フードリンクレポート


今時、行列のできる店は何をしているか!

2009.2.13
2009年初頭の景気は悪化の一途をたどっており、消費者が節約の対象として真っ先に削るのが外食にかけるお金ということもあって、外食各店もおおむね苦戦しているのが実情だ。そうしたご時世にもかかわらず、好調を維持している店はどこが違うのか、取材してみた。


「銀座久兵衛」本館1階カウンター。

一見を大切にする接客で高い人気を維持する「銀座久兵衛」

 日本で一番、寿司を売る店がどこかは諸説があるが、「銀座久兵衛」の繁盛ぶりは店に行けば一目瞭然だ。銀座本店の営業時には、本店と道向いにある別館を忙しく行き来する店員や顧客の姿が見られる。

 1日で最高、750万円を売った日もある。月商ではなく、日商なのだから驚かされる。

 ランチもディナーも、平均して1日にそれぞれ150〜200人は入る。土曜はそれぞれ200〜250人になるから行列もできる。そうした状況がずっと続いているのだから、いかにこの店の人気が高いのかがわかる。

 本館・別館を合わせて席数は80席。ランチの平均単価は7200円、ディナーでは2万円となっている。高級店でかつ、寿司という商材の性格上、回転するから売り上げが上がる。


「銀座久兵衛本店」 外観


「銀座久兵衛」 別館


別館2階和室


出前の生ちらし・にぎり(6825円より)。

「銀座久兵衛」の創業は昭和10年(1935)。初代の故今田壽治氏は木挽町の美寿司という寿司屋で修業した後に独立。高名な美食家で芸術家の北大路魯山人、大政治家の吉田茂、作家の志賀直哉、出版の文藝春秋の関係者など、多くの文化人、著名人に愛されただけでなく、軍艦巻きを考案したとされるなど、寿司の発展にも大いに貢献した人物だった。

 当初の店舗は西銀座にあり、12席くらいの木造ワンフロアーと小さく、上に家族が住んでいた。戦争で中断後、泰明小学校の近くで復興。さらに現在地の近くの古いビルに移った後、手狭になったので、平成5年(1993)に新築した5階建の現代数寄屋造りの内装を施したビルに移った。

 つまり、現在の銀座8丁目金春通りの本店は4番目の店舗である。4階に魯山人の器が展示されたミニギャラリーが入っている。

 転機となったのは、東京オリンピックが開かれた昭和39年(1964)で、その年オープンした、ホテルオークラとホテルニューオータニに同時、支店出店を果たした。さらにホテルの立食パーティの屋台需要も増えた。

「人を育てないといけないので、その頃はたいへんでした。ホテルは年中無休ですし、チームができないと現場が動かないので、入社案内を作成して、料理専門学校の入社説明会に駆け回ったものです。そのかいあって銀座の本店は敷居が高くて行けないけれど、ホテルの中の支店なら行けるという新しいお客さんが出てきて、間口が広がりました」と、2代目を継いで30年ほどになる現主人・今田洋輔氏は語る。


2代目今田洋輔氏。

 今田氏は外食の経営者が注力すべきことは、顧客と社員の満足しかないと考える。なぜなら取引先は代用がきくし、ハードは取り替えることも可能だが、顧客と社員はお金を積んでも買えないからだ。

 店としてチェックすべきことは5つあると、今田氏は言う。1つ目は料理が安定していること、2つ目は値段が他の業態と比べても適正であること、3つ目は常に清潔であること、4つ目は食べ方について能書きを言わないこと、5つ目は公平であること。

 1つ目と2つ目は当然だが、3つ目は清潔な感じではダメ、4つ目は食べ方の順序や食べ物と酒の取り合わせについて、とやかく言わないということである。たとえば刺身を肴にシャンパンを飲みたい人には、シャンパンを出す。

 そして、5つ目で肝心な点は、一見の客と常連客を差別せず、むしろ一見の客に手厚くすることをモットーとしていることだ。そうでないと、我がままで、ひがみっぽく、勝手な顧客の反感を買ってしまうからだ。

 得てして寿司屋に限らず、飲食店一般、特に高級店は常連客ばかりに手厚くサービスし、一見客には冷淡であることも多い。それでは、リピートにつながらないと今田氏は断じるのだ。

「常連客は特別のことをしなくてもまた来るので、放っておいてもいい」とすら言う。ここが、「銀座久兵衛」の接客哲学の根幹であり、多くの顧客を集めている理由なのだろう。


老舗ながら、一見客と常連客を差別しないことで賑わいを生んでいる。

 今、2代目が進めているのは、従業員がするべき仕事の明文化と映像化だ。たとえば、コハダというネタ1つ取っても、仕入れにおける良い魚の見分け方、頭の落とし方、身の開き方、塩の量と当て方、水洗いの仕方等々、チェック項目はたくさんある。それをネタごとにきっちり決めて、社員教育に使う。

 女性のホール係に関しても、お盆の中の皿の置き方、おしぼりはどういう時に取り替えるか、最後の荷物チェックの仕方など、細かいチェック項目を明文化して、接客向上を目指すという。

 背景には、「銀座久兵衛」といえども夜の社用族の入りが減っており、不況の影響は免れ得ないことや、3代目への事業承継がある。不況対策では、ランチの値段を2000円下げて4000円からにぎりや生ちらしを食べられるように、お得な価格設定をして、中高年主婦の顧客を戦略的に増やしている。

 おみやげしか出していない「太巻き」は、神戸で2年間修業していた2代目が始めたもので、今では看板メニューの1つだ。
「サービス業も一種の科学ですから」との今田氏の言葉には、老舗は古色蒼然とした知る人ぞ知る店であってはならず、常に時代に合わせて変化しつつ繁栄し続けなければいけないという、力強い決意が見て取れた。


「餃子の王将」はチェーン発想を捨てて過去最高の業績へ

 関西、特に京都の市民なら知らない人はいない、京都発祥の中華料理チェーン最王手「餃子の王将」。この「餃子の王将」を展開する、創業して42年になる王将フードサービスの業績が好調だ。

 直営343店、FC183店を持つが、直営全店が黒字。最新の平成21年3月期第3四半期(4〜12月)連結決算によれば、売上高407億4100万円(前年同期比9.3%増)、経常利益47億4900万円(17.7%増)と不況を吹き飛ばす快進撃となっている。

 昨年5月に全国一律で餃子を20円値上げしたが、直営既存店で、客数3.7%増、売上高5.5%増と業績を伸ばしているのが素晴らしい。直営既存店の売上高は17ヶ月連続増収だ。中国産餃子事件を全然問題にしていない。直営は13店、FCを8店新規出店。FCから直営に1店が移行し、FC3店を閉鎖した。

 しかし、2000年当時、王将フードサービスは有利子負債470億円を抱えて倒産寸前の会社であった。それがこの大不況時に過去最高の業績を叩き出すまでに、大変身できたのはなぜか。

 そこには会社の建て直しを任された、現社長・大東隆行氏の改革があった。

「業績が悪くなったといっても、バブル崩壊による不動産投資の失敗であって、本業は悪くなかったんです。もう一度、食堂業の原点に立ち返って、一店一店を個々の店として、お客さんの顔を見ながらていねいに作っていこうと考えました」と語るのは、常務取締役東京地区本部長の渡辺直人氏。


渡辺直人常務・東京地区本部長(左)と鈴木幸生エリアマネージャー(右)。

 とはいえ、後発のチェーンや、郊外ではファミレスが伸張しており、当時の「餃子の王将」に停滞感があったのは否めない。特に郊外の大型店では、クローズなキッチンの店が増え、食材もセントラルキッチンで調理したものが増えていた。他店と同じ土俵で勝負していたのが、停滞の原因であった。

 そこで、調理を現場のシズル感あるオープンキッチンに戻し、餃子の皮とあんを除いてセントラルキッチンの食材使用を止めた。つまり、全て顧客の見ている目の前での手作りとしたのである。

 看板の餃子も毎朝、夕べ練り上げたできたての皮とあんが別々に届けられ、その日使う分を店で1つ1つ包んで、必要に応じて焼く。あんは日産のフレッシュな豚肉をミンチにして使っている。

「なぜ、すべてのお店であんを皮に包むような面倒な作業をするのか、不思議に思うかもしれませんが、餃子は生き物なので、作りたてが旨いのです。冷凍して持ってくればコストは安くつきますが、肉汁のジューシーさやキャベツのシャキシャキ感、カリっとした皮の焼き上がりが失われてしまいますね」(渡辺氏)。同社の餃子へのこだわりが伝わってくる言葉である。

 東京のJR水道橋駅南口に近い、水道橋店は周囲の飲食店が集客に苦慮する中、連日行列ができる繁盛店で、関東エリアで売り上げ上位ベスト3以内にランクされる店の1つだ。席数は124席あり、2階は座敷となっていて宴会需要も多い。平日で700〜800人、休日で900人ほどの顧客が訪れる。餃子などのテイクアウトも結構多い。顧客層は、平日は近隣の学生、サラリーマンが中心だが、休日はファミリーや場外馬券場で競馬を楽しむ競馬ファンも訪れる。東京ドームで大きなイベントが開かれた時は、非常に混雑する。


「餃子の王将」水道橋店 外観


「餃子の王将」水道橋店 1階店内


「餃子の王将」水道橋店 2階座敷席

 林貴幸店長によれば、夜は1皿230円の餃子をつまみながら、ビール(460円)などアルコールを2、3杯飲んでいく人が大半で、居酒屋のような感覚で利用されているという。飲む人には、レバニラ炒めに餃子、ライス、スープが付いた「レバニラセット」(840円)が好評だ。不況でこれまで居酒屋で飲んでいた人が、平均単価が1000円に満たない、値段の安い「餃子の王将」に流れている感がある。


夜の需要を見込んだおつまみメニュー。とにかく安い!

 ランチやディナーの混雑時は、厨房、ホールは忙殺されるが、店内に正社員が8人という熟練されたチームワークによって、迅速な対応がなされている。それぞれ調理時間が異なる、餃子とラーメンとミニチャーハンをほぼ同時に仕上げてできたてを提供する「東京ラーメンセット」(860円)は、代表的な人気メニューである。

 また、「餃子の王将」では各店の店長がグランドメニューとは別に、オリジナルのメニューを考えて店の売りとしており、炒米粉(480円)などは水道橋店だけのお勧めメニューだ。


人気の東京ラーメンセット(東京ラーメン、餃子、ミニチャーハンで860円)。


水道橋店オリジナルの台湾屋台メニューの炒米粉(焼ビーフン、480円)。

 店長をはじめ社員には、成果を上げればインセンティブを与えているのも、モチベーション向上につながっている。

「ゆらぎの商売と呼んでいるのですが、我々は全店が同じメニューで同じ味でなくてもいいと考えています。都心店とロードサイドの大型店では、グランドメニューも違います。その土地の好む味付けがありますし、王将の味として認められる範囲なら、微妙な違いがむしろその店の個性になり飽きられません。味が違うといったクレームにびびっていたら前に進めません。店長を信頼し、店長をサポートするスーパーバイザーを信頼することで、王将は成り立っています」(渡辺氏)。

 マニュアルでがんじがらめの画一化したチェーンではなく、すべて地域の個店としてとらえなおすといった発想の転換が、今日の成長を可能にしたのだ。


看板の餃子は全て店内であんを皮に包んで作る。


顧客たった1日1組から逆襲なった「AWキッチン」の秘策

 東急東横線・東京メトロ日比谷線の中目黒駅から徒歩7、8分。山手通りから少し入った東山の住宅街にある「AWkitchen(エーダブリューキッチン)」は、予約が取りにくいほど繁盛している、手打ちパスタをメインとした隠れ家的な店だ。


中目黒の住宅街にある、AWキッチン東山本店外観。


「AWキッチン」本店 1階。

 オーナーシェフの有限会社イートウォーク社長・渡邉明氏は、元グローバルダイニング総料理長。2001年レインズインターナショナル100%出資のアートフードインターナショナル創業社長となり、03年5月に退社。翌6月に独立してイートウォークを創業。当初は数社の大手外食企業の顧問やコンサルティングを行っていたが、04年3月に自らの店としてオープンしたのが、「AWkitchen」であった。


イートウォーク代表、渡邉明氏。

 アートフードを辞めた時に、渡邉氏は「Ⅰt’s the new style that doesn’t copy new trends」ということを考えたという。つまり流行を追うのでなく、おいしい食材をていねいに作って顧客に提供する、それこそがトレンドではないかといったニューアンスだ。ある意味原点回帰であり、当たり前のことをしようじゃないかとの提案でもあった。

 物件は元焼肉屋であった一軒家の店舗を居抜きで改装したもので、渡邉氏は最初から東山地区を集中的に探し、やや駅から遠いが、ギリギリ構想内の場所だったのでそこに決めたそうだ。席数は36席で、2階に個室がある。イメージとしては、近所の人に愛されるお子様もOKの店、深夜2時(日曜は0時)まで営業して飲んだ後のシメのラーメンならぬシメのパスタを楽しんでもらう店、といった地域密着のパスタのおいしい店だった。

 しかし、オープンして3カ月ほどは、顧客が1組しかない日もあるなど、わかりにくい立地が災いして入りが悪かった。当時はまだ、顧問の仕事を続けていたので何とかしのげたものの、「もうこれ以上お客さんが来なければ、危ない頃になってようやく徐々にクチコミで盛り上がってきた」(渡邉氏)とのこと。

 中目黒は新しく勃興した若手のアパレル業者たちの遊び場になっていて、彼らが「AWキッチン」を飲んだ後の溜まり場にしたので、深夜10時以降の時間帯から混むようになってきた。そして、10月頃からぐっと人気が出て売り上げが倍になり、夕食時の8時台、9時台は予約で埋まるようになったという。現在では深夜帯はやや弱くなってきたものの、夕食時は依然、予約が必要な状況となっている。

 顧客層は大学生からファミリー、シニアまでバラエティに富んでおり、芸能人と近所の主婦が隣り合ってテーブルを囲んでいるような感じだ。財布の加減を気にしながら、ある時はパスタ、ある時はコースと選べるわけだ。顧客単価は8000円となっている。

 そして、イートウォークは05年8月麻布十番の和の串焼き業態「kotatsu」、同年12月に「AWkitchen」2号店の青山店をオープン。さらに、全国各地の契約農家から取り寄せた、野菜のメニューを前面に出した和の業態「やさい家めい」を06年2月、「表参道ヒルズ」にオープン。ベジタリアンとは違った旬の野菜を味わう店として、ランチの9割は女性と、特に女性に人気を博している。


契約農家からの産地直送の新鮮な野菜で作った農園バーニャカウダ。


「AWキッチン」のパスタ

「それまでは信用がなかったので、思うように野菜が仕入れられなかったが、この頃ようやく形になってきた」と渡邉氏は振り返る。最近は野菜への想いはますます強くなり、週に1度のペースで全国の生産者の畑をまわって、知識を蓄積している。

 ある意味で、同社の集大成となったのは07年4月「新丸の内ビル」にオープンした「AWkitchen」3号店。100席ある大箱でもあって、ランチに2800円と3800円のビュッフェを導入。またも女性に人気となり、今もランチは2回転弱する行列店である。夜も1.5回転を保っており、顧客単価は9000円となっている。


新丸ビル屈指の繁盛店である「AWキッチンTOKYO」。

 08年は出店ラッシュとなり、長野県の「野尻湖ホテル EL BOSCO AWkitchen」のメインダイニングとして「AWkitchen」4号店をオープンしたほか、「やさい家めい」を「レミィ五反田」、「六本木ヒルズ」、「柏高島屋ステーションモール新館」と3店オープン。特に「六本木ヒルズ」では「お野菜しゃぶしゃぶ」を前面に出している。

「グローバルダイニングでは人を喜ばせるやり方が見え、レインズインターナショナルでは経営学を学んだ。今では両社で学んだことが自分の財産になっている」と渡邉氏。

 流行を追うことから、健康や食の安全・安心や地域に溶け込んだ店作りといったような、スローな方向へいち早く抜け出したことが、今日の成功に結びついている。


「中村屋」は修業のためにチャレンジし続けるラーメン屋

 神奈川県海老名市にあるラーメンの名店「中村屋」は、1999年のオープン以来、店主の中村栄利氏の創業当時22歳という若さも相まって瞬く間に評判となり、現在まで行列の絶えることのない繁盛店である。


「中村屋」 外観。


「中村屋」 店内。

 ラーメンの世界はフリークが多数存在し、インターネット上の情報交換も盛んかつスピーディで、オープンしてすぐ行列店となるケースも少なくない。しかし、数年もすると味が飽きられる、店主の過労による体調不良などの原因で、閉店していることも珍しくない。

 そうした厳しい競争にさらされながらも、勝ち続けられるのはなぜだろうか。

 そもそも、中村氏がラーメン屋を目指した原点は、高校卒業後に留学したアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴでの生活があった。パンとカリフォルニア米が苦手だった中村氏は、自然と主食を食べる生活手段として、単価の安いカップラーメンに頼るようになった。


ラーメンを作成中の創業者・中村栄利氏。

 ただし、カップラーメンに付いているスープがおいしくないので、自分で鶏、ビーフ、魚などの素材を煮立てて、楽しみながらスープをつくって、ラーメンを食べていたのだという。

 自分が日常食として食べられるものを目指したので、「中村屋」のラーメンは奇をてらったものでなく、さらっと食べられるのが特徴だ。原点の塩ラーメンは透き通るようなスープと、喉越しの良い麺が、絶妙に調和している。


中村屋の基本の形しおらーめん(780円)。醤油味もある。

 特にうたってはいないが、野菜は地元・海老名の野菜を使い、豚肉は地元の高座豚を使うといったように、安全性とフードマイレージを考えた食材を選択している。

「新しいけど懐かしいと、創業当時からよく言われていました。ラーメンというのは、肩肘を張って食べるものではないと思うのです。強いインパクトを与えるようなコテコテなものでなく、ほっとするような感覚の子供やお年寄りが食べられる味でないと、スタンダードにはならないですよ」と中村氏は語る。

 中村氏が参考にしたのは、小さい頃によく食べに連れて行ってもらった地元・本厚木にある「当り矢」というラーメン屋。当時のことなので化学調味料も多量に使ってはいるが、飽きない家庭的な味を出していた。

 そうした中に、たとえばチャーシューを一枚一枚あぶった「あぶりチャーシュー」の導入、麺を切る時の「天空落とし」といつしか呼ばれるようになった独特の豪快なしぐさも評判となり、行列店へと上り詰めた。その頃は、神奈川県大和市の小田急江ノ島線高座渋谷駅にほど近い場所に店があったが、2003年に区画整理による取り壊しのため、小田急本線海老名駅から近い、ショッピングセンター「サティ」の前にある現在地に移転した。


豪快な天空落とし。

 席数は22席で、1日の顧客数は250〜400人だが、休日はもっと入る日もあるという。具材を全部載せた「特中村屋」(1280円)というメニューがよく出るので、客単価は1200円と意外に高い。「あぶりチャーシュー」、「天空落とし」ばかりでなく、これまでのラーメン屋の発想を打ち破る革新的なことに次々とチャレンジしていることも特筆される。

 まず、毎月第3月曜と火曜の夜にオープンする、1万2600円〜のコースを提供する「中村屋エッセンス」が挙げられる。これは完全予約制、1日1回転のみでワインに合った、最先端のラーメンを提供するもので、海苔をスープにするなどラーメンの食材を使った品の良い創作料理が提供される。

「中村屋エッセンス」の顧客は、医者、芸術家、作家、美容師などクリエイティブな仕事でチャレンジしている人が多く、常連が7割を占めているという。なお2月よりしばらく創作準備期間を設けるとの理由で、一時休止に入った。

 また、一昨年には長野県昼神温泉にキャラバンの支店を開設。これは温泉名物のラーメン屋台がなくなって旅館街が寂しくなったことを受けて、オファーされた企画で、村おこしの観点で出店した。

 さらに昨年10月28日、都内初進出店として、御茶ノ水に「三四郎」をオープン。醤油味、塩味に加えて、「まさら」というカレー味のラーメンを出したことで注目を集めた。また、「ダシかけ」という具の入っていない、スープの中に麺だけのラーメンにもチャレンジしており、マニアックなラーメンファンの期待にこたえている。

「新作のラーメンは作りたくなったら作る、というスタンスです。中村屋は他店でもう修業できませんから、自分の店で修業するしかないって面もあります。できることとすべきことは違うと考えますので、新作も中村屋らしいスタンダードなラーメンを考えていきます」と中村氏は言葉を選びながら、多彩なチャレンジを意味づけた。近く海外に出店する予定もあるそうだ。

「30年、さらには100年続くような新老舗を目指したい。新しく開けた海老名には老舗がないし、僕らがこれから老舗と呼ばれて代々のお客さんに愛される店になりたいです」。

 新しさと懐かしさが融合する中村屋なら、達成可能な目標であろう。


チャレンジの一環として料理本も出版した。


50年、100年残る老舗を目指す店こそが繁盛していける

 さて、社歴も業種も単価もまちまちな4つの繁盛店が儲かる理由を考えて取材してきたが、不思議と言っていることのトーンが似ていることに気づく。

 それはスタンダードな長く繁栄し続ける店、飲食の原点に立ち返った店を構築するということである。 また、それぞれが寿司、餃子、パスタ、ラーメンと、誰もがなじみ深いメニューの専門店であるということも興味深い。

 具体的な手法として、「銀座九兵衛」では一見こそ大事にする接客や、サービスを科学的にとらえなおす標準化を行っていた。「餃子の王将」では手作りとシズル感にこだわり、チェーン発想を否定して店長の発想力を活かしていた。「AWキッチン」では立地によって中目黒の住宅地では深夜のシメのパスタ、丸の内ではランチバイキングを打ち出し、健康を意識した野菜を重視してスローな方向を先取りした。「中村屋」は懐かしくも新しい飽きの来ない味を追求し、地産地消を取り入れながら老舗を目指す。

 見方を変えればこれら4店は、飲食店が陥る悪癖である、常連偏重、画一的なチェーンの限界、トレンド追随、インパクト依存によって、消費者に飽きられるパターンをそれぞれ克服した店と言えるだろう。


【取材・執筆】 長浜 淳之介(ながはま じゅんのすけ) 2009年2月3日執筆