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U-10 *バックナンバー 


No.14
韓国アイドルからファンドマネージャーを経て外食へ

2010.8.27
次時代の外食市場を担う、若き外食企業を紹介する『U-10(アンダーテン)』。店舗数10店舗以下で、個性あふれる経営者とその店舗を、東京に限らず日本全国から次々と発掘し、紹介していく。他に無いユニークな個性で、外食の魅力の本質に迫りたい。


任和彬(イム・ファビン)氏(株式会社アイホールディングス 代表取締役)

韓国アイドルからファンドマネージャーを経て外食へ

 任(イム)氏は、韓国人の父親と在日韓国人の母との間に在日韓国人として大阪で生まれる。幼いころから2つの野望があり、音楽デビューと経営者になる事だった。大学から起業は当然考えていたが、きっかけがあり大学時代に韓国のアイドルグループとしてメジャーデビューを果たしCDも発売される。歌手になる夢が叶ったので、その後ベンチャー企業を立ち上げ、韓国で流行った音楽コンテンツを日本語で日本人が歌う仕組みを考えた。しかしうまくいかず、ペンシルべニアのビジネススクールでMBOを取得、その後最大手金融のファンドマネージャーとして、9年間務めた。

 ファンドマネージャーとして勤務していた事が、今の外食経営者になる礎を築く。それは食品メーカーを中心に企業の社長と面会を多くこなしていたからこそ実現した部分は多い。中でもヤマダ電機・アサヒビール・キリンビール・伊藤園・カゴメ等のメジャー企業の株を会社として保有する売るかを決定をする一方で、経営者や幹部の将来性や長期ビジョンを見極める力を養った。

 結果、飲食として独立をする事を決めた際には、ヤマダ電機の物件を会長から直接紹介された。現在の店舗も、探したのではなく、ヤマダ電機の会長から頼まれる形でスタートする。またビールメーカー2社(アサヒビール・キリンビール)から熱烈なラブコールを受け、アサヒのエクストラコールドとキリンの一番搾りのドラフトが共存する店となった。

 任氏は起業に必要な事は、アイディア、資金、人脈、人材の4つと考えている。このうちのどれが欠けても会社はおかしくなる。実際初め起業した音楽事業はアイディアのみで行った為、失敗に終わった。

 現在はその4つが揃い始めた。ただし、人材に関してのジレンマは一生ついてくる。複数の企業を1店にまとめ上げたため、違う店舗のそれぞれの商品の良さを明確に伝えることがスタッフ全員に課せられる。その教育体制の確立が常に付きまとうこととなる。

 特徴は、韓国の有名専門店を9店まとめあげたこと。韓国では専門店しかないのでスンデュブならスンデュブ、サムギョプサルならばサムギョプサルというように店で食べられるものが決まっている。しかし日本では様々な料理を楽しみたいニーズが多い。KollaBoはそのニーズを体現した。


スンドゥブチゲの元祖「ソドンゴントゥペキ」。


元祖燻製サムギョプサル。

 実は韓国有名店が日本進出を果たした例は多い。しかし、そのほとんどが失敗し、数年以内に撤退している経緯がある。チェゴヤのように、韓国ではほとんど誰も知らない店が日本で成功した要因は、専門性を持たず、韓国料理全般をわかりやすく伝えた点にある。そこにヒントを得て今の業態のコンセプトを導きだした。


「焼肉高麗屋」。

 つまり専門性を持った本格的な韓国料理を一度に同じ店舗で提供することができれば成功すると確信を経た。もちろん具現化するために先ほどの4つの条件をクリアし、そのためには並々ならぬ情熱と地道な努力があった。努力する事で新たな発見もあり、食材選びに関して厳選を重ねていくうちに、実は日本の食材を使うと本場韓国よりも美味しくなる事も分かってきた。


韓国の人間国宝が作る生マッコリ。

 9月から2店が加わり中でも韓国で一番と評価の高いケジャン専門店「プロカンジャンケジャン」の誘致にも成功している。KollaBoでは「プロカンジャンケジャン」の本家ソ4姉妹の長女の味を再現。

 今後の展開が楽しみなのは間違いない。次の店舗を路面店と定め、現在物件が探している。立地や物件によって新しいコラボが可能だ。例えば立地がカフェ向きであれば、現在のカフェブランドと軽食ブランドを合わせればよい。リスクヘッジも考え、業態変更も現在の9店が共存しているからこそ容易になる。コラボすることで常に進化できるスタイルは、韓国料理の枠を超えていくと思われる。


■企業情報
株式会社アイホールディングス
東京港区赤坂4-1-1 SHIMA赤坂ビル6F
電話:03-6234-6126
代表:任和彬(イム・ファビン)(1971年生まれ、大阪府出身)

■店舗情報
「KollaBo(コラボ)」
東京都豊島区東池袋1-5-7 LABI1日本総本店池袋7F
電話:03-5332-3878

韓国2店舗

【取材・執筆】  猪俣 栄仁(いのまた えいじ) 2010年8月24日取材


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