・ワタミを同級生3人で創業
ワタミの創業期は、『青年社長』(高杉良著)に書かれているが、金子氏の経験したワタミ創業期を振り返ってもらった。
金子氏は渡邉美樹氏と中学、高校、大学と続いた同級生。さらに高校から加わった黒澤真一氏。この3人で1984年に創業したのが、ワタミだ。
高校在学中から、将来3人で会社を立ち上げようと話しあった。取り敢えず始めたのが、居酒屋を作って資金を貯めること。卒業後の1年間を準備に当て、金子氏と渡邉氏の2人は、昼夜を問わず運送会社などで働き資金作りに励んだ。食べ物に詳しかった黒澤氏は、ノウハウを蓄えるため、北海道から東京に進出して間のない「つぼ八」に入社。
卒業から1年後に物件が横浜で見つかり、黒澤氏は会社に辞表を出す。しかし、当時六大学卒で居酒屋に就職することが珍しい時代だったので、黒澤氏は「つぼ八」社長、石井誠二氏に引きとめられる。大学の同級生3人で独立するために、勉強させてもらうつもりで入社したことを正直に打ち明ける。石井氏はその話を面白がり、金子氏と渡邉氏の2人を連れてくるように黒澤氏に命じた。
「横浜で店を開けるより、『つぼ八』をやれ」と石井氏に言われる。当時、「つぼ八」は東京で5店ほどの直営を持ち、FCを展開しようとしていたタイミング。黒澤氏が働いていた50坪の高円寺店を売ってもらう。これが、ワタミのスタートだ。
・「白札屋」でサントリーと出会う
ワタミの3店目は、サントリーが展開する「白札屋」だった。横浜・上大岡に物件が見つかるが、他のFCオーナーとの関係で本部から「つぼ八」を出店断られ、他のブランドを探した。サントリーが展開していたアッパーな「白札屋」に憧れ、出店。金子氏は赤坂の「白札屋」で研修を受けた。これが、ワタミとサントリーの出会いだ。
しかし、上大岡は都内とは異なり、普段着で行ける店が要求される場所。「つぼ八」FCの2店舗はそれなりに当たっていたが、3店目の「白札屋」でつぶれそうになる。当時も社員は3人。ランチから朝5時まで営業して、80席で月商3〜4百万円しか稼げなかった。約1年続けたが耐えきれず、本部にお願いして「つぼ八」に代えさせてもらった。すると月商は1千万円を超えたという。「つぼ八」ブランドの威力を知った。
・「和民」は「八百八町」に学ぶ
3人は「つぼ八」を13店まで増やした。その頃には上場を意識しており、出店意欲が旺盛だった。しかし、本部は、FCが大きくなってチェーン内チェーンとなるのを危険視していた。1991年に本社を蒲田に移転。「つぼ八」を離れた石井氏が立ち上げた「八百八町」は梅屋敷。すぐ近く。大繁盛している「八百八町」を見て、この店のノウハウを教えてもらうことになる。
石井氏にインタビューし、社員2名を「八百八町」で働かせメニューを学び、「和民」のコンセプトが生まれた。石井氏がいないと「和民」はなかったという。石井氏は今もワタミの監査役として名を連ねている。1992年に東京・笹塚に「和民」1号店が誕生する。
・上場を機に、かもんフードサービス創業
ワタミは1996年に株式店頭公開。金子氏は翌年に退社。「13年、一緒にやってきましたが、上場したのが契機です。やるべき責任を果たしたと思いました。最後は役員でもなく部下もおらず開発担当として飛び回っていました」と金子氏。
株式を売却して得た資金4億円で、金子氏は、かもんフードサービスを創業した。
「戦略はワタミと違えたい。チェーン理論の逆をやろう。個店主義で、場所、業態と問わず色々なことを手がけよう」との思いでスタート。
1号店は神奈川・港南台の既存の居酒屋を買い取った。古びた35坪の店で、最初は月商4〜500万円しかなかったが、リニューアルし1千万円にまで増やした。
「『かもん』という店名を考えるにあたり、3つの考えがありました。1つは自分の名前はやめよう。2つ目は色々な店をやりたかったので和でも洋でもない中性的なイメージにしたい。3つ目に大衆がイメージをもってもらいやすい名称。たまたま、桜木町の実家の近くに、小高い丘になっていて横浜港を見渡せる掃部山(かもんやま)公園があります。井伊直弼の記念碑があり、井伊直弼が名乗っていた井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼から公園の名前が付けられました。そこで『かもん』という言葉を思いつきました。自分の名前でもないし、英語のカモンのようだし、家紋のようだし。覚えやすい」
「居酒屋かもん」ロゴ
「かもん」は、手作りのオリジナル料理を気軽な値段で楽しめる居酒屋。オリジナル料理や手仕込み料理を中心に、100種類以上の惣菜や豊富なお酒を取り揃えた低価格居酒屋。客単価は2,300円。
「居酒屋かもん」カウンター
高座豚スタミナ焼
釜焼き玉子焼き
最初は順調だったが、ワタミのように爆発的に売れなかった。「ワタミを辞めた頃が、ちょうど60店。出す店出す店全部当たっていました。その感覚が残っていたんです。独立して厳しい時代なったぞ」と思ったそうだ。
・焼肉、ショットバー、和食、かに料理と業態を拡大
中学の同級生から焼肉店を引きついて欲しいと言われ、「七輪炭火焼肉 えん家」を1998年にスタート。横浜の有名バーテンダー、宮内誠氏と知り合い、バー「グローリー」も1998年に始めた。
栃木県で、銀座松屋の孫会社が運営し、リストラ対象となっていた5店の和食チェーンを1999年に買収した。2008年には、高松、広島、福岡で4店持つ、かに料理の老舗「かに通」を買収。
また、名プロデューサー、カゲンの中村悌二氏とともに、2007年に年中鍋料理を出す「鍋ぶん」、今年には鍋料理と新鮮な魚料理を出す「海ぶん鍋ぶん」をオープンさせた。
同社の新業態は人との出会いや、企業買収で増やしている。
「ベタな商売でいい。食文化は新規性のあるものではないと思います。庶民が大事にし、ある程度の頻度で食べたくなるものを提供したい。そこに、お客様との出会いの中に楽しさを演出する」のが、同社の業態作りだ。
・富士山ではなく、八ヶ岳経営
新しく加わった事業は全て、担当したいと手を挙げた社員に任せている。今までに、アルバイトから上がっていった社員も含めて10名の部長を育て上げた。
「チェーン理論で100店、200店の時代じゃありません。社長が月に1度全店を回れる範囲の30店が1つの会社の単位だと思います。店長の名前と顔が一致して、会ったときにコンディションが直に分かる。そのレベルを超えると会社として弱くなるのではないでしょうか。スタッフの数でいうと、100人に満たない規模です」
これを、富士山ではなく、沢山の山々が連なる八ヶ岳になぞらえ、「八ヶ岳経営」と金子氏は名付けている。30店程度を展開する外食企業の集合体、コングロマリットを作りたいと考えている。
さらには、社員には独立することを薦めている。実際に、ダイレクトフランチャイズという呼び名で、6店舗を独立させた。独立者に資金があったり、簿価が安い場合は買取り、それ以外はサブリースの手法。しかし、ロイヤルティ2%と僅か。「2号店、3号店と展開して欲しい」との思いからだ。
浜辺料理「茅ヶ崎海ぶね(かぶね)」ロゴ
「茅ヶ崎海ぶね」は、旨い魚と季節を楽しく味わえるお店。相模湾で朝獲れた地の魚をメインに「新鮮さ」と「旬」を提供する鮮魚創作料理屋。客単価は3,500円。
「海ぶね」湘南台店 店内
「海ぶね」湘南台店 座敷
「海ぶね」藤沢店 カウンター
茅ヶ崎盛り
男の豪快丼
・「主(あるじ)感覚」を育てる
「居酒屋はおもしろい商売です。お客様と従業員の距離がこんなに近い商売はありません。従業員には自分で楽しんで仕事をしてほしい。片や、例えばファミレスはどうでしょうか。お客様をお入れして、品物をだして、お会計して、帰っていただく。そこにお客様との距離を感じるんですね。居酒屋はそこをグっと踏み出してお客様に近づける楽しさがあるのです」
「店長には、主感覚をもってくださいと話しています。売上の0.5%はあなたの判断でつかっていいよ。お店の主なら自分のお客と思ったら、たまにはビール1杯でも御馳走したくなるでしょう。誕生日にはケーキを買いたくなるでしょう。でも、身銭を切るのは大変です。そこで、予算化して使ってよいことにしています。お客様が喜んでくれると、自分の喜びにもなる。あるじ感覚が居酒屋では重要です」
金子氏は、従業員教育の講師を月に1度務めている。必ず全店には月に1度顔を出し、そこで感じたことを2〜3時間しゃべる。あるじ感覚、店の経営者としての感覚を従業員に身につけさせ、「八ヶ岳経営」への下地を築いている。
横浜手羽唐専門店 「黄金オリオン酒場」ロゴ
「黄金太陽食堂 」は、仲間同士が、地鶏料理とお酒をお洒落な雰囲気で落ち着いて楽しめるお店。天草大王や朝挽を中心とした地鶏による、本物感あふれる鶏創作料理。料理は全てオリジナル。中でも人気は「手羽先唐揚げ」。客単価は3,000円。
「手羽先唐揚げ」
「黄金オリオン酒場」関内店 店内
「クアトロ・スタジオーニ」ロゴ
「クアトロ・スタジオーニ」は、キッズを連れたママたちに優しいピッツァレストラン。ランチタイムはイタリアンビュッフェスタイル、ディナータイムは素材や産地にこだわった料理やお酒に合う前菜を豊富に取りそろえる。
「クアトロ・スタジオーニ」モザイクモール港北店 入口
「クアトロ・スタジオーニ」モザイクモール港北店 店内
マルゲリータ
・悲しんでもらえる会社でいたい
「かもんという会社があって良かったと思える会社になりたいと創業しました。会社が潰れても誰も悲しんでくれないような会社があります。かもんは、会社が存在する意味が少しでもあってよかったなと思ってくれて、万一つぶれたときに悲しんでもらえる会社でいたい。自分が世話になったから、自分の従業員も独立させてやろうと次の世代の輪を広めたい。そして、それが連鎖していく」
「お手本はロイヤルさんです。福岡ではロイヤルさんの薫陶を受けている方々が多い。洋食店でロイヤルさんの悪口を言ったらだめだとされています。地元への貢献度が高いんです。そんな会社になりたい」
現在、同社は40店を展開しているが、実は5年前に既に40店を達成している。その後、BSEと道交法の改正により業績が悪化し、8店を閉鎖。ここ3年で少しずつ出店し40店に復活した。
「今後は、新店を10店、既存の不調店2店ずつダイレクトフランチャイズという形で社員に譲りたい。あまり急速にではなく、着実にやっていければよい。業態ごとに分社させて、各社3店ずつ出せば全体としての加速感が出てきます。これは5、10年先の話ですが」という。同社は、後退の時期を乗り越え、拡大へのエネルギーを貯めこむ時期のようだ。
金子氏が、あくまでも目指すのは株式公開。現在、資本金1億円。ベンチャーキャピタルや社員持ち株会などにも株を保有してもらっている。
「創業当初から上場を目指しています。この商売はいつまでも年寄りが社長をやってはいけません。会社を公器にして、自分の息子3人にも跡取りにはしないと言っています。私の後継者も今から見定めています」
来年度は、東京を中心に出店を予定している。チェーンでの経験を反面教師に編み出した「八ヶ岳経営」。他方、セントラルキッチンの活用にも力を入れている。チェーンと個店のよいところをミックスした、ユニークが外食企業に発展するだろう。
「海ぶん鍋ぶん」ロゴ
「海ぶん鍋ぶん」は、「魚、売切御免。鍋、年中無休」の店。新鮮な魚料理と、各種創作鍋料理を取り揃える。
「海ぶん鍋ぶん」(浜松町) 外観
刺身盛り合わせ
和牛と九条葱ピリ辛ちりとり鍋