・9階「the MOST」、横浜岡田屋の最上級
「横浜モアーズ」全館オープンに先駆けて、9/3に開店する飲食フロアのコンセプトは、ちょっと“オシャレ”で、ちょっと“特別”なレストランフロア。単なる食事だけではなく、食べたり、飲んだり、お茶したり、おしゃべりしたりする時を過ごす、クリエイトされた空間を岡田氏はプロデュースした。最上級を意味する「the MOST」とフロアを名付ける。
全館のデザインは、商業施設デザインの第一人者、リックデザイン松本晃尚氏。しかし、最上階の9階は、今までの同社商業ビルにはないフロアを作るため、岡田氏は旧知のゼットン稲本氏を9階専用のプロデューサーに抜擢し、フロアデザインも神谷デザイン神谷氏が起用された。全館改装プロジェクトの中のプロジェクトという形で進行した。
誘致したのが、プロデューサーでもあるゼットンのアジア・パシフィック料理「A&P with
terrace」、同じく名古屋勢、ジェイプロジェクトのガレットカフェ「カフェ・ブルターニュ」、そして同じく名古屋勢、じんまるのイタリア風鉄板料理「ジンマル・ディ・フェロ」。
東京勢では。破竹の勢いで100店舗100業態を目指す、ダイヤモンドダイニングが初めて横浜進出するベルギービアカフェ「グラス・ダンス」、イーストラボのオーガニック韓国料理「ナビ」。
そして、元々9階で営業していた大和実業が久々の新業態、せいろ蒸し「権之介」で出店する。計6店が約350坪のフロアに並ぶ。
特に、ゼットン「A&P」は66坪で107席。ビルの天井一部をはがし、側面も手すりだけにしたテラス席はかなりの開放感を楽しめる造りになっている。
神谷デザインはフロアだけでなく、「A&P」「カフェ・ブルターニュ」「ジンマル・ディ・フェロ」「権之介」4店舗のデザインも手がけた。
1階下の8階のレストラン街のコンセプトは、「the DINING」。こちらは、8月から9月にかけて順次、オープンしてゆく。横浜初登場にこだわり、商業施設からひっぱりだこのポトマックが新業態の和風パスタ「カフェ・ド・ファリニエール」を出店。名古屋テレビ塔で「天使のババロア」で有名なミセス・ハートが京風うどん「富近」、ブラッスリー「コションドール」の2店を出店。他に、キムカツから店名を変えた豚かつ「ゲンカツ」、ダイナックのトラットリア「パパミラノ」、そして、ハンバーグ「ハングリータイガー」、沖縄料理「首里」、餃子「餃子屋台」。以前からある「築地寿司清」も含め9店が入る。
環境に気を使い、特に女性客にリラックスしてもらえることを心がけている。ゆったりとレストランフロアまで上がれるよう、エレベーターも大型のものに付け替えた。さらに、注目は女性用トイレ。前代未聞の女性トイレアテンダントを常駐させ、音楽も音響空間デザイナーを使い、ザ・リッツ・カールトン採用のアロマシステムを導入。かつ、ガードウーマンが店内を巡回する。
間もなく創業120周年を迎える同社の歴史を見れば、成功への算段は整っているようだ。
9階のフロアイメージ
・創業1890年、前向き企業
同社の歴史は、1890年に川崎の質店にさかのぼる。初代、岡田宗直氏は川崎警察署長、40代で退官して質屋を開業した。そして、呉服店に転じ、正札販売で繁盛させる。2つの大戦を生き延び、官公庁や東芝、日本鋼管といった大企業への制服販売などを手がけた。1963年には、冷暖房、エレベーター、エスカレーター完備の近代的な百貨店「岡田屋」を建設した。
1962年にはスーパーマーケット「サンコーストア」も開店させ神奈川で展開。関東進出を狙っていたダイエーと70年に業務提携し、その後、ダイエーグループに売却。
72年にはハワイに出店。4代目である、現在の岡田伸浩氏の活躍が始まるのもこの海外出店から。
「19歳で大学生の時、仕事を手伝えと父に言われ、海外を珍道中しました。海外で50店出せと言われ、実際には47店まで行きました。海外売上高は70〜80億円ですが、利益10億円も出しました」と岡田氏。
「日本にブランド直営店が無い時代で、日本人は海外で買いまくってました。ハワイは当初は土産店でしたが、ゴルフショップに替えました。当時、プロモデルのゴルフクラブを日本人が米国で好んで買っていたんです。米国では日本の3分の1の値段ですから。でも、儲かると分かると真似され、あっという間にワイキキにゴルフショップ連なり、安売り合戦になってしまいました」
「次に考えたのが、世界の一流ブランドをハワイで売ること。フランス、イタリアにある高級ブランドの本社に仕入れ交渉に飛びました。ハワイでなぜ高級バッグを売りたがるの、といぶかられながらも現金先払いで仕入れ、ハワイに高級ブランド店を多数出店しました。ほとんどのブランドが岡田屋に委ねるようになり、非常に儲かりました。しかし、売れているのを見てブランド本社が直営店を出し始めたんです。ひどいじゃないかと言っても、いままでオイシイ目に合わせてあげたじゃないと言われて終わりです」
「その後、ブランドは日本に直接上陸しました。内外価格差もなくなり、海外ではブランドが売れなくなって、4年前に一斉撤退です。儲かっているラスベガス店だけ残っています」と岡田氏。ロサンジェルス、グアム、サイパン、香港、バンクーバー、ニューヨークなどに展開していた海外店舗を2004年に一斉に整理した。引き際も素晴らしい。
現在、同社は、今度リニューアルする「横浜モアーズ」、80年開業「川崎モアーズ」、92年開業「相模大野モアーズ」、97年開業「横須賀モアーズシティ」という4つの商業施設の運営が中心となっている。
同社の伝統は、明治、大正、昭和、平成に渡って、常に時流にマッチした商売を代々続けてきた。その理念が、現在の「MORE MORE MORE(より豊かに、より楽しく、よりさわやかに)」という言葉につながっている。施設名の「モアーズ」のルーツだ。
・「ヨコハマのヨコハマな人」を魅了する
JR横浜駅は1日の乗降客が200万人を超え、新宿、渋谷、池袋に次いで全国4位の乗降客数。日産自動車も09年に本社を横浜に移転すると、乗降客数はさらに増える。
「横浜モアーズ」のある横浜駅西口は、昔は砂利置場だった。相鉄が西口の巨大な土地を買収し、東京に負けない繁華街を作ることを目指して開発に着手。56年に「高島屋ストア」と「横浜駅名品街」がオープンしたのが最初。そして、68年に西口の駅脇にて「横浜おかだや」が営業開始。82年に「MORE‘S」にリニューアル。そして、40年を迎える今年、耐震補強も含んだ大規模な全面改装を行なった。
横浜駅西口すぐの、横浜モアーズ
「横浜駅では立地としては、3つの駅ビル、2つの地下街、2つのデパートに次いで、ウチは8番目です。他は駅直結なので、利用者がビルの形を理解することできません。しかし、ウチは駅から道1本へだてているのでビルの全景が見えるんです」と外装にもこだわった。
「普通はビルの上層階のレストラン街にはあまり魅力を感じないじゃないですか。でも、行きたいと思わせるフロアにしたいんです。環境次第で客層は変わってくると思います。行きたいという環境を創ればお客様は来て下さいます」
「初デートというより付き合って古いカップルや女性同士が、普段使いなんだけどちょっと特別な、ちょっとオシャレな時、ランチで5000円は出さないが800円以下でもない。1000〜3000円なら出してもいいという方々。『私はお酒を飲みたいけど、連れはお茶でいい』、『私は先に食べちゃったけど、連れはまだ食べてない』そんな方々が『モアーズでも行くか』と思ってくれる、マルチなカフェ要素の強い店をリーシングしました」
横浜にこだわり、総テナント60店舗の内51店舗が横浜オンリーワンの店。ユニークなことに、他店と差別化を図るためレディースショップを2階に上げ、1階をメンズショップにした。「メンズの方がフロアがカッコイイ」という。
改装中も営業する、横浜モアーズ(8/7撮影)
改装中に、「横浜モアーズ」を訪ねた際、部分部分でビニールシートに覆われながらも営業していた店が多数あった。全面休業せず、工事をしながら営業を続けていた。「変化しつつある姿に人は気を惹かれるようです。100枚の美しいポスターより仮囲いです」という岡田氏に120年続く商売人のしたたかさを感じた。新生「横浜モアーズ」、イケそうだ。