フードリンクレポート

アントレスト有村社長インタビュー
「『熱さと行動力』だけが私の強み」(前編)

03.10
25才で3店舗の居酒屋を経営する有村氏が飲食の世界に入ってきたのは23才の時。大学を中退して1年間修業を積んだ後には、早くも1店目をオープンさせる。ゼロから始めて1年で起業、その後1年半で直営3店舗を展開する。2010年までには100店舗を目指し、順調に成長するその秘訣を有村氏に直撃した。
人に影響を与えられるような人物になろうと、起業家を目指す。
有村社長
有限会社アントレスト 代表取締役社長 有村壮央氏
居酒屋「さくらさく」、「つみき」、「いちりん」の3店を運営する25才。
2010年までに直営100店舗を目指す。

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1店目「さくらさく」が2004年11月。そして、2005年11月に神楽坂に2店目の「つみき」をオープンして、ここ「いちりん」が2月と順調な出店ペースです。

有村
会社設立当初から多店舗展開を視野に入れていました。初年度1店舗、2年目に3店舗、3年目に5店舗という目標がありますので、計画通りに進んでいます。ただ、人材の育成や、組織としての理念の共有が完全とは言えませんので、その点についてはこれからの課題です。

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起業は高校時代の同級生とされたそうですね。

有村
地元京都の同級生たち3人で立ち上げました。

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東京で起業された経緯をお聞かせください。

有村
私は立教大学に進学しまして、そこで学生団体を立ち上げて、ベンチャー企業の合同就職説明会やセミナーを開催していました。コムスンを立ち上げたばかりの折口会長に講師で来て頂いたこともあります。将来的には団体メンバーそれぞれが起業して、起業家グループを作りたいという夢を持っていた団体でした。偶然なんですけど、私以外の弊社設立メンバー2人は関西で同じような活動をしていたんですね。高校時代はそれほど親しくはなかったんですが、お互いに「面白いことやってるな、じゃあ時期がきたら一緒にやろう」となって、「さくらさく」オープン時に東京に来てもらったんです。

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高校生の時にすでに起業家になりたかった。

有村
いえいえ、そんなに早熟じゃなかったんです(笑)。大学1年目に出会った2歳上の先輩の影響がとても大きいですね。実際、大学に入ってみると、授業はつまらないし、サークルではただ飲んでるだけだしという環境で、「オレはなにやってるんだ」と満たされない状況でした。そんな時に、その先輩が主催していた学生団体がとても熱い人達が集まってさまざまな活動をしていて、輝いて見えたんです。私も感化されやすい人間なので、私も熱い人間になろうと、人に影響を与えられるような人物になろうと決めた。そこから起業家を目指すようになりました。

「何でもできるということは、何もできないことと同じ」
外食以外はやめた。
有村社長

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それですぐに飲食店をやろうと?

有村
いえ、どのビジネスで起業しようかとずっと迷っていました。自分でも学生団体を立ち上げて、人材派遣やセミナー開催を含めていろんなことをやってみました。クラブイベントまでやってみましたが、大学に行かずにずっとそういった活動をしていましたので、無理をし過ぎて身体を壊してしまったんです。高知県土佐の病院で1ヶ月間、入院生活をしたんですが、そこで私にとって幸せとは何を考えてみると、「好きな人達と食事をする」ことが何よりも楽しいし、幸せを感じることに気が付きました。では、そういう場を私自身で提供することができれば素晴らしいんじゃないか。食事制限もされてましたら、安全で安心な素材を使うことの大切さも理解できましたし、そこに行けば元気になれるような店づくりをしたいと強く思いました。その時ですね、飲食店をやろうと思ったのは。

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飲食店をやりたいと考えた時に、料理人になるという道もありますが

有村
日本を元気にしたいと考えると1店じゃ足りないんです。料理人ではなくて起業家として、元気になるインフラを日本に作りたかった。社名の「アントレスト」は、レストラン業界のアントレプレナーを排出する日本一(最上級のest)の会社になるという意味を込めてあります。

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そしてすぐに起業ですか。

有村
退院後すぐに大学を中退して、一六堂という外食企業で1年間修業させていただきました。

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それまで力を注いでいた人材派遣やイベントなどの事業に未練はなかった。

有村
「何でもできるということは、何もできないことと同じ」だと思っていますので、外食以外は全てやめました。他にいろいろやりながらできる程、外食は甘くない。2010年までに外食で強固な基礎を築いた後に、分社化して人材ビジネスやブライダルなどの外食以外のビジネスにも参入できるようなプランを立てています。

後編に続きます>>