・「一体感」で世の中と勝負。
坂井氏は、法政大学時代にテニス部部長。そこで、一体となって組織を運営する喜びを覚えた。「手前味噌ですが、競争力のあるテニス部が作れました。これを社会に持って行けば素晴らしいことができる。世の中で勝負してみたいと思った。」
会社名は「ユナイテッド&コレクティブ」。アパレル企業のようだ。実は「ユナイテッド&コレクティブ」とは、一体感のこと。学生時代から現在に至る坂井氏のキーワード。
「学生最後の記念にと、メキシコに行き世界ランキングが取れるテニス大会に参加しました。地元で有名なランキング400位の選手と対戦。センターコートで観客は満員。センターコートに立つなんて初めての経験です。緊張しましたが、会場を沸かせるプレーができました。その際に知り合った方に英語で手紙を書こうとして、英語のできる先輩に『一体感』を英訳してもらいました。それが社名です」と、エピソードを語ってくれた。
25才で1号店を高田馬場に創業し、「Kokoro」と「鶏・旬菜・お酒 てけてけ」の居酒屋2業態を都内で展開。本年9月6日に9店舗目として秋葉原に「てけてけ」をオープンさせた。年商約10億円。
「てけてけ」神楽坂店の個室
・一流企業の営業マンから調理場へ
坂井氏が大学にいた時代はベンチャーブーム。ソフトバンクの孫正義氏、パソナの南部靖之氏などがメディアに大きく取り上げられ、起業を目指す学生が増えた時代だ。坂井氏は、当時、文学部哲学科で難しい学問を学んでいたが、「哲学が何の役に立つのか?」と思い始め、とにかく早く独立したいと考えるようになった。
まずは、大企業に入る。「ずるいんですが、一生サラリーマンかも知れない、と思っていました」と言う。独立したい気もあったが、まずは安全のため大企業の門を叩いた。
車とバイクが好きで、スズキ自動車に入社。法人営業を担当。「販売方法が疑問でしたし、また、年配の営業マンが多くて、空気感が嫌でした。各事業所に鈴木社長の写真が掲げてあるのにも抵抗がありました」。入社した年の12月に、1年も勤めず退社。最後は、鈴木社長の自宅を調べて改善提案を郵送したそうだ。もちろん、返信はなかった。
辞める前から、飲食での独立を目指した。そのためにはまず、料理。職人に逃げられた時を考えて、何とか自分で店を切り盛りできることを考えた。
調理を修行させてもらうため、友人の父親が経営していた、東京・門前仲町の「味鉄」という居酒屋の調理場で1年間修業。
「修業中は怖かったし、辛かった」という。スーツを着た大学の友人達が食べに来てくれる。「俺、何やってんのかな?友達から蔑んだ目で見られているんじゃないか?」と自信を失いかけた時もあった。
その後、大手チェーンを勉強するため、あるチェーン居酒屋でアルバイトとして働いた。「人件費支払での汚さに驚いた。営業は朝5時まででしたが、5時でタイムカードが切られてしまいます。片付けると6時になってしまうのに、片付けの時間の給料がもらえない。また、本部からの新メニューの試作会をすると8時になってしまうが、それもサービス残業。」
「衛生環境も酷かった。ゴキブリ、ネズミが出るのは当たり前、猫まで出てきました。サラダの中にゴキブリが入っていくのを何度も見ました。大手の店では食事をしたくないです。」
「人材も酷く、入社半年も経っていない人がやってきて急に副店長です。」
・25才で隠れ家和食を開店。15坪で月商400万円
その後、学生時代から知っていた「てしごとや」に入社。「隠れ家」のような雰囲気の店を展開している外食企業。池袋の「あじさい家」でキッチン全般を担当。マニュアルはなく、メニューも現場で考える店。和を中心に、中華、洋風もあり、魚もその日によって変わる。そこの経験を生かして独立した。
独立したのは、25才。2000年8月、高田馬場で和風創作居酒屋「Kokoro」をオープン。地下と中2階で合わせて15坪、20席。親族に保証人になってもらい借りた2千万円が開業資金。
1ヶ月目は目標に届かず、初めての大きな借金でヒヤヒヤしたそうだ。しかし、2ヶ月目から人気爆発。高田馬場におしゃれな内装で美味しい料理の店が無かった。「隠れ家っぽくて目立たない店でしたが、それがウケて行列ができました。お酒については徹底的に勉強し、美味しそうにお勧めできました。週に2回以上来る常連が10組以上。月商400万円を超え続けていました。」
「Kokoro神楽坂」 外観
「Kokoro飯田橋」店内
2店目は2001年9月に「Kokoro神楽坂」。1店目の1年1ヶ月後。3店目は2002年11月に「Kokoro飯田橋」。
「Kokoro」は、板前料理で完全な差別化を目指した業態。厳選素材を職人が調理し、各店舗ごとにメニューが異なる。客単価4500円。個店としての競争力のある業態だ。
・挫折! 社長一人のやる気だけで空回り
しかし、2店、3店と出来て、1号店の高田馬場店の売上が月400万円から300万円に減った。神楽坂店も800万円から600万円に減った。坂井氏が店舗にずっといられなくなったのが理由。坂井氏の個人力で繁盛していたことが分かった。
「高田馬場での成功体験が効かない。社長個人のやる気だけの売上で仕組みができていなかった」と反省。
「オペレーションはガタガタ。料理が不味い。スタッフに笑顔がない。社内モチベーションは低下。今までどういう店作りをしていたのか?」と焦りがつのる。
社長がまた店に出ればいいのかと、3店舗を動き回った。この料理長の下でやっていけない、と辞めていくスタッフ。今度は、料理長を辞めさせるとキッチンスタッフがごっそり辞めた。
ギリギリで回していた。「税理士から後で聞いたんですが、この会社はつぶれるだろう、と思われていたそうです。」
・利益こそ力! 人時売上高を競う
店舗を増やすための力を蓄えようと、出店を2年半止めて、利益を上げることに全力を注いだ。。
「利益こそ力」。ケチケチ経営で、坂井氏は人の3倍は働いた、そうだ。1人のスタッフが、1時間に上げた売上高を見る「人時売上高」という指標を使用。人時売上高5000円以上を目標とした。坂井氏もホール1人で1日17万円を上げた。あるスタッフは調理場1人で32万円を上げた。当時は、この人時売上高でスタッフ同士で競い合っていた。
そして見事に復活。2005年から新業態「てけてけ」の出店を始める。
・仕組みの「てけてけ」で2015年の上場めざす
「鶏・旬菜・お酒 てけてけ」は仕組みを作って多店舗展開する業態だ。同じ客単価では食べられない鶏料理がメイン。人気メニューは、1店舗で月に1000本売れる「塩つくね」。「もも肉鉄板焼き」もよく出る。しかも、客単価3500円〜4000円。大手の2500円と、中小の4000円の中間帯を狙っている。
「塩つくね」 1店舗で月に1000本売れる
「もも肉鉄板焼き」
幅広い客層だけでなく、様々な利用動機にも答えるため、カジュアルながらも雰囲気ある様々な個室も用意されている。お酒も本格焼酎、地酒を質・量ともに大手居酒屋に負けない価値を提供。ターゲットは、価格の安さだけを求める20代ではなく、「本物感」「こだわり感」を重視している30代以上の男女。
料理を平準化するのが難しいが、細かく調理方法を指示できるレシピシートを開発し、実行している。「大手でもここまでの細かく調理方法を指示している企業は少ないでしょう」と坂井氏は自負する。
「もも串」
東京都内を中心にドミナント展開を実行中。立地は、駅から道1本ほど離れた立地で、坪家賃1.5〜1.9万円。
50坪で初期投資5〜6千万円。昼夜各1回転し、月商1千〜1千2百万円。FL55%、営業利益20%を想定している。
食材は、セントラルキッチンを採用せず、大手食品メーカーで開発してもらい、半加工で店舗に配送。
今後は「てけてけ」を中心に店舗展開。2010年には20店舗体制に。売上は30億円、経常利益も3億円以上稼げるので、2015年までの上場を目指している。
50店舗、100店舗とさらに大きな構想を抱いて欲しい経営者だ。