フードリンクレポート


うどん居酒屋からエナジーチャージ会社へ転換。
大薮 由一郎氏
有限会社 一滴八銭屋 代表取締役

2008.3.7
実家は香川県の讃岐うどん店。大薮氏は兄弟3人で東京にうどん文化を浸透させようと、新宿にうどん居酒屋「一滴八銭屋」で外食に参入。創作うどん店として知名度を上げる。さらに、天ぷらを気軽に食べてもらうために「串天ぷら」を創作。本年2月に「段々屋」としてオープン。創作力を武器に外食にこだわらないエナジーチャージ会社への転換を目指している。


「一滴八銭屋」新宿店 巨大な看板

1999年開業、2006年映画「UDON」

大薮氏の父親は香川県高松市出身。電電公社に勤めていたが、約30年前に脱サラし、愛媛県川之江市でうどん店「大真」を開業した。当時、喫茶店でもうどんを出すなど、慣れ親しまれた食べ物であり、うどん店は独立しやすい職業だったという。そんな家庭で、子供の頃からうどん作りを手伝って育った。

 東京の大学卒業後、内装会社、丹青社に7年間勤務。そして、「父は20代で独立した。サラリーマンでやるより、自分でやれという教えを受けながら育ってきました」と父親の血を受け継いだ。

 30才で独立。やはり、うどんを選んだ。実弟が大学卒業時で就職が決まっていたが、蹴って合流。さらに会社勤めをしていた妹の夫も意気投合。実家のうどん店で修行した。そして、1999年1月、3人で資金を出し合い、東京・新宿でうどん居酒屋「一滴八銭屋」を開店させる。

「一滴八銭屋」という店名は、例え一滴のつゆにもお金をもらっているという気持ちを忘れないように選んだという。また、「いつも茹でたての麺を提供すること」「他では食べられない創作うどんを看板にすること」「全て手作りにこだわること」の3つにこだわった。 

 ターゲットは20、30代。自分たちと同世代と考えた。「最初は新橋を狙いましたが、土日が利かない。土日も人がいるオフィス街がよいと探したが、なかなか物件に出会えない。歌舞伎町の職安通りの方で決めそうでしたが、西新宿1丁目の今の物件がポッと出てきた。すぐに飛んで行って、その場でサイン。しかし、実は競売物件であることが後で分かり、苦労しました。勉強になりました」という訳で、2階・3階ながら、ヨドバシカメラなどが集まる新宿西口の電気街の好立地を獲得した。

 オープン当時は、うどん専門店と謳っても、「そばありますか?」と聞かれるほど東京ではうどん店が理解されていなかった。しかし、2階・3階合わせて25坪で、当初からランチで日商7万円、月商700万円と早い立ち上がり。

 実は、讃岐うどんフリークがネット上で「東京に讃岐うどん店が出来たので行ってみよう」と噂してくれた。「仲間内で噂になってるよ」とお客から言われ初めて知った。今まで東京に讃岐うどん店が殆ど無かったし、これだけコシが強いのも無かったと、ネットに書きこんでくれ、火が着いた。

 2002年12月に恵比寿に2号店をオープン。自分たちの本当の力を試そうと、麺の激戦区、恵比寿を選んだ。

 そして、2006年8月末に映画「UDON」が公開された。2ヶ月間は忙しかったそうだ。後も、押し並べてすこしづつ右肩上がり。現在、新宿店は月商900万円。東京でもうどん文化は認知された。


かしわ天ぶっかけ(770円)


白肉うどん(830円)


名物 黒おでん(189円〜) 四国ではうどんにおでんは付きもの


鳥手羽元の山賊焼(630円〜)


うどんは、小麦粉、塩、水

 うどんと言えば香川県。良い水と良い塩がある。雨が少なく、日照時間が長い土地柄がうどん作りに向いている。香川県では、うどんはごく普通の家庭料理で、少し前までは「うどんを打てないと嫁に行けない」と言われたそうで、行事のたびにうどんが出され、集まるとうどんを食べるという。

 味を決めるのは塩。うどんを熟成させるとコシが強くなる。塩水で小麦粉をこね、そして寝かせる。夏は熟成が早いので塩を多めにし熟成を止める。冬は少なくして熟成を早める。通常は5〜6時間寝かせる。しかし、長く寝かせた方が美味しいとは限らず、ある熟成ポイントを過ぎるとダレてくる。熟練した打ち手は、小麦粉を練っている時に、気温・湿度を考えて、塩加減を調節する。

 うどんは蕎麦とちがいこだわりが打ち出せていなかった。うどんブームが来るまで香川県でも、日常食過ぎてこだわりがなかった。現在、香川に700軒。製麺所で出来たものを醤油だけかけて食べさせたりで、1杯100円のおやつ感覚の食べ物。それが、美味しい店に目を付けた東京人がブームを起こして、東京からツアー客がやってくるようになった。それで、香川にもこだわる店が出来始める。

 小麦は外国産だが、香川県の製粉会社で製粉することで付加価値が生まれ香川モノは小麦粉の袋にも明記されブランドになっている。「一滴八銭屋」ではカナダ産の小麦を香川県の小さな製粉会社で加工したものを、わざわざ香川から東京に配送してもらっている。

 店の4階に事務所兼麺打ちスペースを設け手打ちする。朝9時から仕込み、11時で練り終わる。ランチ営業時は熟成時間。そして、夕方4〜6時まで打つ。3人で始めた時は、義理の弟が麺打ち担当だったが、恵比寿に2号店が出来、社員を雇い始めた。出来あがったうどん玉を仕入れた方がコストは安いが、手打ちがこだわり。

 粉ものは儲かると言われるが、香川からの小麦粉の配送コストや、打ち手の人件費を考えると、FLで60%かかっており、儲けは意外に少ない。


「一滴八銭屋」恵比寿店店内


「一滴八銭屋」恵比寿店 テーブル席


「一滴八銭屋」恵比寿店 カウンター席


小料理、串天ぷらに進出

「同じ一滴八銭屋ばかり出しても飽きられる。2店しかないのにチェーン店と言われ、ネットでチェーン店のうどん店は食べたくないと書き込まれたりしています」と個店主義で、大薮氏は今も店に立つ。

 3店目はアッパー居酒屋「滴屋」。2004年10月オープン。自分達が行きたい店を作りたいと考えていたところ、一軒家の物件が出た。「ゆっくり日本酒が飲める場所が欲しい。メニューなしで、晩酌のように店でつまみを5つぐらい作ってくれて、飲みながらご飯を待つ」店だ。「一滴八銭屋」で働いていた女性を口説いて女将になってもらう。しかし、調理師と上手くいかなかったりして、軌道に乗るまで1年半かかったという。


「滴屋」外観


「滴屋」入口


「滴屋」桐の間


「滴屋」お通し


「滴屋」おこわ

 4店目は串天ぷら「段々屋」。2008年2月オープン。「一滴八銭屋」新宿本店の向かいに1棟借りの物件が空く。天ぷらは気合いを入れる食べ物だが、今日飲みに行こうという時に選択肢に入るよう、3〜4千円で食べられる天ぷら屋を作った。得意の想像力で創作天ぷらメニューを生み出し、さらにシャンパンやスパークリングワインと合わせる提案を行っている。


串天ぷら「段々屋」 「一滴八銭屋」新宿本店の向いにある


「段々屋」 コの字カウンター


「壱の膳」(1280円) カボチャ煮付、魚肉ソーセージ&ガリ、漬けウズラ(左から)他に2本の計5本。基本はお任せで、空腹具合により壱の膳、弐の膳と進んでいくシステム。


元気を充電するビジネス

 その間、実弟とは道を違える。1999年のオープン最初は兄弟3人で1人1店舗持てるまで頑張ろうと話していたが、新宿店が成功すると「10年後、20年後の未来については各々秘めているものが違った」ことが分かる。

 実弟は、飲食だけでなく健康管理に目を向けた。ヤクルトを毎日運ぶようにその人専用のジュースを運びたいと考え、ジュース屋を移動販売でスタート。小売店舗も持ったが上手くいかず、実家でうどん店「大真」を継いでいる。そして、地鶏を丸ごと焼く「釜焼鳥本舗」をうどん店の隣に出店し、今では東京にも出店している。

 大薮氏は、義理の弟と2人で会社を率い、エネルギーをテーマにビジネス展開をしようとしている。

「飲食だけでなく、幅広くエナジーをチャージする会社にしたい。夜の2時間はここでチャージ、昼間の15分、1週間など時間を単位で考えながら、日々減ったものを充電してあげる会社になると面白い。減ったものを充電して、元気を充電してあげる。皆さんそれぞれの役割があり、家庭でも会社でもエネルギーが減る。皆さん、自分の顔を出せるところがないんです。自分の素に戻って充電して、お父さんの役割をまた発揮する。」

「その場所にきて、すごい元気なスタッフがいて お客さん同士も仲良くて、その場所はうどんでも天ぷらでもよい。何を出すかではなく、スタッフと話ができて楽しかった、今日もまた違うものが食べられて良かった、というような店を作りたい。」

 創作力のある大薮氏。外食業界の見たことのない新しいコンセプトのエナジーチャージ店を期待したい。



大薮 由一郎(おおやぶ よしいちろう)
有限会社 一滴八銭屋 代表取締役。1968年生まれ。愛媛県出身。1999年1月にうどん居酒屋「一滴八銭屋」新宿本店、2002年12月「一滴八銭屋」恵比寿店、2004年10月料亭「滴屋」(田町)、2008年2月串天ぷら「段々屋」をオープン。現在、4店舗を経営。

「一滴八銭屋」 http://www.itteki.com/index.shtml
「滴屋」 http://www.itteki.com/shizuku-ya/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年2月26日取材