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国産クラフトビールが牽引する、ビアバー開店ブームラッシュ!
〜ビアバーブーム到来か?〜(3−1)

2011.2.8
アイリッシュパブ、ベルギービール専門店など、ビアバー(ビアパブ、ビアカフェ)はすっかりおなじみになった感もあるが、この1〜2年の間に再びビアバーのオープンが相次いでいる。ビアバーを作りたいという若手経営者も多いそうだが、今のこの波は本当に「ブーム」なのか、飲み手の側に変化は起こっているのか等、実態を探ってみた。3回シリーズ。レポートは小長光あかね。


夕方とは思えない盛況ぶり!年齢、男女、国籍、様々な人が集う。
(東京・両国「麦酒倶楽部ポパイ」)

国産クラフトビールが牽引する、ビアバー開店ブームラッシュ。

 最近、ビアバーが熱い。特に注目を集めているのが、国産地ビール=クラフトビールを出すビアバーだ。1994年の酒税法改正によって、地ビールが解禁になってから15年以上。当時は味もいまひとつのものが多く、お土産物の延長線でしかなかった。その時の印象が残っているため、「地ビール」というとネガティブイメージを抱く人も多く、今は敢えて「クラフトビール」と呼ぶ向きもある。


「漆黒」など日本語、日本の地名のビールが並ぶ時代。(東京・目黒「目黒リパブリック」)

 そして見渡してみれば、国内の醸造職人が一堂に会する「クラフトビールフェスティバル」、今週末2月13日に開催される「東京リアルエールフェスティバル」といったクラフトビールのイベントは共に今年で9年目。そして昨年12月には、店でクラフトビールを造って提供する、いわゆるブルーパブ(BREWPUB)が東京・高円寺という立地にオープンしている。解禁から10年余の月日の間に、国産クラフトビールは大きな変化を遂げたのだ。


今やビールの種類に合わせて、グラスの形を変えるのは当たり前に。(ポパイにて)


個性あるグラスが揃う。(目黒リパブリックにて)

 昨年11月に国産クラフトビールを中心としたビアバー「目黒リパブリック」をオープンさせ、起業コンサルタントとしても活躍する小林信秀氏は次のように話す。「94年当時、店に置きたいと思うビールは正直なところなかった。ところが5年、10年かけて、真面目な作り手たちが真摯に改良を重ねた結果、今や世界の品評会を総ナメするような数々のすばらしいビールが日本から誕生した。こんなにおいしいお酒があるのに、置かないのはおかしい。僕がビアバーオープンに踏み切ったのは、単純にそういう理由です」


目黒駅から3分、目黒通り沿いに位置する「目黒リパブリック」。


周辺のサラリーマン・OLでいっぱいになるのは21時頃。


オリジナルの「目黒ラガー」700円(Sサイズ)。
飲む人によって「甘い」とも「ホップの切れが爽やか」とも評する絶品。

 例えば、ワインと言えば以前はフランス、イタリア、ドイツといったイメージがあった。そんな中、数年前ニューワールドワインが古豪の間に割って入り、一気に脚光を浴びた。「今の国産クラフトビールの台頭は、チリワインが登場した時くらいのインパクトがあったと僕は個人的には思っています(小林氏)」。お酒のムーブメントが「国×カテゴリー」、そしてその質、多様性によって生まれてきたとするなら、「日本×ビール=数ある醸造所が賞を総ナメ」は、確実に大きなムーブメントである。


“世界のビール”はすっかりおなじみの存在に。


ベルギービールも根強い人気。(ポパイにて)

 しかし、おいしいから大型消費を期待できるかというと、そこにはハードルもある。国産クラフトビールを置く店舗数は増加中で、都内ではタップ(ビールサーバーに付いている注ぎ口)数が10タップ程ある店は30軒近く、20タップ以上もある店は10軒にも及ぶというが、風味豊かなクラフトビールは、品質管理に非常に神経を使う。「目黒リパブリック」では樽をそのまま冷蔵庫に入れた樽冷式にしているが、タップひとつで数万円、その部品も要取寄せ、冷蔵庫も独自改良と手間とコストがそれなりにかかっている。


「目黒リパブリック」は10タップ。
樽ごと冷蔵庫に入れることによって、サーバーとタップの間のホースに残るビールが劣化することがなく、品質が保てる。

 それよりもかかるのが物流コスト。現地の酒造メーカーから直接宅配してもらい、空樽は1個1000円の送料をかけて送り返すという。これらのコストは当然、メニュー表に載る値段に反映される。クラフトビールが1000円前後とやや高いのにはこういった理由がある。

 今後クラフトビールの店が増えて、多くの人々に飲まれて消費量が増えればコストダウンにつながる。そうすればクラフトビールを取り扱う店舗はもっと増える。クラフトビールがブームで終わるか定着するかは、鶏と卵のように関係し合っている。

【取材・執筆】 小長光 あかね(こながみつ あかね)  2011年2月4日取材


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