フードリンクレポート


海外の本物の味は変えるな!
熊谷 亜里氏
株式会社M.R.S 専務取締役 最高執行責任者

2008.5.7
バブル後、「コカレストラン」を日本に招聘し、タイブームを巻き起こしたマルハレストランシステムズ。マルハの資本が抜け、本年4/1からM.R.Sに社名変更した。「マンゴツリー」も含めタイ料理を牽引するとともに、4月、東京・品川に220席のシンガポール料理「シンガポール・シーフード・リパブリック」をオープンさせた。海外の本物レストランを日本で成功させる秘訣を聞いた。


「シンガポール・シーフード・リパブリック」 チリクラブ

「シンガポール・シーフード・リパブリック」初月売上4千万円

 東京・品川駅の高輪口を出てすぐのホテルパシフィック東京の敷地内に大きな洋館が建っている。その一棟丸ごとが「シンガポール・シーフード・リパブリック」だ。席数は、何と220席。中庭もありテラス席も設けられている。シンガポールの名物料理「チリクラブ」「ブラックペッパークラブ」「カリークラブ」がメイン。

 4/2にグランドオープン。ランチは平日には近隣で働くOLやビジネスマンとホテル宿泊者、週末は近隣住民が続々訪れ、ディナーも近隣のOL、ビジネスマンに加え、家族連れで賑わっている。お客の2割はシンガポールに滞在したり旅行するなど本物を知っている方々。オープンの4月売上高4千万円と、非常に好調なスタートを切っている。

 シンガポールの有名シーフードレストラン3店が共同で日本に出したレストランだ。シンガポールで最も有名な「ジャンボ・シーフードレストラン」、最優秀レストラン賞を12年連続で受賞した「パームビーチ・シーフードレストラン」、アジアンエスニックシーフードの名店「インターナショナル・シーフードレストラン」の3店。3/31に開催されたレセプションにもオーナー3人が揃って登場するなど、仲の良さをアピールしていた。

 この3名が日本のパートナーに選んだのが、M.R.S。シンガポールの「ヤクン・カヤ・トースト」をららぽーと豊洲に出店しているとともに、アジアブランドの日本展開を成功させていることが選ばれた要因だ。


「シンガポール・シーフード・リパブリック」 外観はコロニアル風一軒家


「シンガポール・シーフード・リパブリック」 店内


マルハからスピンアウトしたM.R.S

 M.R.S社長の小島由夫氏はマルハの持ち株会社であり商社の大東通商の出身。フードビジネスに興味を持っていた小島氏は、大東通商で新事業として準備をしていたが、当時の大東通商社長の中部慶次郎氏がマルハの社長となり、マルハも漁業だけでは厳しいと、マルハに移って1人でフードビジネスを立ち上げることになる。

 そして誕生したのが、東京・表参道の「マンボウズ」。バブル時代に一世風靡をした店。客単価1万円以上。流行ったが、こうしたいああしたいで豪華絢爛な店となり造作に金をかけ過ぎ、また家賃も高く、儲からず4年で閉店する。

 飲食店は、アルバイトが足りなければ、夜中でも休日でも店に出なければならない。大企業だと、赤字の垂れ流しでも責任の所在が不明確。サラリーマン根性ではできない。マルハという大組織でフードビジネスを行うことに違和感を感じた。そして、マルハ100%出資で、小島氏は社長としてマルハレストランシステムズを立ち上げる。小島氏は片道切符の転籍を選んだ。スタッフから「あっち側の人だ」と思われないよう、本気で取り組む姿勢を示した。

 1992年に設立し、熊谷氏は翌年に加わる。熊谷氏も大企業、出光興産出身。ガソリンスタンドがオーバーストア状態で跡地をコンビニや飲食店などにリノベーションする事業を担当。マルハと共同でフードビジネスを展開しようとして、小島氏と熊谷氏は出会う。大企業に違和感を覚え、マルハレストランシステムズに入社する。

 そして、2008年4月、マルハとニチロの合併に伴い、マルハレストランシステムズは、元の大東通商が買い取り、M.R.Sとして新たなスタートを切った。


タイスキ「コカレストラン」で大当たり

 1992年、マルハレストランシステムズの1号店として「コカレストラン」を出店。六本木・鳥居坂のビルの地下。大手ビール会社が経営していた飲食店の居抜き物件。140坪もあったが、「マンボウズ」での失敗を踏まえ金をかけずオープン。

 金をかけずお客にフィットするものは海外ブランドだと考え、小島氏はアジアの漁業の拠点バンコクにマルハの駐在事務所を訪ねる。提携先を探すもピンとくるものに出会えず、悶々としていた最終日に行った店が「コカレストラン」。出張を伸ばしてオーナーを口説きに行った。人気店で日本から商社などが誘致活動を行っていた。オーナーは華僑で、トップが変わるたびに方針が変わる企業よりも、個人を信用するタイプ。小島氏が「俺がやる」と断言し、信用を勝ち得た。六本木店は居抜きで、バンコクの本店とは全く内装が異なる。

 シーフードや野菜を鍋に入れ、辛い「秘伝のコカソース」につけて食べる「タイスキ」が大人気。タイ料理ブームを巻き起こした。インパクトのある本場の辛さをそのまま持ち込み、お客からクレームを受けても辛さを変えなかった。鍋料理なので専門のコックが不要な点も良かった。

 しかし、2年でタイ料理のブームが終焉。ニセモノがあふれ、価値が落ちた。「コカレストラン」は横浜・八景島、東京・渋谷パルコに出店。本物を守り続けていると、リピーターが定着し採算割れはしなかったという。また、不景気で企業のアジア駐在員がどんどん帰ってきたことと、同時に海外旅行ブームでタイ経験者が増え、「コカが東京でも食べられる」と言われるようになった。本物が残った。

 1999年オープンの有楽町店が最も成功。朝日新聞別館の古いビル。現在は有楽町イトシアの場所。六本木、八景島、渋谷、青山と出店し、タイ料理ブームが落ちてきたが、有楽町でドンと復活した。地上3階建のレトロなビル。1フロア50坪で、3フロアを店舗とし、ピーク月商6千万円を売った。7年間営業したが、取り壊しの日まで毎日行列が出来た。立地が全て。立地が良くて価格がリーズナブルであれば流行ると確信する。有楽町には売上日本一の店が多い。吉野家の中で有楽町店は日本一、取り壊されたが角にあった立ち喰い蕎麦は月商1億円、タバコ店も日本一など。

 現在、「コカレストラン」は日本には3店。世界にはマレーシア、シンガポール、インドネシア、韓国、中国で計40店が展開されている。また、同じくコカ・ホールディング・インターナショナルが展開する、洗練されたタイ料理「マンゴツリー」は日本に4店。世界にはロンドン、ドバイ、韓国に計14店展開。


「コカレストラン」有楽町店 店内


タイスキ


海外の本物の味を変えない

 M.R.Sは、他に中国料理「インペリアル・トレジャー」、インド料理「ニルヴァーナNY」、アメリカングリル「オレゴンバー&グリル」など基本は海外に本物があるレストランを展開している。例外は、博多ラーメン「由丸」と、フジテレビのイベント店「TVコネクションカフェ」。これらは独自業態。
 
 タイ料理ブームが去った後も、「コカレストラン」を支えてくれたのは本物ということ。歴史あるもののノウハウをそのまま持ってくる。熊谷氏は秘訣を語ってくれた。

「本物を持ってくる時に間違ってはいけないことがあって そのままでは絶対無理。変えるところと。変えないところを見定めることが必要です。タイ人がやっているタイ料理店は汚いところが多い。タイと日本では内装やサービスの仕方が異なる。きめ細かいサービスをしながら 味は絶対に変えない。変えたら終わり。辛くて食べられないと言われても変えなかった。」

「でも、タイ人を料理長にはしません。日本人の機微が分からない。マネージメントするシェフは日本人、味のシェフはタイというペアがポイント。しかし、この関係を良くするのがむずかしい。『これはタイ料理じゃない』『でも、これでは日本人は満足しない』など議論が絶えません。しかし、日本人だけでやろうとすると続かなくなるんです。」

「タイ人から蟻の卵はどうかとアイデアが出ました。日本人はびっくりしてしまう。挟間に出来たのがカエルのから揚げです。実験的に出してみたら物凄くヒットしました。コミュニケーションをどれだけ長くとるかが重要です。」

 ちなみに博多ラーメン「由丸」は、かつて大東通商が「福のれん」というブランドで展開していたものを引き取り、M.R.Sが味をリニューアルして立て直した業態。11店舗展開し、同社の中で最も収益率が高い。


立地最優先で、庶民版を展開したい

 M.R.Sは、海外と両社が資本を入れたジョイントベンチャーを日本に設立し、そこが日本でのマスター・フランチャイジー権利を持つ形を4社と取っている。ジョイントベンチャーは手間が掛かるが、単なるFC契約より両者の意識は非常に高くなるという。決算報告などで、頻繁に行き来するようになり、相手は華僑なので家族ぐるみの付き合い。会うと何時間も話し、その雑談の中で新しいビジネスが生まれる。アジアからオリジナルの博多ラーメン「由丸」の出店依頼が多いそうだ。

「国内の場所は飽和状態。リノベーションする場所にからんでいきたい。立地がまず大事。 そこに合う業態を提案していきたい。ららぽーと豊洲で運営するフードサーカスのようなフードコートに関わっていきたい。プレステージの高いブランドを庶民的な価格で展開したい」と熊谷氏。

 実は、M.R.Sは地方都市では苦戦している。名古屋と福岡では撤退も経験した。しかし、再度、大阪へのチャレンジを考えている。

 今、日本はアジアの時代。中国、シンガポール、ベトナム、タイ、インドネシアなどアジア各国への興味が強まり、行き来する方々の数も増えている。現地の本物を知る機会も増えている。その本物を日本でも提供するサービスへのニーズは、今後ますます増えていくと思われる。



熊谷 亜里(くまがい あり)
株式会社M.R.S 専務取締役 最高執行責任者。1963年生まれ。東京都出身。出光興産に入社しガソリンスタンドのリノベーション事業を担当。その中でフードビジネスと出会い、1993年にマルハレストランシステムズの小島由夫社長と意気統合し転職。2008年4月にM.R.Sに社名変更。

株式会社M.R.S http://www.wonderland.to/pc/index.html

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年4月25日取材