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フードリンクレポート


バブル期エスニックブームの先駆者。
〜インド料理で25年「マンダラ」、インドで日本食展開をめざす〜(3−1)
外ノ池祐太氏 株式会社西インド会社 代表取締役

2010.9.19
東京・神保町で25年間続くインドレストラン「マンダラ」。世界の秘境ツアーを1973年から手がける株式会社 西遊旅行(外ノ池 愉平代表)が旅行者の情報交換場所として設けた店舗だ。その息子、外ノ池祐太氏はインドとの長いリレーションを活かして、世界で人気の日本食をインドで展開しようとしている。3回シリーズ。レポートは安田正明。


外ノ池祐太(とのいけ ゆうた)氏(株式会社西インド会社 代表取締役)。

バブル期エスニックブームの先駆者

 外ノ池氏が代表を務める西インド会社は現在、インドレストラン「マンダラ」、タイレストラン「メナムのほとり」、タイスキレストラン「ムアン・タイ・なべ」、シンガポールレストラン「マカン」のエスニック料理4店と立ち飲み「やすじ」を神田神保町2丁目にドミナント展開している。そして、インド食材小売店「ナマステフーズ」(江東区大島)を持つ。神保町は出版会社が多く、新しいものや珍しいもの好きの彼らに愛されている店舗だ。

 父親が旅行業ということで海外経験が長く、米国や英国に留学しMBA(経営学修士)資格も取得している。2005年に父親から「マンダラ」等を引き継いだ。

「米系ソフトウェア会社にて、金融機関向けのトレーディングシステムを売る仕事をしていました。僕は、運が良くたまたま売れたんです。歩合制なので年収が24歳で1千万円。その後、倍々ゲームで増え、ラグジュアリーな店に出入りしていました。そんな生活が厭になって、英国の大学院に逃げました(笑)。帰国して、B to Bのビジネスはやめよう、自分のお金で満足できるものを提供して怒られるなら怒られようと。父がやっていたレストランを引き継いだんです。」

「『マンダラ』は相当有名でした。漫画『美味しんぼ』の表紙を飾り、エスニックブームの先駆けで、父はグローバルダイニングの長谷川(耕造)さんと外食業界でよく取り上げられていました。当時、旅行のお客様は、日本で写真を交換し合っていました。彼らの集まる場所としてインドレストランを始めたんです。『マンダラ』は大繁盛です。予約が3ヶ月先まで埋まっていました。」


「マンダラ」 店内。


「マンダラ」料理。
★続く

【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき) 2010年9月8日取材

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