・忍耐の高級和食からディスコの洋食へ
長澤氏は中学時代からの料理好き。東京・新宿の調理師学校を卒業後、地元、神奈川県秦野市の和食店に就職。お客の目の前でステーキを焼くような高級店。そこで3年間の修行に耐える。
「毎日泣かされました。賄い用の味噌汁でも何度も何度も作り直しをさせられましたね。先輩たちが食べるのを待たせて『材料を買ってきてもう一度作れ』と命じられたりしました」
まだ慣れないカウンターに出ても、客が「右利きだったか左利きだったか」「タバコの銘柄は」「ネクタイの色は」など、チーフから前回と違う質問をされる。カウンターという場所に立つということは料理を作るだけでなく、そういう洞察力も身につけなければならない。まずはやらせて失敗させて分からせる。理不尽だと思うことも少なくなかった。
「10年たった今はその教え方を理解できますが、当時は嫌で嫌で仕方なかったですね」
長澤氏の下には後輩が入ってこなかったこともあり、始業の2時間前に店に入り、雑用は全て自分ひとりでこなすこと3年間。この厳しい3年の下積みでまず耐えることが身についた。
「今でも大切な財産です」と長澤氏。
飲食を志したときから独立をひとつの目標にしていた長澤氏は、新たなステージを求めて、日拓エンタープライズに転職。まだバブルの名残りがあったころであり、お金をかけ派手な演出を行うライブハウスやディスコの厨房で働き始める。そこでは上司からはメニューを渡されるだけ。レシピを研究することからスタート。味付けは教えてもらったが、盛付けは一切自由で、その面白さを実感したという。
そこには様々なホテルで働く一流の料理人が不定期にヘルプとして来ており、長澤氏は一緒に働くなかで一流の腕を学んだ。そのうえ、当時は景気が良くて、オマールやフォアグラなど仕入れ放題。高級食材を使った料理も経験できた。
「余裕のあるときには、つきっきりで洋食の基礎から教えてもらいました。パティシエと2人でどっちが作ったケーキが売れるか競争したり。自由だったからこそ、いろいろと勉強できました」と、ここでの経験が今の多業態での料理作りを支える基礎作りの時代となった。
そして、赤坂のディスコ「ロンドクラブ」に移り、現在のダイヤモンドダイニング社長、松村厚久氏と出会う。
・1年間で30分
「1年間で30分」とは「ロンドクラブ」で店長だった松村氏と、厨房でチーフを務めた長澤氏とが当時、会話した時間。松村氏は人見知りが激しく、あまり話をする機会もなかった。「厨房への要求はなく、飲み会でも話さなかった。自分は気が強く、言われるとカッとなるタイプだったので、ややこしい奴が来たなと避けられていたのかもしれない」と振り返る。長澤氏は松村氏の1才年下。年令が近いこともあり、お互いに敬遠しあっていたようだ。しかし、この出会いが後のダイヤモンドダイニングへと繋がっていくこととなる。その後は年に1回の年賀状のやりとりのみだが松村氏との付き合いは続いた。
そして、長澤氏は料理人を目指したころから目標にしていた通り、27才で独立。東京・中野の沼袋でビストロ居酒屋を開く。仕入れと家賃など諸経費を差し引いて50万円を自分の給与として残すことを目標にしていたが、それに届かなかったことを理由に3年で店を畳んでしまう。その間、個人で店を経営することの苦労を身をもって経験。好きという気持ちだけでは趣味の延長でしかない。お客様の求めるものを提供すると同時に利益を出さなければ、従業員を含めて笑顔にできないということを痛感した。
再び就職。次に選んだ職場は、三光マーケティングフーズ。当時の三光マーケティングフーズは上場前でまだ十数店舗しかない時代。長澤氏はとんとん拍子に出世し、約半年でチーフに上りつめ、新宿にできた360席の大型店舗の立ち上げを担当する。「他の社員は嫌がっていたので、自分が率先して手を挙げました。その方が会社にアピールできますから。周りには、自分で行動しないし、自己主張もしない、怒ることもしない人ばかりで、逆にこれがチャンスだと思いました」と長澤氏は上昇志向が強い。その店はランチも行っていたため、1ヶ月間店に泊まり込み休みなしで、無事に立ち上げを終えた。
そんな時に、1号店「VAMPIRE CAFE」を出店しようとしていた松村氏から声がかかる。
・「スタッフにも賄いで美味いものを食べさせたい」
当時の三光マーケティングフーズの店では、メニューにないものを出してはいけないというチェーン店流のルールがあり、「メニューには鯛茶漬けだが、メニューにない梅茶漬けが食べたいというお客様に梅茶漬けを出した。すると怒られた。鯛茶漬けの代金をとっているのにです。ビジネスとしては成り立っているのにおかしい」と違和感を感じ始めていた。
松村氏から「VAMPIRE CAFE」に誘われた時、「銀座でめちゃくちゃ良い立地で、スタッフにもまかないで旨いものを食べさせたいと松村さんに言われました。スタッフを大事にする気持ちに感激しました。自由にさせてもらえそうだし、やりたい!と思いましたね。」
しかし、オープンから10日間はお客は1日20人も来なかった。「本当に心配になり松村さんに聞くと『死にはしないですよ』と冷静に応えられ、奥さんや子供がいるのに肝がすわっている。自分ももっと真剣にならなければと気合が入りました」と長澤氏は松村氏を尊敬する。10日後に雑誌に掲載され、その日を境に連日、100人以上のお客が毎日押し寄せるようになる。これも松村氏の戦略だったようだが、同時に媒体の影響力を痛感したという。
・メニュー作りは3つの柱
ダイヤモンドダイニングでは主に業態は松村氏、その業態を聞いて長澤氏がメニューを考える。「業態を言われたら、まず自分のイメージでメニューを組み立ててみる。その後でベンチマークする店に視察に行くようにしています。なぜなら店を先に見ると、その店のメニューで業態への先入観がついてしまう。まずは自分が考えるイメージを作り、後で店に行って合っているか、直すべき所はどこか考えます。」
メニュー作りのコツは、まず重要な3つの柱を見つけ出し、その各々の柱を深堀りしていくこと。例えば、和食だったらコンセプト・こだわり・新提案など。まず、コンセプトなら、メニューにストーリー性を盛り込んでお客様に「あっ」と言わせる独創性を盛り込むのを忘れてはならない。さらに、ビジネスとして利益が出ること。いくら美味しくても企業としては利益が出して存続できなければと意味がないと長澤氏は言う。
「利益がとれて、しかも美味いものをつくる努力をしたい。300円の大根を1500円で売っているのが普通の店。ダイヤモンドダイニングは300円の大根を5000円の商品に換える。余ったブリのカマは普通、賄いで使うか、捨ててしまうしかないが、捨てずに大根を1本加えてブリ大根を10個作れば、1つ500円として5000円が売上となる。これはメニューにないものを売ってよい環境だからこそできること。その工夫によって原価率25%で料理が作れる」と、無駄を出さない工夫を自由にさせて原価率を下げている。
・長澤氏自信のメニュー
お客の心に残る、自信のメニュー3品を挙げてもらった。
●「<貴婦人の砂時計>アボカドと温玉のシーザー風サラダ 水晶仕立て」1000円(VAMPIRE
CAFE)
「常に業態開発のために本や映画などあらゆるところからアイデアのストックをしていますが、ふと何かがきっかけでバラバラだったものがひとつになる瞬間があります。それもそのひとつで、お酒を飲んでいるときに突然思いついたメニューなんです。」
●「牛すじホルモンの夜鳴カレー鍋」1人前1480円(2人前〜)(あくとり代官 鍋之進)
「この商品味を決めるときにイメージしたのが『そば屋のカレー』。この多くの人に『おいしくて飽きない』とカテゴライズされているこの味に近づけるように何度も試作を繰り返しました。」
●「爆麺」 1000円(爆麺 闇雲堂)
「この商品は『爆麺』という店名からインスピレーションを得て作った料理です。『爆(バオ)』という響きから『豪快な音が出る料理』をテーマにイメージを膨らませました。また、ニーズの高い反面、たまにしか食べることのできないおこげをもっと気軽に食べられるものにしたいと考え、新しい提案として焼そばとおこげをワンプレートで表現しました。」
・キッチン人件費率10%が目標
ダイヤモンドダイニングのキッチンの人件費率は10%を目標としている。
「当社は10%の中で焼鳥を店で刺しています。刺すのは痛かったり、冬場は冷たくて大変な作業。だから、焼きを失敗して焦がしたら、また刺さねばならないという思いから慎重に焼く。冷凍や業者が刺したものだとその苦労がない分、捨てればよいと食材の扱いが雑になる。管理面でも腐ったら捨てればよいとなる。こちらは腐ればまた刺さないといけないので、予定数を慎重に読むようになります。」このように人件費を抑えつつ、手間をかけて原価率も下げているのだ。
「ダイヤモンドダイニングの社員は他所より余計に働くことになります。しかし、その分キッチン人件費10%で回す能力が身につく。他の居酒屋チェーンのキッチン人件費は13%程度。その点からダイヤモンドダイニングで修行した人間が他の会社に行ってその力を発揮できれば確実に活躍できるはずです。」
長澤氏は新店の立ち上げをはじめ、現在でも自ら店で調理に携わることも多い。「そうするとキッチンの社員が休みの日に手伝いにきてくれたりするんです(笑)。ただ100業態もつくるんだから、1店舗の料理人だけではもったいない。何でも経験した方が勝ち。大変だけど楽しい。」今だアルバイト面接にも顔を出すという長澤氏。コミュニケーションを大切にし、末端までに目配りする姿勢は変わらない。
・アッパー業態で学ばせたい
ダイヤモンドダイニングのキッチンで働けば、たくさんの業態があるからそれだけ多くのの経験を積めるうえ、自分の力で何でもできる。特に人気が高いのが高級和食業態の「辻が花」(東京・上野)や4/23オープンした「DON CONA CONERY」(東京・五反田)などの洋食系専門店だ。
「専門学校で勉強してきたばかりではじめから居酒屋をやりたがる人は少ないですね。でも経験の長いスタッフはいろいろな業態を楽しんでくれているのですが」と話す。
しかし、彼らの夢の為に、さらにアッパーな業態を作ってやろうと考える面倒見の良い長澤氏。ダイヤモンドダイニングの目指す100業態の中には、必ずそんな業態が増えているはずだ。長澤氏は全キッチンスタッフを統括し、会社の目指す目標に向け手綱を締めるとともに、若手に夢を与えることも忘れない、チーフ・キッチン・オフィサーである。