする、多摩市域の京王と小田急の永山駅、多摩センター駅周辺地区に関しては該当すると言えるだろう。
そこで、多摩ニュータウンの外食事情を探りに、多摩センター駅から徒歩20分ほどの距離にある鶴牧商店街に、2004年より開いているカフェ、「カフェ・ドゥードゥー」に行ってみた。
多摩ニュータウンは4500〜5000世帯を対象に計画的に商店街が配置されていて、鶴牧商店街は食品スーパー、郵便局があり、図書館や会議室のある市のコミュニティセンター、病院も隣接する、鶴牧地区の中心になるべき場所にある。
しかし、鶴牧商店街は車が進入できない、徒歩か自転車で行くような独特の設計になっており、子供や年寄りには優しいかもしれないが、健康な成年男女にとっては不便な商店街である。そのため一時は衰退が著しくシャッター街となっていた。外食も蕎麦屋が一軒あるだけだった。
この状況に危機感を抱いた「カフェ・ドゥードゥー」店主の横山裕幸氏は、バラバラに暮らしている住民たちがふらりと来て、自然に交流できるたまり場をつくりたいと考え、カフェをオープンした。
「鶴牧に住んで22、3年になりますが、公園面積が広く、緑も広場も多い、ここの住環境がとても気に入っています。多摩ニュータウンというところは、NPOとかボランティアとかまちづくりの運動が盛んなんですが、バックグラウンドがさまざまで、コミュニケーションが取りづらいんです。今までは体力もあって、近所づきあいをしなくても、平気だったんですが、ずっと住み続けていくのなら、それでは厳しくなってきます。そこでまず、何かをやる前に、一緒にご飯を食べたり、お茶でもしたりできる場所が必要だと考えたんです」。
横山氏はまちづくりや住宅のプランニング、運営を行う横山環境計画事務所という会社を経営しており、カフェは事務所の半分のスペースを割いている。
毎週土曜日のランチタイムには「ワンデーシェフの日」を設けて、近所の主婦などが、グループで家庭料理を提供するイベントデーになっている。子育てが終わった主婦ばかりでなく、インドフリークの人、タイから嫁入りした主婦、料理学校に行っている若者など、個性豊かな人たちが交替でシェフになり、食堂として運営している。
なので、巻き寿司、和食、韓国料理、カレー、タイ料理等々、さまざまな料理が週替りで登場。人気のあるグループがシェフの日は、すぐに満席になってしまうほどで、地域に根付いてきている。お菓子づくりが得意な人は、焼き菓子などを店頭販売している。
また、月に2回、近くで収穫した野菜を販売しており、好評だという。
ただし、イベントデー以外の集客はパラパラといった程度で、事務所をやっているからカフェを続けていけるのだと横山氏。しかし、数年前に比べれば商店街のシャッター化は解消されてきており、介護ショップのように繁盛しているところもある。やがて地域の高齢化がもっと進めば皆、車に乗るのもつらくなってくる。
その時、カフェがあって良かったと、誰もが思う日が来ると考えている。
「カフェ・ドゥードゥー」外観
「カフェ・ドゥードゥー」店内
「カフェ・ドゥードゥー」毎週土曜はワンデーシェフの日
・目立つのはファーストフードばかり、多摩ニュータウンの食の貧困
さて、地域の住民は団塊世代以上が中心だというのに、多摩センターや永山の駅前商店街を歩くと、目立つのは十代のたまり場のようなチェーン系のハンバーガーやドーナツのショップといった、いかにも高カロリーなアメリカン・ファーストフードばかりで、まさに見本市のようだ。
そば、うどん、牛丼のような和風のファーストフードすらあまりない。
住民の実態とこれほどまでに店舗のラインナップがかけ離れている、商店街も珍しい。それでも集客できるだけの人口を、この地域は抱えているということなのだろうが、それにしてもシニア層はどこに集まっているだろうか。
一帯を歩いた結果、多摩センターではひとつのパターンとして、三越で買物をして、向かいの京王プラザホテル多摩のデリカテッセン「ポピンズ」のイートインや、ロビーラウンジ「デュエット」でお茶をしていることが判明した。明らかに他の店と顧客層が違うのである。
また、永山では健康ランド「竹取の湯」の隣にある、「瞬彩」という“健農豚”なるブランド豚を売り物にしたシックでモダンなダイニングが、団塊世代以上のシニアを集めて気を吐いている。店員によれば「健康ランドや近所に病院があるので、帰りに寄っていく人が多いです」とのこと。前身は豚カツ屋で業態転換して1年ほどだそうだ。
ちなみに“健農豚”は、スーパー三徳のブランド豚で、「瞬彩」は三徳の外食部門が経営している。
多摩ニュータウンでは、「ニュータウンには若いアメリカナイズされた核家族が住んでいる」という、商業者の思い込みによって、本来のコアになるはずの顧客を逃しているような感もある。この地区を得意にしているはずのファミレスも、団塊、シニアに向けてのパンチのある提案を打ち出せていない。
それで、ごく特定の店に団塊、シニアが集中する現象を起こしている。確かに若い頃はアメリカナイズされた生活に憧れて、多摩ニュータウンにやってきたのだろうが、年齢を重ねれば和食も恋しくなってくるだろう。
ざっとリサーチしたところ、キーワードは東京都心部と同じく、上質、ヘルシー、それに郊外なので割安感も入るのだろうか。
多摩ニュータウンには特に、高度成長の絶頂期のマンション、住宅に、高所得の余裕のあるシニア層が集中して住んでおり、マーケット規模は大きいはずだ。人が集う場所として、コミュニティづくりのためにも、外食産業の奮起を促したい。
団塊世代が多く住む、多摩ニュータウン鶴牧地区
シャッター街は解消されたが、活気に乏しい鶴牧商店街
60代以上の住民が多い永山地区。歩道をまたぐシースルーの建物にはセルフのコーヒー店が入り、シニアのたまり場になっている
シニアに人気のダイニング「瞬彩」
京王プラザホテル多摩はシニアのオアシス
・家庭料理と自然派バイキングをビジネスにした、ティアの革新
以上のように、団塊世代をターゲットにした飲食は、歌声喫茶のように復活したもの、アンチエイジングのように健康になることを強く打ち出したもの、あるいは和やフレンチの本物志向のダイニングとさまざまあるが、底流にコミュニティへの志向、家族的な要素を匂わせるものが多い。それは新たな形での連帯への希求なのだろうか。
家庭料理レストラン「土に命と愛ありて−ティア」は、1998年に熊本市内にて提案され、旬の無農薬有機野菜を使ったメニューで、今日のフリースタイルの自然派バイキングブームの起点となった店だ。
ティアは会社名でもあるが、『土に命と愛ありて』という埼玉県で有機農法を実践する夫婦の本に創業社長の元岡健二氏が共鳴し、土、命、愛をローマ字にしたときの頭文字、T、I、Aから名付けたものである。
元岡社長は1947年生まれで団塊の世代である。生家は広島県の農家で、銀行、ホテルに勤務した後、長崎に本社を置いて全国展開を行っている外食企業のとんかつ部門の子会社社長を務め、業績を立て直した実績を持つ。ヒットしたアイデアは、ご飯と味噌汁、漬物がおかわり自由であった。
その時に偶然、県内の棚田が放置されていることに衝撃を受け、米は長崎の棚田からとれたものを意識して使うなど、地産地消の取り組みを部分的に始めていた。
店頭公開後に外食企業を辞職し、新たに始めたのが自然派バイキングだった。
「無農薬有機農業を実践している生産者は、地元では変人扱いをされていますが、農薬や化学肥料を使ったために、体調を崩した経験を持っている人が多いのです。私も農家の出ですし、商いをする者として彼ら真剣に農業に取り組んでいる生産者を支える外食が、広がっていかないといけないと思いました。土を疲弊させてしまう、経済性を優先する大規模な農業ではなくて、小規模でも良い農産物をつくっている地元の生産者と、お客さんをつなぐ場所として、レストランができないかというのが切っ掛けです」と元岡社長。
なぜ、家庭料理のバイキングにしたのかも理由があり、核家族が進行した現代では、昔は当たり前だった、おじいちゃん、おばあちゃんから夫婦、子供と3世代が食事をすることはなくなり、各自バラバラにとるようになっている。そこで外食として3世代が集まれる場所を提供しようとしたという。
バイキングの大皿は、大家族が大皿に盛った料理を取り分けて食べるイメージから来ており、レストランに来た人たちは、一種の非常に大きな1つの家族との意味合いもあるようだ。調理の際には化学調味料は使わず、塩は自然塩、砂糖は黒糖を使っている。なるべく廃棄物を出さないように、野菜をはじめ素材は丸ごと使うことを基本としている。
料理は50種類ほどが常時並べられ、サラダ、煮物・炒め物などの惣菜、揚げ物、黒米入り玄米などのご飯、天然酵母のパン、味噌汁、パスタ、果物、20種類のソフトドリンクなど、その日の素材の入荷状況で献立が変るので、通っても飽きずに食べることができる。
また、テーブル、椅子、床は木製で、床下に空気清浄や消臭の作用がある炭を3.5トンも入れるなど、環境面でも居心地の良さを追求している。
顧客は当初はトレンドに敏感な若い女性が中心となっていたが、最近は団塊の世代くらいの男女も増えており、土日は3世代で訪れる家族も増えてきている。価格はランチ1400円、ディナー1500円となっているが、ビジネスマン向けに制限時間を30分などと短くした840円などの安いコースを新設したり、65歳以上のシルバーコースを1000円にするなどの工夫が実ってきている。小学生、幼児は割引があり、3歳以下は無料となっている。
平日3回転、休日は5回転するほどの客の入りと、集客は好調だ。
ティアの直営のフリースタイル・レストランは熊本の本店のみだが、長崎、北九州市小倉、広島、岐阜、茨城など11カ所に、同社が経営指導を行った、理念を共有する“ティアの家族”と呼ぶ店がある。もしFCのシステムにして、売り上げから毎月抜いていくと、各店に儲けが残らず、持続可能ではないので、このような独特な形式を取っているという。
“ティアの家族”は、店のある地元で優良農家と消費者をつなぐ、持続可能な地産地消を推進する役割を担っている。
「ティア」スタイルのパスタ
バイキング外食ではタブーだった、家庭料理や有機野菜の分野を開拓した
・もったいないの精神に団塊世代の共感が確実に広がっている
ティアの理念を最も実現しているレストランとして、元岡社長推奨の茨城県水戸市郊外、茨城町にある「森の家庭料理レストラン」に行ってみた。
ランチ1365円、ディナー1470円で、子供や70歳以上のシルバーは割引がある。また、3歳以下は無料となっている。116席あり、常時バイキング形式で、65〜70種類の野菜料理を中心に提供している。
同店のランチは、行列が絶えない人気ぶりで、平日は50代、60代の団塊世代を中心とした女性に圧倒的に支持されている。休日は家族連れが多いので、若干顧客層が異なる。ディナーはもう少しゆったりしているようだが、北関東自動車道の茨城町西ICに近く、高速道路を飛ばして福島県のいわき市や千葉県の柏市あたりからも来る、熱心なファンも多いという。比較的遠方から来る顧客の多い店だ。
実はこの店、JA全農いばらきの直営であり、2000年にオープンした「ポケットファームどきどき」という農産物の直売所、バーベキューコーナー、ミニ動物園などの複合施設の一角にある。改革派からはしばしば抵抗勢力と見られているJAであるが、自ら体質改善を行おうと努力しているところも幾つかあるのも事実なのだ。
「直売所があるから、この店もはやる一面もありますね。レストランで食べておいしかった野菜を、買って帰ることができます。レシピも可能な限り公開していますので、おいしかった料理をご家庭でつくっていただくこともできます」と田村勇人店長。
調理に携わるのは、板前の修業をしてきた田村氏を除けば、全員家庭の主婦で、ある意味で茨城町周辺の現在の家庭で食されている郷土料理が味わえる店と、言えなくもない。
JA会員が朝に収穫した野菜やフルーツが並ぶので、新鮮そのものだ。ただ、JAの性格上、すべてが無農薬有機農業ではないのだが、その比率はスタート時より上がっており、現状は50% ほどだそうだ。今後もその比率は高めていく方針である。
「最初の2年間、レストランは外食の業者に委託していたんです。ところが原価がより安いからとウチの農産物を使わなかったり、固定費を落とすためにスタッフを削減したりして、どんどんサービスが悪くなり、人気も落ちていきました。それなら、自ら経営して、ウチらしいレストランをつくろうと思いました。数字を追うのは大事なことですが、もっと大事なことはお客さんに喜んでもらえるような店づくりです」と、JA全農いばらき販売企画部の鎌田定宗部長は強調する。
レストランや直売所の集客力が高いので、全国から視察が多く訪れるという。
一方、ティア本体では、2005年12月、熊本市内にカフェ風の20人ほどの小型店「もったいない食堂」をオープンしている。
もったいないなる概念は、ケニアの環境保護活動家でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが重視しているが、日本の農業はもったいないことをしている。サイズがそろわなかったり、形の悪い野菜は、店頭で見栄えが悪い、ケースに入らないといった理由で味は何も変らないのに廃棄されている。ティアではそうしたもったいない野菜も、仕入れて生産者を支えている。
同じことは漁業ででも行われており、網に掛かった魚のうちでも、サイズのそろわないもの、目的の魚でなく数がまとまらなかったものは、値段も付かず廃棄されている。足の切れたタコなども値段は非常に安い。そうしたもったいない魚を、佐世保の魚市場から取り寄せている。
「もったいない食堂」では、もったいない食材を使うだけでなく、団塊世代の雇用の場としても考えており、20代くらいの若者と、一緒に働く姿が見られる。
「我々団塊の世代は豊かで便利な生活がしたいと考えて、良かれと思ってしてきたことが、健康に悪い環境をつくりだしたり、家族がバラバラになる原因になったりしている面もあるんです。若者は気づいていますよ。若者と一緒に働くことで、我々も気づいていかないといけない。そういう場を提供するのも、団塊の世代の役割ではないでしょうか」と元岡社長。
従来のフリースタイルではどうしても食べ過ぎる傾向があり、腹8分目の定食を提供すりことも必要との考えもある。
また、フリースタイルのレストランは投資額も大きく、志があっても個人では出店しにくいので、小型店の開発が急務であった。
今のところ「もったいない食堂」は赤字であるが、フリースタイルの大型店を母店にして周囲に衛星的に10店ほどを散りばめれば経営が成り立つと考えている。車に乗れなくなった老人でも、デイリーに通える食堂が小さな投資で出店可能になる。
ともしびの大野氏にしても、「カフェ・ドゥードゥー」の横山氏にしても、ティアの元岡氏にしても、自ら団塊世代であるクリエーターたちは、失うべきではなかった昭和あるいは日本の何かを今、取り戻そうとしているように見える。その方向性に対して共感が広がっていることを、見逃してはならないだろう。
賑わう「森の家庭料理レストラン」店内
「森の家庭料理レストラン」茨城地場で朝とれた野菜がメニューに並ぶ
「森の家庭料理レストラン」隣接する直売所で野菜が買える
もったいない魚からダシをとった、「森の家庭料理レストラン」のブイヤベースとは、味噌汁のこと
「もったいない食堂」オリジナルのプレート