・大量採用のサラリーマンが運営するディスコ
松澤喜久氏は、「海鮮問屋 磯べゑ」(上野)、「蕎麦酒家 藪へゑ」(浜松町)の居酒屋2店舗を直営する傍ら、ダイヤモンドダイニングの「黒提灯」(赤坂)、もつ鍋ブームの走り「もつ福」(西新橋)をプロデュースしたり、飲食店のセールス・プロモーションを支援している。
日拓に入社したのは、昭和62年(1987年)。新潟から高校を卒業し、ディスコで働きたいと日拓へ入社し上京した。1992年まで5年間勤務。この時の、マーケティング研修が生きて、現在のプロデュースやプロモーションの業務に繋がっている。
「月に1回定例の勉強会がありました。本社の高田馬場に呼ばれるんです。自衛隊研修、座禅、宅建など、社員教育に金をかけていました。QC活動やマーケティングも教えてもらいました。あの時言ってたのはこのことかと、本当に分かったのは後です。QC活動では、いらないものは捨てろ。汚くなればすぐにメンテと教えられました。壁がはがれたらすぐにやれば金もかからず、直にきれいになる。もしかしたら使うかもしれないようなものは捨てる、です。」
「とりあえず何でもやらせてくれました。ディスコのリニューアルの時に何人かで集まってプレゼンしました。良かったら、即採用です。社長は社員みんなと話しかけてくれました。店に顔出すわけでなくて、社長室に全員の顔写真が貼ってあったそうです。日拓にとっては、僕らが入社した昭和62年から組織作りが始まりました。」
「水商売上りのディスコと比べれ、日拓はサラリーマン・ディスコです。ボーナスも2〜3ヶ月分でてました。良かったですね。上の人からきつく言われず、伸び伸びやらせてもらいました。しかも、黒服は下手な芸能人よりもてましたし(笑)。」
「海鮮問屋 磯べゑ」(上野) 店内。うず潮の壁紙が迫力。
「海鮮問屋 磯べゑ」(上野) 店内。
「蕎麦酒家 藪へゑ」(浜松町) 店内。日本酒の樽と徳利のディスプレイが目を引く。
「蕎麦酒家 藪へゑ」(浜松町) カウンター席。
「蕎麦酒家 藪へゑ」(浜松町) テーブル席。
・男性のみにチラシ配布
松澤氏は日拓の研修の中で、販売促進や差別化に興味を持った。
「チラシは男に撒けと教えられました。他のディスコは女の子に販促をかけてましたが、 ウチは男性にしかチラシは撒かない。差別化です。所詮、女性は無料ではいれたので、販促としては男性でよかったんです。」
お客の入店時間や空席状況をチェックできる席割ボードもディスコから来ている。以前には、居酒屋では席割ボードなどなく、店内を見渡し目視で空席を確認する状況だった。日拓の後に働いたBBAインターナショナルの「ガネーシャ」でもディスコの仕組みを活用した。
「レストランなのにお客様が並ぶので2時間制にしました。席割ボードをみて、時間のきたテーブルをアップさせて、次のお客様を入れていきました。ディスコで働いたスタッフを入れてインカムを持たせました。そんなレストランは今までなかったですね。」
・金曜日には気合を入れて! はもうない
「今は、ディスコに匹敵するものがない。昔の方が面白かった。金曜日に気合を入れてディスコに行く。海外でもパーティーや食事の時は正装していく。それは楽しそうじゃないですか。そういうことが日本人はできない。だから、当時ドレスコードを作って強制的にやっていた。僕じゃ入れないかな?とか、話題になりました。入れるようになれば嬉しい。ステータスです。」
「飽きられやすいけど、当たれば大きい。料理が美味いだけなら、いつでも行けると思うかもしれないが、アミューズメントだと流行りのうちにいかなきゃ、となります。しかも、料理は期待されないので原価率が下げられます。」
「アミューズメントを良く分かっているから、アミューズメントのある店が作れる。店にもお金をかけていた。ダイニングバーでご飯食べて、夜景の見えるようなバーに行ってというようなシチュエーションがあったけど、今はそれがない。今の若い経営者は、それを知らない。」
「アミューズメントは今の人には、カッコ悪い感じがあるかも知れない。昔の人は面白かったかもしれないが、逆に寒いみたいな感じになるのでは。監獄居酒屋で牢屋に入るようなのは寒いのかな(笑)。」
松澤氏もアミューズメントのある飲食店は今流行らないと感じている。自分の世代の嗜好を引きづらないところが、サラリーマンとして日拓で育てられたバランス感覚なのだろう。しかし、彼の「磯べゑ」の入口の大きな暖簾と看板に書かれた「肉ばっか喰ってんじゃね〜よ! 魚喰お〜ぜ!」の文字が、お客を驚かせようという遊び心の大切さを気づかせてくれる。
「海鮮問屋 磯べゑ」 外観。「肉ばっか喰ってんじゃね〜よ! 魚喰お〜ぜ!」の文字が目を引く。