2000.3.6 |
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今月の特集『再発見!
塩を考える』(1/3)面
--「塩」を見直し繁盛店の仲間入り、人気の自然塩の全貌に迫る--
--ヒートアップする自然塩ブーム多種多様な中から最適な塩を探し出そう--
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平成9年4月に塩の専売法が廃止され、いくつかの規制が解かれた今、製法・成分・味ともにバラエティに富んだ多種多様な塩が出回るようになった。それ自体が深みのある旨味を持ち、ひとふりで料理の味を左右する塩。今回は奥深い塩の世界を探ってみよう。
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規制緩和で始まった輸入塩・国産塩の競演潜在的な需要を掘り起こす?
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平成9年4月に塩の専売法が廃止され、代わりに塩事業法が誕生。その結果、かつては日本たばこ産業の指定を受ける必要があったものが、大蔵省への届け出だけで塩を輸入したり製造したりできるようになった。以来、新規参入の輸入業者や塩製造業者が急増し、現在、輸入業者の数は百数十社。国内の塩製造業者は従来の7社から50社前後に大きく膨らんでいる。
小売店側でも品ぞろえを強化する動きが相次ぎ、百貨店や高級スーパーでは、10種類以上は当たり前。中には40〜50種類もの塩をそろえる店が出てきている。売れ行きも好調で、特に海水を天日で干したり、岩塩などからつくられる「塩」が人気の中心。
専売法が廃止されたことをきっかけに、潜在的な需要が一気に掘り起こされた恰好になっている。 |
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変遷をたどった塩の製造法海のミネラル分を凝縮させた日本古来の塩
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四方を海に囲まれた日本では、海水から塩を作り出す塩田法が発達してきた。「しお」は「潮」と語源を同じくするものであり、それが転じて「ひとしお」という言葉になったり、好機を表す言葉になって、数多くの場面で使われるようになっていった。有名な武田信玄の「敵に塩を送る」逸話や、忠臣蔵が製塩法をめぐるスパイ事件の争いだったという説からも、いかに先人が製塩に苦心していたかがわかる。また日本では、海水をものにかけたり、体にかけて「浄めて」いたことから、汚れを払うという特別な役割も果たしてきた。葬儀の浄めの塩、門口の盛り塩、相撲の仕切りの塩撒きしかり。宗教的な意味合いも含めて、日本とそれを取り巻く海と塩は密接な関係にあったのである。
海水から塩を得る製塩は、日本では約8000年前から行われていたといわれる。外国では塩田に海水を張っておけば、自然にかん水(濃い塩水)ができ、塩の結晶もできるが、多雨多湿の日本では太陽熱や風力だけに頼ることは困難。そのため、古代のころからさまざまな工夫がなされてきた。
容器に海水を入れ、直接火にかけて煮詰めるシンプルな方法は、縄文時代の後期から行われている。その後、海藻を利用する「藻塩焼製塩法」を経て、「揚げ浜式塩田」(イラスト1・次面)が確立するのは中世のころ。これは、砂地を平らにならして海水が染み込まないように整地し、汲み上げた海水を繰り返し撒くというプロセスから始まる。砂に塩分が充分についたところで濾過装置に入れ、その上に海水をかけて洗ってかん水を取る。そのかん水を平釜にかけて煮詰め(煎ごう)、塩の結晶を取る方法である。この揚げ浜式は大量の塩が得られるものの、海水を汲み上げて浜に撒く”潮汲み“が大変な重労働。森鴎外の「山椒太夫」で姉の安寿がさせられたのがこの潮汲みであり、安寿は体を痛め、やがて盲目の身になるストーリーからも、いかに過酷な労働だったかが想像できる。
この揚げ浜式塩田は、現在でも石川県珠洲市の無形文化財の塩士・角花菊太郎氏によって続けられている。文化遺産の塩田から取られる塩は土産として売られていたが、そのままでは専売法に触れるため、わざわざ昆布を混ぜた「こぶ塩」として許可されていたのである。
本古来の塩は滋味豊かな海の結晶。薪を炊いて煮詰める古代平釜塩の製法 |
煎ごう |
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釜揚げ |
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完成 |
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塩田から取った原塩に海水を加えて溶かし、飽和状態になった濃い塩水(かん水)を薪の平釜でじっくり煮詰める |
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結晶した塩を木箱に移し、三日三晩寝かせ余分な水分を出し、ニガリを残しながらじっくりと自然塩に仕上げる |
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遠赤外線を多量に放出する薪の炎でゆっくりと時間をかけた自然塩は、粒子が細かいのが特徴 |
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