フードリンクレポート
<毎日連載>
ダイヤモンドダイニング100店舗達成記念!
“DD6人衆”
⑤ 河内哲也氏
株式会社ダイヤモンドダイニング 執行役員 企画開発部長 兼 株式会社ゴールデンマジック 取締役
河内哲也氏。彼のために作られた企画会議室のドアには、開発に加わった店舗のDMが貼られている。
・店舗開発のプロデューサーは松村社長、監督が河内氏
河内氏は、16店目、2005年10月に入社。今のダイヤモンドダイニングに物件・業態開発ではなくてはならない人材だ。司法書士を目指し司法書士事務所で働いていたが、子供の頃からの店作りへの興味を抑えきれず、店舗設計会社、株式会社レインズインターナショナルを経て、ダイヤモンドダイニングにたどり着いた。生年は、松村社長と同じ、1967年。バブル期後半を経験した世代だ。
「外食リテラシーが高い家庭で育ちました。外食業への興味は強かった。バブル期のデザイナーズ・クラブ・レストランブームにインスパイアされ、趣味で『商店建築』等を読んでましたね。司法書士事務所を辞めて、店舗設計・施工会社に営業職として入社。素人ながら、店舗用物件と合わせての提案で大手外食企業にも食い込んでました。特に、まだノウハウが固まってない新業態をもつ企業を狙ってイニシアティブを取るのが得意でした。」
「その後、上場1年後のレインズに物件開発担当として入社。井戸さん(エムグラントフードサービス)とは社長面接を並んで受けた同期です。この部門への入社の競争率は、高かったです(笑)井戸さんとは、二人でよくフードリンクセミナーにも通っていました!年間2〜3百店も大量出店し、4年半いましたが10年間に値するほど密度が濃かったです。当時のレインズと今のダイヤモンドダイニングは同じような、ニオイを感じます。」
そして、ダイヤモンドダイニングに店舗開発担当として入社。松村厚久氏が初講演した第39回フードリンクセミナー(2005年9月開催)で、河内氏が新メンバーとして参加者に紹介された。
「今まで開発に携わったのは、80店以上(子会社も含めれば100店を超えている)店創りは、全て松村社長から教わりました。店名の考え方、コンセプトストーリーの作り方、ロゴデザイン、DM、Webデザインetc、店舗設計に関しては、席数を最大化する、マーケットに合った席配置を考える、お客様にサプライズとなるフックを配置する、施工費を安くする、そして、家賃発生期間(工期)を短くする。それらに、妥協しないのが松村流。ですから、当社の店舗は、他社のそれより厨房は狭く、工期・開業準備期間は非常に短い、この環境に適応している、現場スタッフは本当に凄いと思います。」
「物件は役員全員で視察して決定しますが、僕が先兵として探します。そして、その物件に合う業態を考え、家主等に提案できる権限を委譲してもらっている。これが、他社より先んじて優良物件を早く取得できる当社の強み。また、松村社長の物件の見方のセンスが凄い。動物的な嗅覚と繁盛感をイメージできる感性が頭抜けているのでしょう。」
「僕は、いわば映画監督。プロデューサーが松村社長です。社長が脚本(コンセプト)を持っている場合は、プロデュース兼脚本が社長。僕は予算内でいい興行収入を上げられるかを考えます。業態は最終、社長と僕の2人で決めるケースと役員を交え協議するケースがあります。」
「例えば、100店舗目の『四万十川』は、松村社長が、『土佐十景シーリーズ』の最後作として、温めていた脚本。それをいかにイメージ以上に具現化するのが、役割です。また、10/15にオープンした、田町の『びすとろ肉屋山本商店』の場合、業態はノーアイデアでした。常務の薬師寺さんと長澤さんの3人で店舗視察をしながら、協議。牛肉専門店をやりたいとの長澤さんの発案を社長にプレゼンし決定しました。その立地・物件特性を鑑み、どのような業態なら、繁盛するのか?それは、ダイヤモンドダイニングのマルチコンセプトにアジャストするのか?を考えます。」
・ダイヤモンドダイニングに入るために生まれて来た男
★続く。
→有料会員様
→未会員様
→「フードリンクレポート」バックナンバー
Copyright(C) FOODRINK CO.,LTD All Rights Reserved |