・ファッションが好き、車が好き
中村氏は会津若松市の漆屋で育った。父親はシャレ者で東京に来るといつも新しいホテルに泊まっていたという。その血が中村氏にも流れている。
専修大学を卒業後、当時一世風靡していたアパレル「ボートハウス」に入社。22〜27才まで働き、企画・販売・商品管理など一通りの職務を経験する。中でも勉強になったのは、24才の時に「ジミーズ」という渋谷の10坪の店舗を任されたこと。独自のブランドだったので、商品を一から作ることから始め、人材を育て、売上を作る、いわゆるマネジメントを学んだ。「経営の疑似体験ができた。売上を上げたり、集客する自信がついた」と中村氏。
しかし、アパレル業界に不安が。アパレルは世の流行に敏感に動く。そして「疲れた。自分が独立してできるのか?」と不安になったそうだ。
「自分の思いを長く継続できるものは何か? 長く続く良い店とは?」を考え飲食店に行きつく。「自分の周りの友人やお客のほとんどが飲食関係者だった。食べることも好きで、金が無くても美味いものを食べたい」とシャレ者の血が騒いだ。
「若い内は自分で思い込まないと前に進めない」との信念から、自分を飲食に追い込んでいく。
・居酒屋で鼻をへし折ってもらう
27才で「ボートハウス」を辞め、30才までに店を出すと決める。その為に2年間は人に使われ、修行することにした。1店舗目は広尾のカフェレストラン。厨房から出られず、半年で辞める。中村氏には時間がなかった。
次は、「自分をダウンさせよう」として下北沢の大皿料理居酒屋で働いた。居酒屋なら1年間で何でもやらせてもらえるだろうという判断だ。
「プライドが高いので、自分の鼻をへし折ってほしかった」。年下の若いバイトから命令され何でもやった。トイレに行く時、お客に「行ってらっしゃい」と大声で言ったそうだ。また、下北沢には友人が多く、カッコ悪かったがチラシ撒きもやったそうだ。シャレ者の中村氏には相当きつい経験だったろう。
・逆張りのラム&ボサノバで取材殺到
そして独立。ハードルが低くて、自分らしい業態を探しバーと確信した。場所は、土地感のある下北沢。
「どこにいたの?」とお客から聞かれた時、箔を付けたかったという理由で、三宿の「春秋」で半年間修行。徹底的にカクテルを習う。当時の三宿の「春秋」は和食とワインやカクテルを合わせる、今では当たり前だが、先端を走る飲食店だった。
「春秋」で働きながら、物件を探し、とうとう29才で下北沢にバーを出した。それが今も続く「フェアグランド」。17坪。最悪の立地だったと言う。
ビルのオーナーから、出す店出す店が潰れた立地なので「素人でだいじょうぶ?」と不審がられたそうだ。そこでオーナーに自分の覚悟を見せるために銀行からおろしたばかりの現金1200万円を保証金として持参。
人と同じことをやっても仕方がない。当時はバーボン人気だった。しかし、次はラムが来ると思い、オープン時に80種のラムを品揃え。
また音楽はボサノバ。当時バーボンにジャズが人気だったが、違うことをした。そのラム&ボサノバがウケて、メディアの取材が殺到する。
「今の私の財産は、この頃のお客です。クリエイターや役者など面白い方々であふれ、距離感が近くて普段着で会話ができました」。トレンドの先端を走る店には、クリエイター達が集まってくる。その先端を見分けるセンスが、中村氏の優れたところだ。
・職人の首を切って、独自に和食メニュー開発
31才で結婚。日本酒が毎日家にあり、茶道や華道を習っており和への興味が強かった中村氏は、和食店を思いつく。「流行に左右されずブレずにやれる業態」という。バーは、飲食業での第一ステップに過ぎなかった。
33才で、「なかむら」を出店。バーのお客からも「この辺りにいい和食店ない?」とよく聞かれ、バーも任せられる人間が育っていた。借金して6千万円を投資する。
バーは下北沢の南口なんで、和食店は北口の住宅街に作った。「ちょっと『大人の隠れ家』を狙いました」。
半年間は毎月100万円の赤字。バーが儲かっていたので、ギリギリで運営。
料理についてアイデアがあったが、やっと来てくれた50才の料理人がいて、彼に辞められたら困るので文句を言えなかったそうだ。しかし、スタッフの一人から「中村さんの好きな事をやって下さい。僕は付いていきますから」と言われ覚悟を決めた。その料理人に辞めてもらったのだ。
残ったのは、自分と妻とスタッフとバイトの4人。2週間、店を閉めてメニュー開発に励んだ。「自分がやりたいことをやらないと後悔するよ」と若い人々にアドバイスする。
それからだ、売上が上がったのは。そうすると、和食の若い料理人がやってきた。「センスは無かったので私が教えましたが、腕は確かだった」。
看板の無い店。「でもお金が無かっただけなんです。最初は、和紙に墨で名前を書いて、中から照らす行燈でしたが、ある日、風に飛ばされて無くなった。そのままなんです」。この看板の無いのが、看板になった。またも、中村氏のセンスが光る。
どうやったらお客が来てくれるのか、原点を考えたそうだ。「頑張っている姿を見せると、お客がお客を連れてきてくれる。必死になってやれば成功する。必死になってないから失敗するんです」。今でも、10年以上右肩上がりで、予約の取れない店だ。
36才の時に「手伝ってくれない?」と言われたのが、プロデュースの始まり。飲食店を増やそうとは思っておらず、「行く行くはソフトを売りたい」と思っていた。その第1号が「HIGASHIYAMA
TOKYO」。
「KAN」店内
「オープンキッチンをやりたくなった」。「なかむら」はクローズドキッチンだった。37才の時、池尻にカウンター8席の店を譲ってもらい「KAN」をオープン。これも看板なし。毎日20〜30人を帰していたので、後で移転。「活気があって削ぎ落とした店をやりたかった。潔く、料理人と料理だけの店です」。
次に、蕎麦に挑戦。今後、蕎麦業態が伸びると思ったそうだ。大したサービスもなく、夜8時には閉めて、それでも成り立っているのが蕎麦屋。これなら世の中の蕎麦屋に勝てると「山都(やまと)」を始める。
「山都(やまと)」
・「ピシッとしろよ!」実は体育会系
人のモチベーションを上げるために、スタッフを毎週1人づつ事務所に呼んだり、食事に連れていったりしている。「スタッフとは、非常に良い関係が築けています」。
電話の出方、「いらっしゃいませ」の言い方を非常に気にする中村氏。「ピシッとしろよ」といつもスタッフに言う。高校・大学と野球を極めた、実は体育会系。スタッフの3分の2は坊主頭だそうだ。
今は「なかむら」は13年間伸び続け。「KAN」もずっと売上が伸び、17坪で月600万円売る。蕎麦「山都」は3年やってようやく良くなってきたそうだ。子供から大人まできて、蕎麦だけの人や酒を飲む人など食事の仕方が様々で、大変な業態だが、最近手ごたえを感じている。
銀座ベルビア館に出店した「銀座KAN」
・東大出身者とプロデュース会社、カゲン設立
東大を出て博報堂に入社した子安大輔氏が、博報堂を辞めて入社したいと言ってきた。「飲食店のプロデュースをやりたかった。本物は中村さんしかいなかった」と子安氏は自信をもって言う。
そこで子安氏にも出資してもらいプロデュースの会社を設立。それが「株式会社カゲン」。由来は「いいかげん」。本来、「いいかげん」は「グッド・バランス(良い加減)」の意味だそうだ。中村氏は言葉の由来を探ることも好む。直営店は、有限会社フェアグランドが管轄している。
カゲンとしては、60店舗以上をプロデュース。2年間かかった大分のラグジュアリー旅館「界・ASO」も昨年開業。最近は商業施設内のレストランのプロデュースが増えている。プロデューサーは繁盛店を作っていないと出来ない。
また、故郷の会津若松市の町興しも手掛けている。「お裾分け」というブランドを作って、農産物、加工品、労働、お金、時間など幅広いジャンルでお裾分けの考え方を取り入れ、町興しを図ろうとしている。
プロデュースの秘訣は「やりたくないことはやらない」。「受けようと思えば、ガンガン仕事は受けられますが、次の瞬間には疲弊してしまう」。
・飲食の学校「スクーリング・パッド」
世田谷区池尻の中学校が廃校になり、今までと違った学校を作ろう、ということで当時イデーの黒崎輝男氏から提案を受けた。「人生って波乗りです。直感で、乗っかっちゃえと思いました」。
黒崎氏と折半出資して誕生したのが、株式会社スクーリング・パッド。自分の生き方・働き方を学び続けることで発見していく学校だ。黒崎氏がデザイン系、中村氏がフードビジネス系を担当する。これまでの中村氏の飲食人脈を生かして、最高の講師陣を揃えた。
「スクーリング」の「リング」は現在進行形で、学び続けて欲しいという意味。「パッド」はロケットの発射台の意味。現在、フードビジネス、デザイン、映画、農業の4学部で6コース。学習期間は3ヶ月。過去2年間で600名の卒業生を輩出した。
「スクーリングパッド」での生徒によるプレゼンの様子
・今年9月からプロフェッショナルコースを開始
卒業生による出店も始まった。レストランファンドを立ち上げた人、パンケーキカフェ「Voi
Voi」(三軒茶屋)、豚ステーキ「東京トンテキ」(渋谷)など。今年9月には53才のフレンチシェフがカレー店を恵比寿で立ち上げる。「このカレーは当たると思います」。
本年9月からプロフェッショナルコースを始める。飲食店経営者向け。今までは経営者と飲食未経験者が一緒に学んでおり、経営者の方々には物足りない感があったのを解消する。
課外活動で訪れたサントリーの白州蒸留所
■スクーリング・パッド
レストランビジネスデザイン学部 プロフェッショナルコース
<講師>
中島武氏(際コーポレーション)、稲本健一氏(ゼットン)
新川義弘氏(ヒュージ)、松村厚久氏(ダイヤモンドダイニング)
高島宏平氏(オイシックス)、辻口博啓氏(モンサンクレール)
入川秀人氏(入川スタイル研究所)、武長栄治氏(ジャパンフードシステム)
など著名人多数
<期間>
2007年9月27日〜12月13日の毎週木曜日19:30〜22:00
全12回
<授業料>
18万9千円(税込)
「新しい価値観を生み出したい。どんなに小さい店でも良いので新しい価値を付けて世の中に出していく人を応援したい」という中村氏の強い意志がこの学校を支えている。
「場をつくる、環境を作る、ということを一生懸命にやっています」。中村氏は生徒と同じ目線でひざを付き合わせて考える。そんな、中村氏のスクーリング・パッドから次世代の外食経営者が続々誕生する予感がしている。