・「ほっかほっか亭」を4年で1000店舗を築いた男
栗原氏の義理の兄にあたるのが、持ち帰り弁当「ほっかほっか亭」創業者の田渕道行氏。埼玉県草加氏で持ち帰り弁当店を始めていた田淵氏から、弁当チェーンを一緒にならないかの誘いがあった。当時、建築士として積水ハウスで働いていた栗原氏が、「フランチャイズで100店までやろうよ」と意気投合。辞表を出して、田淵氏に合流。1978年に株式会社ほっかほっか亭を設立した。
「当時、草加のアパートが事務所であった。給料もいらないと言って始めました。貯金が20万ありましたが、ロマンにかけました。かみさんを実家に帰して、3人で死ぬほど働いきました。1年目には128店の出店。2年目に新橋で木造の事務所を借りました。階段はギシギシいって、皆来ると怖くて帰っちゃうような事務所でしたね」と栗原氏は振り返る。
2年目以降、日本全国に地区本部を作り始め、1979年に全国38ヶ所で地区本部契約を結ぶ。それらが次々と出店し、1981年には1000店を超えた。全国で毎月60店以上出店していた時期もあった。
当時のFC料金は、加盟金は定額30万円、ロイヤリティは定額の月3万円。
「日本ではソフトではお金を取れない環境にあったと記憶しています。日本でのフランチャイズチェーンは原材料転嫁型が浸透しやすく、ロイヤリティ転嫁型はなかなか浸透しないと感じていました。本部が原材料供給をもっていないとチェーンは成り立たないと当時把握しました。」
「フレッシュネスバーガー」1号店(東京・富ヶ谷)
・「ほっかほっか亭」の安定化から、1人で「フレッシュネスバーガー」を立ち上げ
「ほっかほっか亭」が3地域本部制となった時、安定し始めた。
「1人何役もこなしていたのに、1人1役になってしまい、会議ばかり。会議はつまらない。そんな時、不動産屋に行きました。この物件なんとかならない?と言われ、気に入って、その日に家で設計しました。翌日には、ゴルフ会員を売った金で契約しました。」
1992年12月に東京・富ヶ谷に「フレッシュネスバーガー」1号店をオープン。ほっかほっか亭で営業本部長として働きながらのスタート。
「昼間はアルバイトに任せて、ほっかほっか亭の会議に出て、夜になるとバイクで店に駆けつけ11時まで働きました。土日はフルに店に出ました。6ヶ月やったら面白くなりました。ゴルフ会員権を売った残りの50万円を口座に入れ、減ったら止めようと思っていましたが、どんどん貯まっていきました。1号店は人通りがゼロの立地。原価率も低かったので、人通りの良い場所に出せば、業態として成り立つと確信しました。会社と2足のわらじを4年間続けました。」
栗原氏は物件を見た時、アメリカンなイメージを持ち、職人を扱うことが苦手なので素人でできる、ハンバーガー店に決めたという。「マクドナルド卒業生がモスバーガーに行き、モスバーガー卒業生がフレッシュネスに行く」というコピーを考えた。
「米国には、利便性指向型、手作り指向型、バーガーレストランなど様々なコンセプトのハンバーガー店があります。日本では、皆、利便性志向型のマクドナルド型だと考えられます。それに対抗して手作りでやっていたのが、モスバーガーだったと思います。フレッシュネスも手作り指向型のポジショニングで創業しました。」
*この誕生秘話は、栗原氏の近著『面白いことをとことんやれば、「起業」は必ずうまくいく。』(アスペクト出版)に詳しくあります。
・15年前から契約農家
「先週、オーナー30名を連れて北海道に行きました。じゃがいもを生産してくれている契約農家を回り、ポテトに加工する工場も見学しました。皆さん、喜んでくれました。オーナーさんだけでなく、店長やアルバイトさんにも啓蒙したいです。」
当初から農園と契約し、朝どりの野菜を仕入れ、パテは指定した餌で育てたオーストラリア牛を使用。バンズには栗カボチャが練り込んであり、アンデルセンが作っている。オレンはその場で絞ってジュースにする。
「新鮮、手造りは将来重要だと感覚的に思いました。土への回帰現象は起きる」と確信して、店名もフレッシュネスと名付けた。現在の、オーガニックブームを先取りしていた訳だ。
現在は、有機コーヒーと紅茶もフレッシュネスの人気ドリンクであり、お客さまのご指示を受けている商品です。
「新鮮さを保って、目の前でオレンジを絞り、目の前で焼き、安心して食べていただく。 お客様にとって、第一は自分の家、第二はオフィスに次ぐ、サードプレイスとして使っていただきたい。」
メニューはポスターになっており、直に差し替え可能。機動性が高い。
・ユニマット傘下で一等立地に出店
昨今の 原油価格の高騰、原材料の値上等から来る、消費者マインドの低下から、外食産業も低迷している、 今後、継続的に企業価値をUPさせるには、資本と運営(経営)の分離が必要と考える中、ユニマットグループ 入りによって、その資金力からも一等地出店政策への切換が可能となった事が、なりよりも 良い選択であると考えている。
渋谷道玄坂に面する、「フレッシュネスバーガー」渋谷道玄坂店
「今まではベンチャーで資金力に乏しい面もありましたが、一等地への出店により、その売上・利益にはびっくりしています。認知率も上がっています。これが二等立地の店舗の認知率アップにつながります。」
これらの一等地の店舗も、現在は直営だが、オーナーにバトンタッチしていく。
「現在、個人オーナーさんは半分。個人はお客様の顔を見てやってくれます。その方々が 法人化して多店舗化して欲しい。さらには一等立地の店舗も持てるようステップアップして欲しいです。」
感覚の優れた栗原氏が、二等立地で磨き上げた「フレッシュネス」ブランド。しかも、栗原氏は「ほっかほっか亭」でFC運営の豊富な経験を持っている。ユニマットの資本力を活用して第二ステージが始まっている。現在は200店のフレッシュネスだが、モスバーガーを超える日がやって来そうだ。