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フードリンクレポート


<ライジングシェフ・シリーズ 11>
新しい時代の板前を育てたい!
島崎 昭氏
東京レストランツファクトリー株式会社 総料理長

2008.7.16
「御曹司勘助邸」「銀熊茶寮」「御曹司松六家」など高級和食店を展開する東京レストランツファクトリー。その全店の調理場を仕切る島崎氏は、ミシュランで2つ星の栄誉に輝く銘料亭「つきじ植村」出身。島崎氏に日本料理で職人になることの魅力を聞いた。


「御曹司松六家」の調理場に立つ、島崎昭氏(東京レストランツファクトリー 総料理長)

最高の技術を身につけても、食べてくれる人がいないと何にもならない

 島崎氏は、18才で青森から上京し、「つきじ植村」に入社。調理場の仕事は、まかないの手伝いなど雑用からスタート。早く腕を上げたい島崎氏、朝は誰よりも早く入り、ランチの準備。そしてディナー終了後、片付け。アフターは先輩に同行し他店を視察。「親方や先輩にはとても良くしていただきました」と基礎を身につけさせてもらった「つきじ植村」に感謝している。

 板前の世界は実力主義。年下でも腕があれば先輩を飛び越えることができる。島崎氏は同期入社のライバルを追い抜きたくて努力を重ねた。先輩に「次、これやってみるか」と声をかけてもらえるよう、先輩との夜の付き合いも欠かさなかった。

「和食の板前は、先輩後輩という縦社会の厳しさがあります。若い頃から、それが正しいのか疑問に思っていましたが、郷に入れば郷に従えです」と島崎氏。

「親方や先輩からは『いくら最高の技術を身につけても、食べてくれる人がいなかったら何にもなんないぞ。ホールとコミュニケーションできないとだめ。算数ができなきゃだめ。トータルで売上を上げて利益を出せ』と若い時から教えてくれた」という。

「30才前で自信が沸いてきました。30才は勘違いを起こす年令なんです。夜、外で飲んでいると『お前料理やってんの? 給料いくらもらってんの? ウチでやらない? もっと払うからおいでよ』とよく誘われました。おもしろそうだなと思い、ある小さい店に移りました。そんな店は安定感はありませんが、自分で自由にできておもしろいんです。でも、1〜2年いるとそこの仕事が大体分かっちゃいます。飽きるんです」

 30才で、東京・葛飾で自分の小料理屋を開いたが、2年半で失敗。「家が無くなり、とりあえず雨風がしのげる部屋が欲しくて、寮のある店を求人誌で探しました。面接に行くと『給料はこれ以上はらえない』と言われましたが、こっちは贅沢言える身分じゃない。居酒屋で働き出すと、腕がもったいないと評価され、料理長をやってくれと言われたが、こっちは興味がない。知り合いから声がかかって別の店に行きました」という具合に、板前は転々と店を変わっていく人が多い。

 調理技術を売りに転々と店を渡り歩く板前が多い。定着して働いてもらうにはどうすればよいか。


鮮魚の盛り合わせ(1人前2000円より)


全文(有料会員専用)の見出し
店作りにも関わる面白さ
調理場のファッションは自由
若い板前よ、ドバイをめざせ
(写真全4点)

■島崎 昭(しまざき あきら)
東京レストランツファクトリー株式会社 総料理長。1965年生まれ。青森県出身。「つきじ植村」などで働いた後、2006年、東京レストランツファクトリー入社。現在、総料理長の傍ら、六本木「御曹司松六家」の調理場に立っている。

東京レストランツファクトリー株式会社 http://www.tokyo-rf.com/home.html

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2008年7月9日取材

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