・「炉端かば」東京3号店、ハマサイトグルメに開店
山陰で「炉端かば」を5店舗にまで拡大した松田氏は、2006年5月に東京進出を果たした。「山陰で出店する街がなくなった」ことが理由だ。大阪や広島の出店を考えていたが、アサヒビールの営業マンから、どうせ金がかかるなら東京へ行った方が良いとアドバイスされたのがきっかけ。
東京への出店を決めて1年半、月に2度、東京に通い、朝から深夜まで東京中を歩き続けた。そして、縁あって新宿の物件に出会う。
「東京は別世界ですよ。田舎のスタイルが通用するか心配でした。新宿駅からうちの店にたどり着くまで何軒もの店があり、何人もの声を掛けてくる人がいる。それらを無視してうちの店まで辿りついてくれるだろうか。」
「だめならしっぽを振って帰ろう。田舎で失敗すると何と噂されるかわからないけれど、東京は遠いので失敗しても帰れる」と松田氏は開き直った。
新宿店は65席で月商1千から1千2百万円を売り上げる繁盛店に育ち、07年12月には新橋に東京2号店、08年1月には、三菱地所等がリーシングする汐留地区最後の大規模開発、浜松町・汐留ビルディングの飲食施設「ハマサイトグルメ」に東京3号店を出店するに至る。
東京では新宿、新橋・浜松町エリアでドミナント出店を狙っている。
「ハマサイトグルメ」内の浜松町店。漁港の食堂のイメージ
店内はイカ釣り舟のライトが照明
壁一面にかかる大漁旗
・ケーキ修行から居酒屋見習へ
松田氏は島根県安来市で洋菓子店を営む父親の元に生まれた。洋菓子職人になるべく調理師学校に通い、京都の老舗洋菓子店で3年間修業した。しかし、ある事情から父親が洋菓子店を廃業してしまう。
当時、母親はスナックを経営し、さらに近くで20席の居酒屋を人に任せて経営していた。その当時の店長のあだ名が「かば」。「炉端かば」の由来だ。現在も使っている人物イラストもこの店長をモデルにしたもの。安来に戻った松田氏はこの店長の下で居酒屋見習を始めた。
かばイラスト
「炉端かば」は生魚がウリ。それだけでなく、カレーライスやラーメンも含めて、メニューの豊富さもウリ。「田舎の人は何でもあるところに行こうとする。東京のようにカレーはカレー屋、ラーメンはラーメン屋と使い分ける発想がない」そうだ。現在の「炉端かば」では和洋中合わせ300〜400種ものメニューを用意している。
「炉端かば」で食事して、母親のスナック「華はうす」で酒を飲み、再度「炉端かば」へ立ち寄り締めのラーメンを食べて帰るコースが出来あがり、大繁盛となる。
カウンターのショーケースに並ぶ新鮮な魚介
のどくろの干物(650円)
・300席を超える大型居酒屋を続々出店
その後、移転し一気に150席に拡大。「安来市はたった人口3万人だが、宴会がバンバン入った。この店は今でも売上は落ちていない」と言う。お客は約8割が地元だが、日立の工場などがあり東京・大阪・名古屋・広島からの出張族でも賑わった。
2店舗目を、300席で隣の鳥取県米子市に出店。これがまた大繁盛。「この時、初めてブレークしたと手ごたえを感じた」と言う。安来市の1号店はロードサイドで、鳥取県米子市と島根県松江市を結ぶ幹線道路の真ん中あたりに位置し、車の窓ごしに「炉端かば」を知っていた人が多かったことで、一気に勢いが付いた。そして、反対側の松江市にも出店。さらに島根県出雲市、鳥取県鳥取市にも出店し、5店舗に拡大する。
山陰の店舗では客単価2800〜3300円。お客は週に2回以上来てくれる。平日は団体で、休日に家族でなど。だから、300席の巨大居酒屋が連日満員になる。ちなみに東京の客単価は4000円。山陰と異なり、「一元客でなりたっている店が多くてびっくりした」そうだ。
また「炉端かば」の特徴は女性客が多いこと。山陰では5割が女性。店毎に毎週曜日を決めて「レディースデイ」を設けている。女性だけのグループ客はフードもドリンクも全て半額。東京でも月曜日にドリンクのみ半額の「レディースデイ」をスタート。東京での女性客比率は約4割にまで上がっている。
原価率は45%。地元客に愛され、息長く経営するためには割安感が大切だ。土地・建物を購入して出店しており、この原価率でも十分に利益が出るそうだ。ちなみに東京の原価率は35%。東京流に合わせている。
「外から中が見えない店は嫌い。外からオープンで、しかもスタッフが元気でフレンドリーがいい」と松田氏は入りやすい店作りを心掛けている。
ロードサイドにある安来本店
安来本店の宴会場
ひときわ目立つ新橋店
・仲間と共に、東京・大阪・名古屋進出
現在「炉端かば」は山陰5店 東京3店。和カフェやスナックなどの業態を山陰で6店、計14店舗をグループで経営し、年商約20億円。
東京のスタッフのほとんどを山陰から連れてきた。だから、スタッフは出雲弁を話して「山陰」の雰囲気を盛り上げる。家を1軒借りて皆で住んでいるそうだ。「山陰の若者は東京へのあこがれが強く、みんな行きたいと言ってくれる。しかも、両親からも、『かば』なら大丈夫と推してくれるのがありがたい」と松田氏は語る。地元での信頼が厚い。
店では、お客とスタッフが互いに名前で呼び合うフレンドリーな雰囲気。お客の年令は20代から80才までと非常に幅広い。
「継続は力なり、が好きな言葉です。お客を裏切らないだけでなく、従業員も裏切らない。200人以上いるスタッフは仲間です。皆、私のことを『松田』とか『コウ』とか呼び捨てです。社長と呼ばれない。いっしょに老人ホームに入ろうとよく皆で話しています」と33才の松田氏は仲間意識が強い。
目標は東京・名古屋・大阪への進出。大阪は既に物件情報も多数集め、実際に出店体制に入ったようだ。
「山陰をまるごと食べに来てごしない」(出雲弁)がテーマの「炉端かば」。東京の店内には山陰の各地を紹介するポスターが多数貼られている。
店内に貼られた山陰地方の観光ポスター
「山陰を皆に知ってもらいたい。地元に帰ると、島根県、鳥取県とは各々違うと主張ばかりしていますが、山陰で1つにまとまってがんばらんといかん」と地元、山陰の発展を人一倍考えている男でもある。