・実家は愛媛県西条市「割烹 むさし」
高橋氏の実家は40年も続く、愛媛県西条市の「割烹 むさし」。全席個室で200席もある大きな割烹。男3人兄弟の長男。弟2人は料理好きで早々に実家を継いだが、高橋氏は東京の大学に通った。
経営者になりたくて、会社を知ろうと社員12人の小さな化粧品会社に1年間だけ就職。起業するなら飲食と思い、30才で独立と目標を立て、料理の勉強と貯金を始めた。しかし、飲食店の厨房では給料が安く金が貯まらない。貯金のため、愛媛の実家で3年間働く。
学生時代から米国、特にロサンジェルスに憧れた。「ロスで飲食をやりたい」と思い始め、貯金の傍ら、半年間休みもなく働いて1週間ロサンジェルスに行くという暮らしを3年間続けた。
「父親に飲食での独立を相談しました。しかし、『飲食の厳しい世界で出来るわけない、しかも料理もせずに独立しようとしている、最悪だ』と叱られました。しかも夢はロス。いざという時を考えると、料理ができた方や良いと気付いたんです。実家でお金を貯めながら料理を勉強しました。実家を継ぐことも考えましたが、自分ができることをやりたかった。自分の考えがそのままできる場所、東京でまずやろう」と高橋氏は考えた。
「貯めた自己資金600万円に借り入れを合わせて約2千万円。それでも工事代金が払えず、8回の分割払いにしてもらいました」という。そして、24坪の1号店「砂漠楼」が恵比寿に2000年誕生した。
・毎日空輸される瀬戸内食材が命
「砂漠楼」は創作和食。当時、「ちゃんと」が流行り始めた時代で、それをベンチマークとしてジャンルは創作和食を選んだ。
しかも、個室。「実家の『むさし』は昔から個室だけでした。個室でちゃんとした料理を5千円で食べられます。料理には自信があったので、個室と合わせれば絶対に流行ると思いました。また、自分は中2階のロフトで飲んで下を見下ろすのが好きでした。個室とロフトは絶対に作りたかった。天高が3.8m以上必要なんですが、たまたま物件が押さえられんです」
当時の恵比寿駅の東側は寂しくて、入居するビルの周辺は2階建の古アパートばかりで夜は真っ暗だったそうだ。しかも店舗はビルの地下。「11月にオープン。最初の1週間は友人や近くの人に声を掛けて来てもらいました。しかし、1週間過ぎるとお客がピタッと来なくなった。毎日ビラを配りました。2週間暇が続いたんです。ところが12月に入ってお客がドンドン来ました。1月も忙しかった」
「砂漠楼」 地下へのエントランス
「砂漠楼」 個室
「最初に来たお客が戻ってきてくれました。『この前行ったんだけど』、『常連さんに紹介されて』という電話が増えました。たぶんこれで流行るなと実感。他の4〜5千円の店と比べると料理をちゃんと出していました。創作和食も珍しかった」と高橋氏。
「ある時、近所のおばあちゃんに言われたんです。『あんたは凄い、あと2年頑張ればつぶれないよ。ここに大きなビルが建って、まわりが再開発されて良くなる』と予言されました。その後、確かに再開発計画が発表され、今のように賑やかになったんです」
「砂漠楼」は使い慣れた郷土の瀬戸内海の食材を使っていたが、おしゃれなイメージを打ち出すために全面に出さなかった。2002年7月にオープンさせた西麻布の2号店でも出さなかった。そして、1号店の1階が空いて2006年3月に炉端「陣や」にオープン。そこで初めて瀬戸内海を全面に出した。
時は正に郷土料理ブームの走り。高橋氏は「郷土料理ブームには乗ってないが、かぶった」と説明してくれた。「創作和食」、「個室」、「郷土料理」、時代を見るアンテナは敏感だ。
「雲丹焼き」
「鯛めし」
・「2009年、ロサンジェルスに出店します」
1号店の「砂漠楼」恵比寿店はオープンして8年。最初から爆発し、今も売上は良いという。しかし、4年前に売上ダウン。
それまでは、連日予約で満席。多い日は200人位予約を断る時もあり、売り上げは3年間伸び続けていた。ちょうど3店舗になった時です。人が上手く育っていなかった。売り上げが落ち始めたので、ウチもホットペッパーに広告を入れました。ところが、安売に手を出して客層が変わった。やめよう、客単価を上げて宣伝はしない方針に転換しました。1年かかりましたが、徐々に上がってきました。今でも8年前のオープン当時より、日曜営業が増えた分、売上が上がっています。減価償却はとうに終わっています。そろそろ、改装してテラスを作ろうかと考えています」と1号店は今も大きな利益を生み続けている。
そしてロサンジェルスへの出店。「ロスは手探りで始めて、知り合いを作るところからスタートしました。最近、物件を見に行って今まで知らなかった問題が見えてきた。次は会社を作ろうという段階です。パートナーを作るのか、独自に小さい店から始めるのか、悩み中です。2009年中にはやります。永く続けられる店を作りたい」
ロサンジェルスの店舗と交流させることにより、社員の福利厚生にもつながる。短期の海外体験をさせたり、リフレッシュさせたりできる。
「社員は皆、育った環境や働いた会社が違います。いろんな人が集まっています。それを 同じにするのが難しい。例えば、大きな外食企業からウチに来た人は平気で食材を捨てます。それをもったいないと思わせ直させる。店舗数が増えるとますます希薄になっていきます」
「愛媛の郷土では安くて良いものが手に入る。自分は修行していたので食材への思い入れが違います。また、東京では台風が来ようがいろんなところから魚が集まってきます。でも、地方だと風が吹けば漁師は海へ出ない。魚が東京へ届かない。すると、あの業者は使えないと考えるスタッフがいる。産直のメリットとデメリットを理解させないといけないんです」
「『瀬戸内水軍』を作る時、スタッフを瀬戸内海に連れて行きました。今後はどんどん連れていきたい。自分は実家で料理しながら経営がいつの間にか身に付きました。食材を大切にする気持ちが強い。余った食材でおすすめ品を作るとか、現場を見せて教えたいです」
社員を同じ考え方に導くためにも、ロサンジェルスに行きたいという目標を社員と共有したいと高橋氏は考えている。
内装はチープでも料理をしっかりして早期に投資を回収しようとする風潮に反して、2008年4月にオープンさせた「鶴姫」は内装に拘った。もう一度原点に戻って、店創りを楽しんで、徹底的にこだわったお店を創りたかった。(砂漠楼をつくった時の気持ちだ。)40年続く割烹の伝統を受け継いで、高橋氏は独自に40年続く店舗を作ろうとしている。次の夢は、東京とロサンジェルスに実家と同じ「むさし」という店を作ることだ。
「鶴姫」 外観
「鶴姫」 VIPルーム