フードリンクレポート
<毎日連載>
ダイヤモンドダイニング100店舗達成記念!
“DD6人衆”
⑥ 重田委久子氏
株式会社ダイヤモンドダイニング 広報部 部長
重田委久子氏。ダイヤモンドダイニング本社受付は、アリスの世界。
・謙虚で礼儀のある人で信頼できた
重田氏はダイヤモンドダイニングを有名にした広報のキーパーソン。元銀行員というユニークな経歴。空間デザインに興味を持ち続け、夜間のデザイン学校に通った。銀行を3年間で退職し、空間デザイナーを目指した。
「当時はデザイナーズレストランが流行っており、店を見ればどこがデザインして、どこが運営しているか全て知っていました。ちょっとしたオタクですよね(笑)。空間デザイナーを目指して銀行を辞めましたが、設計事務所には行くつもりはありませんでした。店を作った後、運営して繁盛店にまで持っていく、一通りを見たかったからです。」
「自分で作品を持って雇って下さいと気に入っていた3社に売り込みました。その中の1社、BBAから広報を募集しているのでどうかと勧められ、本社に入れるならデザイナーのとっかかりにもなるかなと入社しました。当時のBBAは、違う店ばかりデザイナーズレストランを20店ほど展開し、毎日媒体に取り上げられるような話題の外食企業でした。」
「そこはプレスだけでも2千人のリストを持ち、私がいた2年間でも700人の名刺が貯まりました。今の財産です。個性的な店ばかりで、メディア露出も凄かった。自分もメディアに言いやすかったです。」
「ダイヤモンドダイニングのDMやホームページなどのグラフィックデザインは1、2店目(『VAMPIRE CAFE』『a.t.cafe』)がBBA出身のデザイナーが作り、3、4店目(『迷宮の国のアリス』『梟の森』)はBBAで請け負っていたので、ダイヤモンドダイニングという会社は知っていました。」
「ダイヤモンドダイニングが4店舗になった時、松村社長が本社を作りました。最初に広報が欲しいと言われました。社長に会った時、すごく謙虚で礼儀のある方でした。銀行で働いた経験から、この人なら間違った道に進まない、大丈夫だと思い飛び込みました。銀座の雑居ビルのペントハウスのような所で社長と2人きりの事務所がスタートです。」
・「何やってもいいよ」で、池を作った
★続く。
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