・街場でいい場所でやっている大衆店
金原氏の父親は上野・池袋中心にビルを建て、そこで飲食店を次々とオープンさせていったやり手の商売人。金原氏は3人兄弟で長男。3人ともに各々独自に飲食業を営んでいる。2番目の弟は池袋で地酒と魚の居酒屋「酒菜屋」、新橋に最近出来た日本酒通の集まる地酒専門「野崎酒店」などを、3番目の弟も地酒をテーマに池袋で「てしごとや」などを営んでいる。共に地酒、魚を名物とする居酒屋だ。
「魚金」1号店が生まれたのは、1995年。新橋駅烏森口の繁華街の現在の本店の場所。池袋で父親の飲食店を手伝った後の独立。2フロアで30坪、60席。その内、地下も空いて3フロアに広がった。
かつて、居酒屋「魚金」は今のようにメディアに取り上げられる対象ではなく、隣に作った立ち飲みが取り上げられるくらいだった。
「掘りごたつでデザイナーが入ったような華やかなダイニング系の居酒屋がメディアに取り上げられ、増えていった。でも、それは好きじゃなかった。飲食業なんで飲み食いで商売したかった。」
「魚金」本店、創業の店。
本店の隣には、刺身屋台。
・社長は毎日築地に通い、メニューを決める
利は元にあり。安く買う努力を続けている。金原氏は毎朝5時半に起き、築地に魚を仕入れに行く。創業した時からの習慣。最初はカゴ1つで足りた量が徐々に増えていった。
「魚を安くしたいと思っていたが、実際に安かったかは分からない。5店舗目の五反田店を出す時に、少し安いかなと感じました。でも、お客は大して良くなくても、良いと思うとある程度の時期思い続けてくれる。頭の中に出来たイメージで来る。豪快らしいよ、目の前でホタテ焼くらしいよ、など内容を考えず、ただイメージ。一般の人は素人なんでムードに酔っていく。魚金も多少認知され、刺身が凄いらしいとイメージを持たれたのは、ここ4,5年。」
築地での魚の仕入れと、メニュー価格・提供の仕方は金原氏がずっと決めてきた。家族旅行など休暇の時には大変だそうで、旅先から携帯電話で仕入れる。海外の場合は時差を気にしながら掛ける。心が休まらないが今も続けている。
「板前が仕入れると、自分たちの手間暇や経験値で値段を決める。習ってきたもので、その値段が適切か検証せずに出している。この時期のタイならこう、ハモならこう。また、職人は、今日はコハダを多く買ったので捌くのに疲れた、明日は細かい仕事はしたくないとなり、仕入れを自分の都合で変えてしまったりする。」
「僕は職人じゃない。僕が必要だと思うものを買って、それを捌いてもらう。僕が買ってきたものを捌くのが厭なら辞めるしかない。やってくれる人には給料もバンバン出す。他所で暇な仕事するより、忙しいけど繁盛して、店が増えて、やりがいもあって 給料も上がっていく方がいいに決まっている。最初は辞められましたが、今は新陳代謝も終わって上手く行ってます。」
給料は、業績に関係なく毎年1万円ずつ給料が上がる仕組み。他にも役職手当などが付き、他社よりも給与水準が高い。
「板前は他の店のことが殆ど分からない。お客さんの経済状態もわからない。僕は、責任もって世の中のことを勉強しています。彼らは作るのはプロ、仕入れやお金儲けのプロではない。お互いに専門分野でやればいい。」
「活力魚金」、立ち飲みで5/14に開店。
「活力魚金」の刺身ぶつ切り盛り 580円。
・経営者だから予算以上に仕入れることもできる
「今、仕入れにはアシスタントが出来た。でも、社員は誰も仕入れをやりたがらない。12時まで働いて、朝5時半に起きて仕入れは無理。また、社員だと、仕入れ予算内で収めたがる。30万円渡すと、25万円で買ってくる。お客様からしたら、5万円分どうなったんだ、ちゃんと買ってこいよ、です。僕なら、ちょっとオーバーさせるなど好き勝手できる。利益が減っても、僕さえ納得していればいい訳です。」
「魚屋をやると、よくあるのは最初だけ景気がいい。2〜3店出店すると、仕入れを任せて社長業になってしまう。商いは元にあり。一番大事なものがルーズになる。」
安く仕入れるために、市場の仲買権までを取得する気はない。
「今も毎日5:30に起きるのは辛いのに、仲買は早いと1時からせり。自分の人生とは違う。仲買権を持っている居酒屋チェーンがあるが、店を見ると引いちゃうような感じ。客層も魚をバンバン食べるような感じじゃない。魚を売るというスタイルを商売にしたいのかな。テートや合コンで魚を売ったってしかたない。僕は昔からあるように、イワシを梅干しで煮たり、昔からあるものを食べて欲しい。大トロだ、ウニだ、いくらがこぼれているだ、ウチもやってますけど、そんなことじゃなくて、昔から食べられているものをちゃんと食べて、酒を飲んで欲しい。しかも安く。」
・繁盛店視察は欠かさない
金原氏は、常に他店の視察に精を出している。
「移り変わりが激しいんで、経験だけでは生きていけない。情報がないと生きていけない。誰かがが見なきゃいけないので僕が行く。従業員も連れたりして、1日5件くらいまわることもあります。」
「悪い所を見ても仕方ない。喜んでがんがん食べて飲んで帰ってくるだけ。酔っ払っちゃう。メニューを取ってきたり、写真をとってきたりはしません。雰囲気だけわかればいい。料理、値段は普通。1つ1つ見ても大したことない店が流行っていたりする。入って雰囲気を感じて何でこれはいいのか、考える。見に行く度に、愛される店を作らないと、と思います。一生懸命やっている店は見たい。」
「あこがれるのは、飲むもの食べるものをきちんと提供している店」という。最近では、町屋「もつ焼き亀田」、王子駅前「平沢かまぼこ」が良かったそうだ。
・“五反田の学食“を出店予定
「魚金」の各店舗の客単価は立ち飲み2千円、居酒屋4千円。売上は日販で坪あたり1万5千〜3万円。ほとんどの店が好調だという。客単価は以前、3500円くらいだったが、高い酒を飲むお客が増えて上がった。料理の単価は変わらない。酒の仕入れはモチベーションを高めるために、各店の店長に任せている。
バール、ビストロという洋風業態も開けたが、ベースは魚金。たまたまフレンチやイタリアンやワインが好きなスタッフがいたから。
「料理はスタッフがいれば、ワインも好きなやつがいれば売れる。どこの店も高い。安いと言われても高い。もっとリーズナブルに、魚でも刺身でもフレンチでも、もうちょっと安くだせんじゃないの」というのが魚金のコンセプト。
今度、五反田に38坪の洋食店を出店する。ベースは魚金の「安くて、美味しくて、お腹いっぱい」。コンセプトは、五反田の学食。五反田に住む人が毎日でも来られるような店。スケルトンから作っている。飲食に重きをおいているため厨房が重要で、各店とも一部造作は使うが基本的にスケルトンから作る。調理するのは全て調理人でアルバイトは洗い場だけ。飲食に魂を込めている。
「イタリアンやフレンチで魚を食べても美味くない。箸じゃないと魚は食えない」と言い、洋食店は肉がベース。肉だと金原氏の仕入れ負担がかからない。
「Bistro Uokin」、路地裏にあるが大盛況。
「Bar Uokin」、イタリアン・バール。
・30店が仕入れの限界
「30店まで今のままで仕入れは頑張れる。あと10軒。今53歳。先の事より、従業員が結婚したり、子供持ったりが増えた。創業13年なんで、20年までは頑張ろうかな。私も従業員も日々疲れている。つい最近まで、店を出すと、またやるんですかと迷惑みたいな感じだった。でも最近は、俺達もすごくなってるぞ、という感じがある。自信もついてきた。」
「カッコイイ店もやりたい。赤羽でも広尾でもできる商売をしたい。今のところ新橋と五反田。山手線で北と西はやらない。下町は難しいです。お客が厳しい。そこに住む人たちの街で、自分たちのスタイルに合わせて欲しい、よけいなスタイルはもちこむなと言われる。東京、新橋、五反田、目黒あたりに広げていきたい。」
最後に金原氏が語ってくれた、「飲食は所詮、水商売ですから」ということばが印象に強く残った。2代続く飲食業で、どっぷり漬かって育ったならではの言葉だ。飲食が外食に変わり、商売からビジネスとして変化してきた。その対極にある昔ながらの水商売という考え故に、疲れた人々を癒してくれる魅力を持っているのだろう。