「権八」外観
正面外観左側
正面外観右側
・レセプションは日本文化エンターテイメント。
開店前夜のグランドオープニングパーティーは招待客の車による渋滞を避けるためビバリーヒルズ市警察の巡査が交通整理をするほどの賑わいだった。300坪近い敷地の半分以上を占める駐車場の車寄せの横では和太鼓のパフォーマンスがあり、いかめしい顔の鎧兜の武者のお出迎えを受けて門をくぐると50坪ほどの日本庭園にまずあっという。 桜、もみじ、つつじの木のほとりには池があり、その間のアプローチを歩むうち期待感が高まる。
和太鼓のパフォーマンス
武者のお出迎え
庭園をコの字に囲んで純日本風の建物があり、向かって右側が入り口となっている。レセプションデスクからメインダイニングに上がる階段をはさんで蕎麦の手打ちスタンドがあり、定期的にそばを打っている様子を見ることができる。
蕎麦スタンド
蕎麦打ち
権八では日本文化を売るのだ、と長谷川社長が言うとおり、蕎麦手打ち実演のほかにも舞妓さんの踊り、三味線演奏、忍者登場、鏡割りでの乾杯、餅つき、焼き蕎麦の屋台、など盛りだくさんの日本文化エンターテイメントが客を楽しませた。
日本舞踊
舞妓さん
忍者が2階バルコニーから登場
鏡割り
乾杯する長谷川社長とナイルさん
6時から従業員総出での神道の儀式から始まったパーティーに出席した、日本からの数百人も含む1000人近くの招待客がひけたのは午後11時過ぎ。その間レストランの定員300人をゆうに越える人数が食べ放題、飲み放題の酒類を楽しみながら、何の事故もハプニングもなくおしゃれで和やかな春の宴だったことはアメリカの最高責任者であるナイルさんを安堵させた。
実は彼は前の週から出席通知数が増えていくたびに頭を痛めていたのだ。収容人数以上のパーティーは消防法にひっかかり、当日パーティーを中止されることもありえるからだ。特にビバリーヒルズ市は規則に厳しく、周りの住民からの苦情によりレストランが閉鎖されることもある。権八でも、日本庭園の一部はパテイオ席として設計されているが、開店後一年間まわりの住民の苦情がなければ許可されることになっている。パーティー当日は消防署本部長が詰めていたが、融通を利かせてくれたのだ。幸先のいい門出といえる。
小泉前首相がブッシュ大統領を接待したお店、キルビルが撮影されたお店(これは噂にすぎない、とのこと)、何年も工事が続いたお店、とてつもなくすごい日本料理のお店、と地元の関心を集めてきた権八、その仕掛け人たちは何を目指しているのか?
・商売は本物でないと成り立たない。
まず、第一に本物志向。長谷川社長によれば、「日本食が世界の主流のひとつとなったという自覚を前世紀の終わりごろロスで感じ始めた。なぜかというと、アメリカ人が和食レストランに投資を始めた。フレンチと並んで世界の主流のひとつとなった。反面、日本料理に対する極めた、突き詰めたものが減ってきた。本物の日本料理を世界に発信するつもりで、その基礎を作るつもりでまず日本に開店した。今は7店舗プラスすし、てんぷらの店。ロス権八は8軒目。いよいよ世界に、本物を出す。炭焼き、そば、すし てんぷら 一つ一つ全部で一流にしていきたい。商売とは本物でないと成り立たない。金もうけも。本物を追及する楽しさ。」
ロスに30年近く在住の総料理長の堺さんも「いいものを出していきたい。レストランでおいしいのは当たり前で、われわれの仕事はお客さまに喜んでもらうこと。セントラルキッチンやPB商品のパックをあけるような仕事はしたくない。すべて手作り、一から、をモットーとし、できる限りクオリティを高く維持していきたい。現地の日本食にそれほど精通していないスタッフをまとめていくには、身の細る思い、気がずーっと入っている。愛のある食べ物、思い入れ。大型店でも、端々まで気の行き届いた食べ物を出していきたい。」と熱がこもる。
堺さんは権八の日本食のレベルを最高のものとするために、日本で修行し、アメリカでは数少ない本格的和食の職人である丹波俊昭さんをゲストシェフとして迎え、現地スタッフのトレーニングをゆだねている。
堺さん、長谷川社長、丹波さん
・アメリカで初の手打ち蕎麦。
本物志向の一環としておそらくアメリカではじめての本格的手打ちそばの提供がある。日本の権八でそばの担当だった草野康弘さんは2年前から家族とアメリカに移住し、本物のそばをアメリカで広めるべく準備してきた。
「そばの実はアメリカ産。アメリカのそばの実で挑戦したかった」納得のいくものをアメリカ中6ヶ月かけて探し、ノースダコタ産の、「乾燥している 土臭いというアメリカのイメージだったが、これはそば本来のイメージに近かった」ものを見つけた。普通手作りそば、といってもむき実をすり砕いて粉にする作業からの店がほとんどだが、ここでは実を仕入れ、石抜き、実のみがき、製粉とすべて店で行う。打つのは還元水、ゆでるのはパイウォーターと、水も厳選し、「納得できないものを出して失敗したくない。いい物を出して失敗しても変えていけばいい。仕事のプライドは保てる。」
そば粉
そばの実
そば職人草野さんと製粉機
草野さんはまた、そばは「シンプルだけど奥が深い 食べれば食べるほど好きになる。」出し方もそばサラダなど工夫していくつもりだそうだ。
最近、特にロスで、どれほどおいしいものを真剣に追及しているレストランがあるだろうか? みかけ、流行、収益性などが先行し、本来の味の追及というものが軽んじられている中であえてレストランの原点を追求する姿勢が新鮮だ。
・その土地の人々の好みに合わせる。
長谷川社長いわく、「アメリカに何を発信したいか? そのまま日本の良さを出せば、かたくなに昔を守っていればいい、それはないだろう。文化は動く。日本の古典的なものだけでなく、新しい動きのあるカリフォルニアのいいところも取り入れて行きたい。」
同様に堺さんにとって目指すは「新しいトラディショナル」。ロスの日本食は日系人のための日本食から始まった。「つまり戦前の古典的、日常の日本食をベースに国を追われた人たちが国の援助を受けずに作り上げた日本食、たとえば 豚豆腐 などがロスにはあった。そしてすき焼き、照り焼き、てんぷら、すし、ラーメンと日本の食文化が流れてきた。1980年代から、すしがブレークして、伝統的なもの、ニューウェーブと分かれた。すしの人気が土壌を作り、90年代のバブルを経て2000年代になると日本からの商社系資本も含めて大資本が入り、日本の素材も手に入りやすくなった。カリフォルニアキュイジーヌが台頭した上に日本から新しい和食が入ってきた。」
「料理は変わっていく。そこに日本で成功した権八を持ってくる。最近の流れとして伝統を継承しつつその土地の素材を反映させ、理解してもらえる新しいトラディショナルを目指したい。」たとえば付け合せ、たこのやわらか煮は日本ではさといも、かぼちゃなどを添えるが、こちらではビーツやグリーンオリーブなどにする。またコロッケはイカ墨で、割ると中が黒。料理全体オリーブオイルを使うとか、見えない部分でもグレープシードオイルや、各種ソースにさりげなく西洋の要素を取り入れる。
ナイルさんの話ではメニューの6〜7割は日本の権八のものだが、あとは現地メニューとした。その土地ごとの人々の好みに敏感であること、その土地の新鮮な素材を使うことが大事であり、おなじ権八でもロケーションごとに独自性も持たせたい、とのことだ。そこに行き着くまで数年かかった。
「当初は日本で大成功の権八をそのままアメリカに持ってくればいい、というのが日本側の考えだったが、日本で成功したからといってアメリカでそのまま通用するというおごり、エゴを避けたかった 日本から来て日本そのままをして失敗していった例がいくつもあるがそれは現地の事情を組み入れた適応をしなかったから。日本側の説得に一苦労したかって? 説得というより議論だった。そして最後にはみんな納得し、新メニューを試食したところみんなの意見が合った。それはロス現地で本格的な和食のシェフに恵まれたことと、日本に数ヶ月滞在して権八に精通してもらったことが大きい。日本側も日本の和食の基礎がある料理人の作る料理に安心した。」
また、堺さんは権八の前の職場であったアメリカ梅の花での経験を振り返り、「一年間、梅の花で懐石をした経験に基づき、『現地の客にとって、わけのわからないもの』はよくない。料理より何より客に押しつけること、理解していないものを理解していないスタイルで出すことの反省をした。」と、その土地で理解され、受け入れられるものを提供することの重要さを痛感している。
・日本のゼネコンを選んだのがミス
現地の事情に敏感になる、ということの重要さは店舗の開発にも当てはまる。工事に3年半もかかった理由のひとつとして、本格的和風の建物を建てるために日本のデザイナー、ゼネコンを選んだのがミスだったという。つまり、アメリカの建築基準や法規を知らずにデザインを起こし、それをアメリカで通用する図書図面にするのにまず時間がかかった。さらに、最初やとったゼネコンの手抜き工事が発覚し、地下も含めて防水工事のやり直しなどがあった。ここで1年から1年半のロスとなった。
また、日本式建物へのこだわりは手の込んだ意匠など資材の輸入、日本の大工さんへの特注など、時間のかかることであり、ビバリーヒルズ市のインスペクターが日本の建物についての知識がなく、見たことのないものがたくさんあれば必然的に保守的になり許認可にも通常以上の時間がかかったこともある。
二階からの眺め
結局、工期の最終期間はグローバルダイニング社のアメリカの既存店(ラボエム、モンスーンカフェ)を施工したゼネコンをコンサルタントとして起用し、ともすればばらばらになりがちだった下請け業者をうまくまとめあげ、市のインスペクションにも対応してやっと完成にこぎつけた。
・好ましくない席は作らない
前述のとおり前庭を通り抜けて入り口に入り、右手がバー そして門からみて正面の棟がメインダイニング、2階まで吹き抜けで、そのまわりにあるグローバルダイニング特有の2階のバルコニー席は片側は庭園が見下ろせ、その反対側はよりプライベートなブース席となっている。バーの上は床に座る板の間、そして建物のもう一方の棟には1階 2階両方ともやはり庭園を見下ろせるプライベートルーム、木細工の仕切りを開閉することによって大小のパーティーに柔軟に対応できるようになっている。
よく高級レストランでは入り口付近やまたお手洗いに近い席など好ましくないテーブルと上等席とあるのが普通で、どのテーブルに案内されたかによってレストランの客に対する評価がわかったりするものだが、ナイルさんも言うとおり、好ましくない席というのはないつくりだ。また2階のブースは子供づれだったり、接待、特別な日用のプライバシーを保ちながらも、吹き抜けの1階のメインダイニングのアクションを共有することもできる。
2階板の間
2階個室
バー
・ソフトオープンでサービスレベルを徐々に上げる
長谷川社長もナイルさんも口をそろえてトレンドを追わず、長い目で見た成功を目指す、という。「開店当初2ヶ月くらいは予約をコントロールしながらサービスレベルの充実を最優先させたい。特にこれだけ工事が長引き話題になっていたレストランは期待感も高いはずなので最初からミスをせず、確実にやっていきたい。」
「少し待っていただいてでも店内のサービスレベルをモニターしながら客を入れる。それはまた期待感を膨らませる二次的効果もある。多くのレストランが開店早々レストランをいっぱいにすることを考えて失敗する。最初の印象が肝心。来ていただいたお客様がまた来たいと思うような体験を提供しなければならない。口コミ、時間をかけて。いっぺんに来てほしくない。クオリティを維持したいから。」
「基本的に予約は席数の半分くらいまでとしたい。あとはウォークインのお客さまのために開けておきたい。ぱっと思い立って権八に行こうと来て下さるお客様のために、自分が客の立場になって考えると事前に予約しておかないと入れないレストランは不便だと思う。一方 ファインダイニングのサービスでも比較的はやい回転をめざす。メニュー構成もそうなっている。」
・日本文化を売る
すし屋、アメリカナイズされた居酒屋スタイルがロスの最近のはやりだが、いわゆる日本食というのをやりたい、アメリカ初の手打ちそば、贅沢な雰囲気で良心的価格、ブームではなく本物志向のお店。そして日本人に喜んでもらうことがベンチマーク。
日本人客がたくさんいれば、アメリカ人にも本物志向ということで安心感を与える。そして、広範囲の日本料理の中からアメリカ人の嗜好にあうものを本物志向で提供する。つまり、アメリカ人の好みを反映させることと、アメリカ人にとって新しい本格的日本料理を紹介、押し付けでなく啓蒙していくことのバランスをはかる。たとえば、いまだに、ご飯やその他の品に無条件にしょうゆをかけてしまうアメリカ人が多いが、ソフトオープニングの間にお客様に、これはもう味がついているのでそのまま召し上がってください、といってお出しすると、たいていの方はそのまま食べておいしいといってくださった、ということだ。
そして究極のミッションは日本文化を売ること。長谷川社長の「ほかのコンセプトと比べて日本食を始めてみたら自分は日本人なんだな、と原点に戻ったような気がする。」というコメントが特に印象的だ。世界にさまざまなレベルの日本食が氾濫する今、本物をという意気込みに期待したいのは筆者一人ではないと思う。
300席近い大きな箱で収益性も維持し、日本食にとって外国人である現地スタッフを教育し、かつアメリカのお客様に満足してもらえるレストラン、高い目標だと思う。しかし、有名なグローバル流ホスピタリティーの精神を発揮してがんばっていただきたい。日本の皆さんもぜひ応援してください。最後にオープニングパーティーで一番印象に残ったのがパーティーの最後にスタッフ全員が前庭に整列し、帰る招待客を見送ったこと、これこそグローバル流ホスピタリティだと思った。
パーティー最後
東京出身。UCLAで文化人類学を専攻後、シアトル、ビバリーヒルズで日本食レストラン経営を体験、またベンチャーリンクロス支社に在職中、牛角のアメリカ立ち上げを担当した。現在レストラン、フード関係のコンサルティングをしながら食の文化人類学の博士号論文も準備中。