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「和食がんこ」上野店20年、銀座店15年。
~昭和38年創業、大阪和食の老舗「がんこ」。2代目が仕掛ける東京攻略~(2-1)
小嶋達典氏 がんこフードサービス株式会社 常務取締役 関東営業本部本部長

2011.6.29
「がんこ」は創業者、小嶋淳司氏が48年前に大阪・十三で4.5坪の寿司店を開業したことに始まる。現在、グループで関西を中心に和食8業態を100店舗近く展開。二代目の小嶋達典氏は遅れていた東京エリアの活性化を狙う。2回シリーズ。レポートは安田正明。


小嶋達典氏。「和食がんこ」銀座4丁目店にて。

「和食がんこ」上野店20年、銀座店15年

「がんこ」は東京ではわずか6店舗。80店舗を展開する関西とは見劣りする。東京進出1号店は上野本店で20年前。旗艦店となる銀座4丁目は15年前。最も新しいのが立川店で3年前。既存店は長く続いているが、新規出店は足踏み状態。そこに、二代目となる小嶋達典氏が関東営業本部長として乗り込んできた。

「会長(創業者の小嶋淳司氏)は同志社大学卒業時に起業したいという夢を持っていました。実家が元々、和歌山の小嶋商店という“よろずや”。今で言うスーパーを営んでいたので、自然と起業を目指したそうです。そして選んだのが飲食店、中でも寿司。一番高価な食べ物で、しかも職人になるのに時間がかからずなれる点に着目しました。和食では範囲が広すぎるんです。そして、27歳で大阪の十三で4坪半の寿司店を開業しました。これが『がんこ』の創業です」と小嶋氏。

 2年後、同じく十三で106席の巨大寿司店をオープンさせ話題となった。お客の中に銀行員がおり、その方の口添えで借入ができ巨大店が持てたという。今では考えられない金融機関の対応だ。そこから、高度成長とともに店舗数を増やしていく。


創業は昭和38年(1963年)。大阪では「がんこ」の看板をよく見かける。

「僕は29歳でがんこに入社しました。大学を卒業後、京都の料理屋で2年間板前として働き、その後の2年間は電機メーカーの営業マンとして厨房機器を販売しました。日本に上陸した当初のスターバックスやバーガーキングに売り込みに行きましたね。サラリーマンを一度やってみたかった。お客様はサラリーマンですが、ウチは飲食店で育っているので、店に行っても勉強の為と沢山注文してしまう。実際のお金の使い方を知らないので経験してみたかった」と言う。小嶋達典氏は1968年生まれ、42歳。

 がんこ入社後、現場店長や営業企画を経て、現在の関東営業本部本部長に就任。東京の店舗のテコ入れに奔走する。

「ウチの客層は50歳以上。中長期的に見ると、若い人を取り込めるようにしないと生き残れません。東京には、こんな魚でよくお客様が喜んでいるな、と思う店があります。本当はこれが美味しい魚なんですよと伝えたい。東京は天然魚にこだわっていますが、天然と言って見せられた小さな小さな石鯛、どうやって食べるの?と思う店が多い。養殖でも3キロ以上の鯛はしっかりしている、美味しいですよと伝えていきたい。」

「東京は地方から出て来た方が多いので、店を選ぶ時に何屋なのか、がないと辛い。和食 だけでは何を出してるのか分からない。元々は寿司なので、大阪では寿司屋と思われています。でも、東京では寿司カウンターもなく、寿司職人もいません。東京では業態名も考えていかないとダメ。」

「東京の店はアピールが上手くて、大阪は下手です。東京ではPR活動もやっていかなければなりません。関西のように新聞に折り込みチラシを入れても来てくれない。メディアに取り上げられることを考えていかないと。従業員にも銀座で15年やっているから知られているだろうとは思うな、と教えています。人は2年で入れ換わる。店の前で聞いても9割はウチのことを知らないでしょう。毎年毎年新しい店の気持ちでやれ、と教えています。」

「東京で認知されるより、銀座で認知された方がいい。銀座の人は銀座にしか来ない。渋谷の人は渋谷。池袋の人は池袋。銀座に来たら『がんこ』と言われるように、ドミナントでやって行きたい。今までのような100坪以上の大きい箱はしんどいので、60坪でしっかりした和食店を作りたい。」

 回転率の低い業態なので60坪にすると席数を増やさなければやっていけない。現在は坪当たりおおよそ1.5席というゆったりめ。客単価5000円を維持できる窮屈感のないデザインが求められている。


【取材・執筆】 安田 正明(やすだ まさあき)  2011年5月28日取材