フードリンクレポート


半年遅れでオープン、しかし資金が尽きた。
〜ニューヨークから1年で撤退。通用しない日本の常識とは?〜(7−3)

2010.5.19
ニューヨークでの出店を夢見る日本人は多いが、成功する方は少数。今回取材したS氏(匿名)は、和食カフェをマンハッタンで挑戦。半年遅れで開店し、その後1年で資金が尽きて無念にも撤退した。ニューヨークを目指す方々のために、勇気を持ってS氏は実体験を語ってくれた。7回シリーズの第3回目。


ニューヨークの高級店は、一部の知名度の高い店を除いて集客が厳しい。

半年遅れでオープン、しかし資金が尽きた

 ようやく保健所から営業許可をもらって、オープンできたのが12月。

「月の固定費が電気代を加えて1万4千ドル。オープンが延び延びにもかかわらず、固定費は毎月重くのしかかり、資金が詰まった。途中で再度投資を募り、オープンまではこぎつけました。でも、オープン時には運転資金もなかった。自転車操業の中でのオープンです。」

「実は、6月にオープン出来なくなった時から、無許可で日系企業向けに弁当のデリバリーを始めました。7ドルくらいで何種類か弁当を作って、デリバリーマンがカートで押して企業を回って売るビジネス。店のキッチンを使い、ガスが来てないのでカセットコンロ3台を使い、多い時で300食を作りました。6人のデリバリーマンはイリーガルの労働者です。店はシャッターが閉まっているのに、なぜか朝9時になると皆がカートを押して出てくる。」

「1日1千5百ドルの売上はありましたが、商売にはなってなかった。弁当1個売って50セントの儲けです。家賃を払うまでの利益はない。朝4時の真っ暗な中に起きて、メキシコ人を3人雇って弁当を作る。必要以上に疲弊しました。」

「正式オープン後、続けていた弁当売上は1千5百ドル、店売りで1千ドルくらい。自転車操業です。今月の売上で前月の支払いをする。自分がお金をとれない状況が続きました。私も資金が底をついた。これを解決するには1日売上4千ドルないと先が見えてこない。ただ、続けられる限りは可能性にかけた。メニューを変えたり、1年間頑張りましたが、昨年12月に最終的にギブアップです。」

「敗因は、私自身が事業をやるという覚悟が甘かったのが一番。NYでビジネスすることの困難さとやるべきことがあるにもかかわらず、それを熟知してなかった甘さです。それがなければこんな失敗になることはなかった。」


【取材・執筆】  安田 正明(やすだ まさあき) 2010年4月9日取材