フードリンクレポート


【日拓ディスコ・マジック3連載】第1回
ここが見せ場というポイントを作る!

日拓OB・平成元年入社 大林 英司氏 
有限会社一の屋 取締役 営業本部長

2008.12.24
1985年に誕生した六本木「AREA」「CIPANGO」。そして、89年に誕生した赤坂「RONDECLUB」。バブル時代、日拓が経営していた人気ディスコだ。昭和62年から数年間、日拓は新卒大量採用を行った。東京の花形ディスコにあこがれ、地方から上京した若者たちが毎年数百名入社した。その中に、今、外食業界で話題の経営者3人がいた。彼らを生み出した日拓の魅力を取材し、今に生きるノウハウを語ってもらった。3回連載。第1回目は、大林英司氏。第2回は松風堂、松澤喜久氏、そして第3回は、ダイヤモンドダイニング、松村厚久氏。


一の屋の新業態「情熱屋」(東京・門前仲町)の前で、大林英司氏。

教育を受けた水商売サラリーマン

 東京下町、門前仲町や銀座で生産農家は世界で一軒の幻の豚「千代幻豚(ちよげんとん)」をウリにする居酒屋「一の屋」など4店舗を展開する大林英司氏。その理論的な考え方と、押しの強さで、若手外食経営者の兄貴分として活躍している。

 大林氏が日拓に入社したのは平成元年(1989年)。栃木県から高卒で日拓に入社。そして、1999年まで10年間、日拓で働いた。

「とりあえず東京に行きたかった。ディスコやライブハウスにあこがれました。高校にあった日拓の求人票の業種に、ディスコ、ライブハウス、レストラン、遊技場と書いてあった。遊技場がパチンコ店だとは分からず、ゲームセンターかビリヤードかなと思っていました。当時、バンドをやっていたので音楽に興味があり、日拓に決めました」と、大林氏。

 入社した同期の9割以上がパチンコ店に配属となる。当時、飲食店は、六本木に「OH−HO」(中華)、「AREA」(ディスコ)、「CIPANGO」(ディスコ)、「LOLLIPOP」(ライブ)、「SENSATION」(ライブ)5店と、新宿に「青葉」(中華)、赤坂に「LOLLIPOP」(ライブ)の計7店しかなかった。飲食を広告塔として求人を行っていた。

 しかし、日拓の素晴らしい所は、大量採用の年から社員教育に力を入れていたこと。「教育は全てに優先する」といい、入社時の自衛隊研修、宅建勉強会、笑顔セミナー、カクテルスクール、そして、社長直々の経営セミナーなど、店での仕事が終わったあと本社に呼ばれて勉強したという。

「日拓は、サラリーマン水商売。管理がしっかりしていて、他のディスコとは違った。休みはしっかりとれるし、ボーナスも出た。」

「教えてもらったことは、今もめちゃめちゃ生きてます。ダイヤモンドダイニングのやっていることは日拓の教えがかなり反映されています。立地が全てに優先する。扇の要、ターミナル駅にしか出店しない。安い物件があっても出さない。高くても新宿や渋谷に出す。」
 
「『われわれはイノベーター。朝礼暮改ではなく、朝礼朝改。変化への対応』という普遍的な経営哲学を学びました。正直、ディスコとギャップがある。でも、そこが日拓の人間の器用さを作っている。朝まで働いて本社に行ったら、高卒の人たちに投下資本利益率とか教えている。3年経ち、4年経ち、こういうことなのね、と効いてきた。市場がなければ成り立たない、自分の思惑だけでは商売は成り立たないということを間接的にすりこまれていきました。」


日拓時代の名刺と写真。当時は、寝る暇もなく働き、痩せていた。


ディスコはチームプレー

 80年代後半の六本木は、スマートな大人の街。有名人や芸能人が食事をしていても、サインを求めたり、周りで騒いだりする人はいなかった。そんな街の「AREA」は地下だが天高7m、100坪に250人も入れた。週末には150〜200万円売り上げたという。特に、ディスコの従業員、黒服は人気で、目当ての女性客が沢山押しかけた。

「黒服はホストではありません。ホストは疑似恋愛なども含めて売りますが、黒服はきちんとしたサービスでお客様に満足してもらう。ドレスコードのあるディスコはプライドが高かった。働きたい人が凄く沢山いました。」

「お客様が持ち上げてくれるし、限られたエリアでのスターみたいなもの。モチベーションは上がるが、残るのも大変。トラブルに巻き込まれやすいし、足のひっぱりあいもある。むちゃすれば先輩から絞められる。」

「ディスコはチームプレー。軍隊ばりで幹部は支配人、副支配人、主任に分かれる。ホールでもキャプテン、ヘッド、トップウェイターと細かく階級が分かれています。上には逆らえない。店内がごった返し、どのスタッフがどこにいるか分からない。だから普段から絞めつけておかないと、店の品位が下がる。お客様を口説いているのがバレれば、即効絞められます。」


どこかにこだわりポイントを作る

 大林氏は、ディスコを経験した人の居酒屋は違うという。どこかにこだわりのポイント、バブルを見ているので、小奇麗なワンポイントがどこかにあるという。デザイナーを使ったり、ここが見せ場というポイントを作る。

「一の屋」は門前仲町の商店街にアーケードを連ねる一軒屋の居酒屋。そこに見せ場がある。

「入口をわざと横に作りました。また、セットバックさせ商店街とツラを合わせない。さらに、最もこだわったのは天高。『AREA』で天高の魅力を知りました。人がくつろげる、安心できる。ビルインではできない贅沢なことです。」

 門前仲町の立地も、日拓時代の教えが生きている。

「デザインや遊びを求めるのは、バブル時代に育った人間の癖。お客様は面白いのか、を常に考えています。いい場所さえ確保すればお客様は来ると考え、門前仲町であの店を作りました。青山や西麻布では面白くない。門前仲町にあるからこそ、天井の高い隠れ家一軒屋が生える。元々の地元の方と、大きな企業がある。ひと駅隣は茅場町の大オフィス街。混沌としたエリア。週末にタクシーで銀座に行く人たちに、隣の門前仲町に過ごせるスペースを作った。潜在的にお客はいると思いました。それまでの門前仲町のイメージは赤ちょうちんと縄のれん。それをおしゃれに変えました。ディスコ時代に学んだことです。」


「一の屋」(門前仲町) 外観。商店街からセットバックさせ、入口も商店街に作らず、脇から入る。


「一の屋」名物、「千代幻豚」。世界で1軒しか生産農家がない。


「銀座一の屋」(銀座1丁目)の「金魚席」。


金魚席のテーブルでは、金魚が泳ぐ。


「銀座 やの一」(銀座8丁目)の江戸小路の雰囲気を出した個室。


「情熱屋」(門前仲町) 外観。「スーパーコラーゲン・ハバネロ鍋」1人前1400円が人気。


来店目的を瞬時に見分ける

 さらに、お客の目的を瞬時に見分ける能力が、ディスコには求められる。

「飲食店は料理だけでは勝負できない。パチンコ店はお客様の目的がはっきり分かっています。1万円を3万円にしたい。そのためには、煙かろうが、暑かろうが、寒かろうが関係ない。他方、飲食店のお客様は酒が飲みたいのか、美味しい料理が食べたいのか、また恋人と話がしたいのか、ビジネスの話をしたいのか、いろんな目的がある。それを瞬時に察して、対応できなきゃならない。それを学んだのがディスコ。話がしたいのか、気に入ったスタッフがいてちょっと恋して来ているのか、見栄で来てるのか、接待で来てるのか。いろんな用途があります。それを瞬時に察しなきゃだめ。」


遊びの店がなくなる危機感

 今の若い世代はディスコを知らない。ドレスアップして遊びに行くようなディスコを知らず、普段着の延長のようなクラブの世代。遊びの店は不要になってしまうのだろうか。

「飲食とアミューズメントの合いの子、という空気感は今後なくなるのでは。おひとり様など、1人で店に行くことが増えると、おしゃれな空間はいらなくなる。それはわれわれの商売としては危機的です。」

「居酒屋でも女性1人客が増えています。彼女らは、店の人から声を掛けられたりすることに小さなステータスを感じています。1人でも3〜4千円使ってくれます。女性は、はっきりしていて、どうせ外で食べるなら美味しいものを食べたい。いいお魚、美味しいお刺身が食べたいと思っています。お金も使える。ターゲットは20代後半から30代女性。最もわれわれを理解していただける層です。お取り寄せブームしかり、安いもの高いものの違いを理解してくれています。」


アミューズメントから、食材特化へ

「総合デパートがダメで、専門店型が人気です。何でも屋はダメ。ファミレスがダメなのと同じです。『今日何食べる?』とお客様の絞り込みがどんどんきつくなっています。もっと細分化されるでしょう。どうせ行くなら、どうせお金を使うなら、もっと絞り込みたいと思うでしょう。」

「うちは千代幻豚が目的のお客様が多い。そして一度来た方は雰囲気で気に入っていただける。 名物商材を持ってないと初めてのお客様に足を運ばせるのは難しい。売り手の方も、食材を探すことを楽しめないと。目の前の人を少しだけでも楽しませたいという気持ちに繋がります。笑みを浮かべながら帰っていただきたい。」

「若い経営者は真面目で、しっかりしなきゃという意識が強い。彼らからわれわれを見るとインチキくさい人だなと思うでしょう。もう、きらびやかな店の時代は来ないでしょうね。若い人の価値観が違ってきているから、成り立たない。ディスコを復活させても40代の人しか来ないですから。」

 外食にアミューズメントの要素を取り入れる様式は今後廃れていくのか。大林氏は、ノスタルジーに浸ることなく、ドライに市場を見つめている。こんな冷静な見方ができるのも、立地が全てに優先する、お客のいないところでは商売は成り立たない、というお客目線を叩きこまれているからだろう。


■大林 英司(おおばやし えいじ)
有限会社一の屋 取締役 営業本部長。1970年生まれ。栃木県出身。1989年、日拓アミューズメント株式会社に入社。1999年に退社。2000年から有限会社一の屋。人の笑顔が大好き。

有限会社一の屋 http://www.ichinoya.net/

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年12月9日取材