フードリンクレポート


シンガポール進出で世界へ飛び出した、「なんつッ亭」。
〜1兆円ラーメン市場、勝ち残る店の戦略を探る〜(4−1)

2010.5.19
ラーメン屋は全国に約4万軒あり、市場規模は約1兆円と言われる。その中で近年は、毎年約4000店が新規開業し、ほぼ同数が廃業しているという。年々1割の店が入れ替わる新陳代謝が激しい市場において、勝ち組はどのような店舗戦略を練っているのだろうか。マスコミやブロガー、評論家たちがつくり上げるトレンドには、いかに対処しているのか。タイプの異なる繁盛店3店とラーメンコンプレックスの成功例を取材してみた。4回シリーズの第1回目。レポートは、長浜淳之介。


「なんつッ亭」品川店 外観。

シンガポール進出で世界へ飛び出した、「なんつッ亭」

 神奈川県の内陸部、小田急沿線の秦野市に本店がある「なんつッ亭」は今年4月1日、シンガポール有数の開発推進エリア、マリーナ地区に進出した「パルコ・マリーナベイ」に海外一号店をオープン。

 施設全体のレストラン売り上げでトップクラスの成績と、好調なスタートを切った。現地向けに味を変えることはなかったが、シンガポールの人は日本人と違って、ゆっくりとラーメンを食べて行くことから座席をゆったり取るといった工夫を行った。席数は40席ある。


「なんつッ亭」シンガポール店 外観。


シンガポールに進出したパルコ。レストランは日系飲食店が中心。

 おしゃれなレストランが揃う中、トタンの外壁にダンボールと和紙の筆書きメニュー、鉢巻をしたお兄さんたちの威勢の良い接客という、日本のスタイルをそのまま持っていったのが受けた。この勢いが続くなら、シンガポールの多店舗化を始め、東南アジア各国に「なんつッ亭」を出店していく構想がある。

 世界的に有名なチェーンに成長しつつある、「なんつッ亭」が誕生したのは13年前の1997年。当時は「麺屋武蔵」(新宿)、「くじら軒」(横浜市都筑区)、「中村屋」(神奈川県海老名市)のような魚介系のスープのラーメンがもてはやされていた。

 それに対して、「なんつッ亭」はクリーミーな豚骨醤油ラーメンで、上から黒マー油がかかっているのが特徴だ。流行と関係なく成功した店の1つである。


なんつッ亭のとんこつマー油ら〜めん(700円)。マー油は7種類の揚げ方で揚げたニンニクとゴマ油でつくる。

 店主で創業者の古谷一郎氏は1968年生まれ、秦野出身。実家は町の小さな食堂だったが、両親ともに働きづめで子供の頃はあまりかまってもらえず、この商売が好きでなかったという。やんちゃな地方都市の少年らしく暴走族に加入。18歳の時に父が病気で倒れてお店を閉めることになったが、当時の古谷氏はやりたいことが見つからず、本人曰く「プー太郎の生活を送っていた」という。


創業者の古谷一郎氏。

 しかし、料理は好きでしばしば手料理をつくっては友人に振舞っていた。あるテレビ番組で繁盛しているラーメン屋の主人が「ラーメン屋は気合と根性」と言っていたのが気に入り、自然とラーメンのことばかり話すようになって、仲間内から「小池さん」というあだ名が付けられるようになった。

 そんなある日、ついに古谷氏はラーメン屋になることを決意。豚骨ラーメンの本場、九州に修業の旅に出た。なぜ豚骨かというと東京で「なんでんかんでん」のような豚骨ラーメンの店がはやっていたからもあるが、好きな味だったということなのだろう。

 軽自動車を乗り回して3週間、博多から久留米、熊本、鹿児島まで有名店を食べ歩き、印象に残った熊本県人吉市の黒マー油を使った店に狙いを絞った。

「九州本場の豚骨ラーメンのお店は、どこも豚のにおいがキツくて正直、食欲がわかなかったですね。しかし、そこだけは焦がしたニンニクの香ばしいにおいがして、豚臭くなかったんです。ご夫婦でやっているようなノーマークの小さなお店だったのですが、これは凄いと思って、人吉のその店に絞りました」と、古谷氏は振り返る。

 古谷氏はその店の味を研究するため、不動産屋でアパートを借り、店の斜め前の酒屋でアルバイトを始めた。最初、一週間ラーメン屋に通い詰め、交渉して酒屋のアルバイトが休みの日に厨房を見学させてもらうことになった。レシピは教えてもらえなかったが、目と舌で理想のラーメンの味を学んだという。

 1年足らずで秦野に戻り、居抜き物件でラーメン屋を開業。醤油は九州のではなく関東のものを使い、麺も九州の細麺よりもっちり感を出すなど、古谷氏なりの改良を加えた。最初は親戚、友人が押しかけ、華々しくスタートした。しかし、オープン景気は2週間しか続かなかった。

 パッタリと客足が途絶えたのを不思議に思って、ある日自分でラーメンを食べてみるとおいしくなかった。原因を探ると、スープが2時間も経つと劣化してしまい、味が落ちることが判明した。そこで細かく分けて、少しずつ時間差でスープに火をかけるように工程を変えると、客足が回復してきた。口コミで日立製作所秦野工場の人も常連で来るようになり、徐々に知名度も上がっていった。

 半年ほどしたある日、著名なラーメン評論家・大崎裕史氏が突然訪問し、面白いラーメンがあると自身のサイトに投稿してからは、各種メディアの取材が殺到して、行列のできる繁盛店になった。

 当初は1日100杯体制であったが、3年目には店舗を移転して3人の店員を入れ、350杯体制に拡充。「ヒゲをはやしたいかつい男たちが、ねじり鉢巻でラーメンをつくり、接客する」というスタイルを確立する。

「黒マー油と、ねじり鉢巻でひげ面の男、『うまいぜベイビー』の看板。こういうのが一体になってこそのなんつッ亭です。ごく限られたラーメンフリークの人はともかく、普通の人は週に1度、ラーメン屋に行くのならラーメン好きと言えるのではないでしょうか。週に1度のラーメンに選ばれるには、代替のない店でなくてはいけないと思うのです」。

 古谷氏は、目まぐるしく移り変わるラーメントレンドには目もくれず、自らのスタイルを貫き通すことに徹している。

 その成果として今では、品川、川崎、池袋、札幌と店舗も増え、品川店はラーメンコンプレックス「麺達・品達七人衆」の中でも人気トップクラスを維持している。各店を平均すれば平日300人、土日祝日で400〜500人の集客があり、売り上げは安定しているという。


なんつッ亭は、ラーメンコンプレックス「品達」の中でも屈指の人気。


「なんつッ亭」品川店 店内。

 そして、昨年6月は新宿に初の味噌ラーメンの店「味噌屋八郎商店」もオープンした。

 2005年よりコンビニ向けに神奈川県で多く出店している「ミニストップ」、「スリーエフ」と提携して、27品目もの商品も送り出しており、今年はバレンタイン前後のキャンペーンとして販売された。カップラーメンのみならず、黒マー油豚骨味のポテトチップス、黒マー油豚骨スープを入れたチャーハン、焼きラーメンを挟んだパンなど、ユニークな商品が数多く提案されており、古谷氏の発想の豊かさがうかがえる。


なんつッ亭がプロデュースした、コンビニ向けポテトチップス。

 そして、今年のシンガポール進出といい、「なんつッ亭」は常に情報を発信する側に立ち、進化するイメージを与え続けている。そこがトレンドに追従し、短期間で消えていく凡百のラーメン屋との根本的な違いと言えるだろう。


【取材・執筆】  長浜 淳之介(ながはま じゅんのすけ) 2010年5月17日取材